第511話.決意の確認
その日の夜……俺は1人でコスウォルトの東側に向かい、ウェンデル公爵軍の陣地を訪ねた。
ウェンデル公爵軍の陣地はかなり堅固に見えた。天幕は動線を考慮して配置されていて、哨兵は視界の死角までちゃんと見回りをしていた。陣地内の雰囲気は静かで、厳粛さすら感じられる。これはたぶんウェンデル公爵の軍人気質に影響されたんだろう。
陣地の中央には指揮官用の天幕がある。俺は「レッドだ。失礼する」と言って天幕に入った。
「レッド様」
天幕の中には1人の少女が俺を待っていた。もちろんそれはオフィーリアだ。普段着姿だったが、彼女の美貌は隠せない。
「ドロシーもいたのか」
オフィーリアの後ろには金髪の女騎士が立っていた。俺が笑顔を見せると、ドロシーは無表情で頭を少し下げる。
「陣地の様子を見て驚いた。激戦の直後なのに、ウェンデル公爵軍の気迫は少しも衰えていないな。素晴らしい」
「普段から皆様が最善を尽くしてくださったおかげです」
「指揮官の腕も想像以上だったけどな」
「あ、ありがとうございます」
俺の誉め言葉を聞いて、オフィーリアは頬を赤らめる。
それから俺とオフィーリアは天幕の中央に行って、一緒にテーブルに座った。するとドロシーが素早くお茶を運んできた。
「さて、と……」
お茶を一口飲んでから、俺は本論を始めた。
「今日の接戦はこちらが勝利したけど……結局グレゴリーを仕留めることは出来なかった」
「はい」
オフィーリアの顔が強張る。
「それは私の責任です。私がもっとしっかり指揮していたなら……」
「いや、そう言うなよ」
俺は首を振った。
「お前はむしろよくやってくれた。ただ……グレゴリーのやつが俺の想定よりも素早かっただけだ」
腕を組み、俺は話を続けた。
「今日、コスウォルトを包囲する時……俺はわざと西側に戦力を集中した。そうすればグレゴリーが東側、つまりこのウェンデル公爵軍を狙うはずだと思ったからだ」
「はい。レッド様のお考え通り、反乱軍は我がウェンデル公爵軍を奇襲してきました」
「そしてウェンデル公爵軍が反乱軍と戦っている間、俺が横から接近してグレゴリーの首を取る……つもりだったけどな」
俺は苦笑いした。
「こちらの誘導策に引っ掛かったことに気づき、グレゴリーは部下すら捨てて逃走した。その身のこなしの素早さには俺も感心したよ」
「やっぱり油断出来ない相手なんですね、放浪騎士グレゴリーは」
オフィーリアが眉をひそめる。
「ああ、でもこれではっきりしたことがある」
「それは何でしょうか?」
「俺とグレゴリーは……発想が似ているってことだ」
「はい?」
オフィーリアが目を丸くした。
「レッド様とグレゴリーが似ている……ということですか?」
「そうだ」
俺は頷いてから、オフィーリアの後ろのドロシーを見つめた。
「覚えているか、ドロシー? カルテア要塞攻防戦で、俺がどうやって公爵たちの軍隊を撃破したのかを」
「……忘れるわけがありません」
ドロシーが無表情で答えた。
「2年前……ロウェイン公爵様は軍事要塞カルテアに駐屯し、アルデイラ公爵軍とコリント女公爵軍の連合軍に対抗なさいました。あの時、私も中継役としてロウェイン公爵様に同行していました」
「中継役じゃなくて監視役だったんだろう?」
俺が笑顔で言ったが、ドロシーは軽く無視する。
「連合軍は数的有利を活かして、カルテアを包囲しようとしました。しかしロウェイン公爵様は包囲が完成される直前の隙を狙って奇襲を仕掛け、見事に勝利なさいました」
「覚えていてくれてありがとう、ドロシー卿」
冗談めいた口調で言ったが、もちろんドロシーは今回も軽く無視した。
「普通、敵の大軍が軍事拠点に攻めてきた時は……防御を固めて籠城するのが基本だ。でも俺は緒戦の奇襲を敢行した。そう、今日のグレゴリーと同じだ」
「自らの危険を冒しても、積極的に勝利を狙う戦術なんですね」
ドロシーが言った。俺は「ああ」と頷いた。
「以前から思ったけど、俺とグレゴリーは似ている。俺が西の地方で挙兵したように、やつもこの東部地域で挙兵して……頂点を狙っている。同じ野心家なのさ」
「でも……」
