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第508話.今は目の前の戦いを

 出陣から2週間後、遠征軍は東部地域の中央に到達した。ここは主要道路が交差する地点であり、本来なら人の住む村もたくさん並んでいたはずだ。しかし今は……ほとんどの村が消えている。盗賊の群れが村を略奪し、放火したのだ。道路の周辺にはそんな『村があった痕跡』だらけだ。


 遠征軍の兵士たちは進軍を続けながらも、時々『村があった痕跡』を横目で見つめた。強張った顔で、何も言わず、悲しげな眼差しを送っていた。数々の戦場を経験した彼らも……焼失してしまった村を無感情で見ることは出来ないみたいだ。


 俺とシェラも、軍馬の轡を並べて歩きながら……焼失した村を眺めた。


「……酷いよね」


 シェラが呟いた。


「ここら辺は戦乱の被害が大きいって聞いたけど、村がいくつも消えてしまったなんて……」


「秩序が崩れると、真っ先に被害に遭うのは力の無い人々だからな」


 俺は無表情で言った。


「しかも領主たちは自分の身を守ることに汲々としていて、誰1人も混乱を収拾しようとしなかった。いや、もっと正確に言えば……混乱を収拾出来る領主がいなかった」


「レッドみたいな人がいなかったのね」


「さあな」


 俺は肩をすくめてから、話を続けた。


「とにかくその結果……多くの人が死んだり、難民になってしまった。それが東部地域の現実だ」


 その言葉を聞き、シェラは考えに耽る。


「……ね、レッド。コスウォルトの反乱軍の中には……かつて難民だった人がたくさんいるんでしょう?」


「ああ、そうだ。グレゴリーが扇動したからな。『このまま惨めに生きるより、反乱軍になって何もかもぶっ壊そう』ってな」


 俺は腕を組んだ。


「まあ、確かに魅力的な話だ。反乱軍になれば、少なくとも飯は食えるからな。難民のまま飢え死にするよりはマシだろう」


「そして私たちは……そういう人々とも戦わなければならない」


「戦争だからな」


 シェラの顔が暗くなる。俺は手を伸ばしてシェラの頭を撫でた。


「あまり心配するな。まだ道は遠いが……俺が必ず終わらせる」


「うん、信じている」


 シェラは愛情の籠った瞳で俺を見つめてきた。


---


 更に南に進んだ時、ふと前方から山が見えてきた。真っ白な雪に包まれている山だ。


「……あれか」


 俺はしばらく山の方を見つめた。ここからだと結構な距離なのに、まるで近くにあるかのように全体像が見える。真っ白な山はそれほど巨大で、雄大だった。


 しばらくして空が暗くなり、遠征軍は進軍を止めて野営の準備に入った。天幕を張って焚き火を作り、近所の川で水を汲んできて、夕食を食べる。そういう流れが自然に行われる。もうみんな野営の経験が豊富なのだ。


 俺は指揮官用の天幕に入り、隅に置いてある革の鞄を取り上げた。そこには俺の個人的な荷物が入っていた。俺は鞄の中から1通の手紙を取り出した。その手紙には……『私たちは元気だ。早く迎えに来い』と書かれていた。俺は自分の胸がざわめくのを感じた。


「レッド君」


 誰が俺を呼んだ。振り向くと2人が見えた。長身の美人と小柄の少女……白猫と黒猫だ。


「どうしたの? 深刻な顔をして」


 白猫が何もかも見透かすような眼差しで聞いてきた。俺は「何でもない」と答えて、手紙を鞄の中にしまった。


「それより……2人こそどうした? 何かあったのか?」


「レッド君の様子を見に来たのよ」


「俺の様子?」


「うん。見えてきたからね、あの山が」


 白猫が妖艶な笑顔を見せる。


「あの真っ白で巨大な山こそが……『ベルンの山』よ。私たち『夜の狩人』の発祥の地であり、今は『女神教の異端』が隠れているかもしれない『ベルンの山』」


「ああ、知っている。東部地域の地図なら頭の中に入っているからな」


 俺が答えると、白猫は俺の顔を注視する。


「それで、見に行かないの? あの山に……赤鼠とアイリンちゃんがいるかもしれないんでしょう?」


 その言葉が俺の胸を更にざわめかせた。だが俺は無表情を維持し、首を横に振った。


「……今は無理だ」


「そう? レッド君なら1人でも行くんじゃないかと思ったのに」


 白猫がニヤリとした。


「『ちょっと個人的な用がある。ここはレイモン、お前に任せるぞ』とか言って、1人で駆け出すんじゃないと思ったわ」


「あんたも俺の声を真似するな」


 俺は笑ってから、もう1度首を横に振った。


「今はアルデイラ公爵との決戦の方が先だ。ベルンの山には……それが終わってから行くさ」


「でも……戦闘の勝算ならこちらにあるんでしょう?」


 白猫が冷静な顔で言った。


「こちらには精鋭の兵士が1万もいて、敵は7千の烏合の衆……どう見たって圧倒的に有利だよね。レッド君が指揮しなくても勝てると思うけど」


「確かに戦闘の勝算は俺たちの方にある。だが……問題は戦闘じゃない。相手がアルデイラ公爵だからな」


 俺は腕を組んで話を続けた。


「やつの性格上、最後の悪足掻きをするはずだ。俺が直接対処して、やつを仕留めるべきだ」


「……流石レッド君だね。安心したわ」


 白猫が笑顔を見せた。


「夜の狩人には、こういう教えがある。『自分の方が有利だと油断するやつこそ、暗殺しやすい』」


「……なるほど」


 俺は苦笑した。鼠の爺から何度も聞かされた言葉だ。


「私、最近になってやっと分かったわ。雇い主のアルデイラ公爵が危機なのに、どうして『青髪の幽霊』が現れなかったのか……その理由が」


「……どうしてだ?」


「やつらは……ずっと探していたのよ。レッド君を殺す方法を」


 白猫が冷静な顔に戻る。


「レッド君の力はまさに竜そのもの。一般的な方法で殺せる存在ではない。だから一般的ではない方法を探し出して、今回の決戦に現れるはず。私の元暗殺者としての感覚がそう告げているわ」


「そうか」


「だから貴方を守ってあげる。私と黒猫ちゃんが」


 白猫がそう言うと、黒猫が大きく頷いた。俺は笑った。


「ありがたい話だが……あまり無理するな」


「……無理ではありません」


 黒猫が口を開いた。


「頭領様は……私に教えてくださいました。大事な人々を守れ、と。私の力はそのためにあると」


 黒猫はとても真面目な眼差しで俺を見上げる。


「私は……未だに自分が何をするべきか分かりません。どうすれば昔の過ちを償えるのかも分かりません。ですが、頭領様は私の……大事な人です。だから……頭領様を守ります」


「……ありがとう」


 俺は黒猫の頭を撫でた。


「2人が傍にいてくれるなら、俺も心強い」


「当然でしょう? 私たちは強いから」


「へっ」


 それから俺たちは他愛のない話をした。黒猫も以前より口数が増えている。俺の義妹も順調に心が治っているみたいだ。そして黒猫の優しい心に影響され、いつの間にか俺と白猫も微笑んでいた。

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