オフィーリアが俺の顔を見つめる。
「レッド様は挙兵して以来、多くの人をお救いになりました。その活躍はまさに救世主としか言い様がありません。それに対して、グレゴリーは人々を扇動して戦乱を拡大させました。とても同じだとは思えません」
「……ありがとう」
俺はニヤリとした。
「とにかく、グレゴリーの戦術は俺と似ている。勝算があると判断すると、常識や危険性などお構い無しで動く人間だ。それを覚えておいてくれ」
「はい」
オフィーリアが真剣な顔で頷いた。
「つまるところ、こちらが少しでも油断したら……反乱軍がまた奇襲を仕掛けてくるということですね」
「ああ、その通りだ」
「かしこまりました」
オフィーリアの美しい瞳に気迫が宿る。
「我がウェンデル公爵軍の規律と士気は、決してレッド様の軍隊の下ではありません。敵がどれだけ攻めて来ようと、全部撃退してあげます」
「いい気迫だ。頼もしい」
俺は笑った。
2年前、オフィーリアは内気でどこか悲しげな少女だった。でも俺と話し、父親と共鳴し、一族を束ねることになり……いつの間にか威風堂々たる大貴族のお嬢様になっていた。たぶんこれがオフィーリアの本来の姿なんだろう。
「事前に協議した通り、都市への直接攻撃は俺の部隊が主導する。その間、東側の戦線は任せるぞ」
「はい、こちらはお任せください。レッド様は……堂々と勝利を掴んでください」
「ああ」
俺は笑顔で頷いた。
それから些細な会話を交わした後、俺は天幕を出た。同盟軍は問題無い。後は……俺が勝利を掴むだけだ。
「公爵様」
本隊に帰還するためにケールに乗ろうとした時、後ろから女性の声が俺を呼んだ。この声はドロシーだ。
「どうした、ドロシー? 話したいことでもあるのか?」
「はい。公爵様にお話ししたいことがあります」
「へっ」
俺はニヤリと笑った。
「人目も無いし、気軽に話してくれ。俺とあんたは一緒に戦った戦友なんだろう?」
「……公爵になっても変わらないな、お前は」
ドロシーも少しだけ笑った。
「流石というべきか……本当に不思議な存在だ」
「へっ。で、話したいことって何だ?」
「放浪騎士グレゴリーのことだ」
ドロシーが冷静な態度に戻る。
「3ヶ月前、私はやつについて独自に調査してみた。調査官だった頃の人脈を使ってな」
「ほぉ、それで?」
「グレゴリーが結構以前から残酷な事件を起こしてきたことが分かった」
ドロシーは腕を組んだ。
「この東部地域で放浪騎士として活動しながら、相当汚い仕事をやってきたようだ。例えば重い税金に反発する領民たちを、領主に依頼されて皆殺しにしたこともあるらしい」
「なるほど」
俺は頷いた。
「やつは東部地域の闇を知っているのか。だから戦乱が始まってから縦横無尽に動けたんだな」
「……そういう人間が、今は大都市を支配している。私たちに包囲されたまま」
ドロシーが俺を直視する。
「私は憂慮している。窮地のグレゴリーがまた残酷な事件を起こすかもしれない、と」
「なるほど」
「どう思う、レッド?」
「……俺も同意する」
俺は手を伸ばしてケールの頭を撫でた。
「やつは戦争に負けたからって簡単に降伏するような人間ではない。1人でも多くを道連れにしようとするだろう」
「やっぱりそう思っていたのか、お前も」
「でも心配するな」
俺は右拳を軽く握った。
「グレゴリーのやることなら、大体予想が付いている。俺が全部止めてみせるさ」
「……ふふふ。本当に不思議な存在だ、お前は」
ドロシーが静かに笑った。
「私は……お前がこの王国を滅ぼす赤竜かもしれないと恐れていた。でもやっぱり間違いだったようだ」
「へっ」
「もしかしたら……お前は本当に女神の命を受けた、赤き救世主かもしれない。別に女神を信じているわけではないが、私も時々そう思ってしまう」
「俺はその異名があまり好きではないけどな」
笑ってから、俺はケールに乗った。
「じゃあな、ドロシー。オフィーリアのことを頼む」
「そっちこそ心配するな。お嬢様はお前が思っているよりも強いお方だ」
月明りを浴びながら、ドロシーが笑顔でそう言った。俺は軽く手を振ってから、ケールと共にウェンデル公爵軍の陣地を出た。




