第505話.新しい春
厳しかった東部地域の冬もやっと終わり、新しい春が始まった。真っ白な雪は溶け去り、山と野原には草木が芽吹いてきて……広大な東部地域の風景が少しずつ緑色に染まっていく。洞窟に隠れていた野生動物たちも活動を再開し、家に籠っていた人々も生業を再開する。
再び動き出したのは、1万に至る東部遠征軍の兵士も同じだ。冬の間に中止していた軍事訓練が再開され、兵士たちは武装状態で本部の外に移動した。そして部隊単位で集まり、各々の指揮官の下で基本的な訓練を行う。
「部隊前進!」
シェラが号令すると、ロウェイン公爵軍の歩兵隊が歩き出す。部隊の規律も士気も最高潮だ。騎兵隊のような華麗さは無いが、堅実で信頼出来る部隊だ。
俺の騎兵隊、通称『赤竜隊』は赤竜騎士団が訓練を施した。騎士たちと共に全速力で走り出し、隊列を乱さずに方向を変えて、合図が来ると迅速に撤退する。俺と一緒に数多の修羅場を突破してきた赤竜隊は……まさに無類の最精鋭部隊だ。
同盟軍の部隊も、各々の指揮官の下で訓練を行った。オフィーリア・ウェンデルとリオン卿、そしてハリス男爵の指揮に従い……数千の兵士が一心不乱に動く。
俺は城壁の上に立ち、遠征軍の訓練を眺めた。1万の兵士が隊列を変えたり、陣形を組んだりするのはなかなかの壮観だ。気合の声、金属音、そして無数の足音が響き渡る。兵士たちの顔には真剣さと強い気迫が宿っている。
当然と言えば当然のことだ。もうすぐ東部地域の命運を賭けた決戦が始まる。兵士たちもその事実をよく知っているのだ。生き残りたいという願望と闘志が混ざり、兵士たちに力を与えている。
「ふむ」
俺は満足げに頷いた。遠征軍の部隊はどれも頼れる戦力だ。後は……総指揮官の俺が彼らを勝利へと導く。それが指導者の義務だ。
「総大将」
後ろから少年の声がした。振り向くと副官のトムが見えた。
「カレンさんと傭兵隊が追加の物資と共に到着しました」
「そうか」
俺は城壁から降りて、遠征軍本部の西側に向かった。すると『錆びない剣の傭兵団』が数台の荷馬車を護衛し、本部に入ってくるのが見えた。
『錆びない剣の傭兵団』は5百程度の中規模の傭兵隊だ。大半が軽装の歩兵で構成されていて、近接戦闘に長けている。戦争の熟練者である傭兵らしく、彼らの戦闘力は正規軍も侮れない。いや、乱戦においての破壊力なら正規軍すら凌駕する。
一応、『錆びない剣の傭兵団』の団長は俺だ。でも彼らの実質的な指揮官は俺ではなく……赤髪の女戦士だ。
「団長」
その赤髪の女戦士が俺に近づいた。一般的な成人男性より頭1つ大きくて、圧倒的な筋肉を持っている女戦士……カレンだ。『錆びない剣の傭兵団』の副団長であり、素晴らしい腕の剣士でもある。
「団長の命令通り、追加の物資を運んで参りました」
そう言いながら、カレンは荷馬車の方を見つめた。荷馬車の中には携帯食料が載せられている。
「よくやってくれた、カレン」
俺は筋肉の女戦士に笑顔を見せた。
「冬の間、ずっと王都とここを行き来して大変だったんだろう?」
「補給線の維持も重要な任務ですから」
カレンも笑顔を見せた。
1万に至る兵士が長期間の遠征を続けるためには、莫大な量の食糧が必要だ。そして遠征軍はその食糧を王都から供給されている。王都と遠征軍本部を繋ぐ補給線……それはまさに命綱なのだ。
厳しい東部地域の冬の中、その命綱を管理していたのが『錆びない剣の傭兵団』だ。カレンの率いる5百の傭兵隊は荷馬車を護衛し、ずっと王都と遠征軍本部を往復した。
「王都の方はどうだ? みんな元気にしているか?」
「はい」
カレンが懐から2枚の手紙を取り出して、俺に渡した。
「これは……」
「お嬢さんたちから団長宛の手紙です」
「……なるほどな。ありがとう、カレン」
俺はニヤリと笑った。シルヴィアとデイナが手紙を送ってきたのだ。
「エミルとは話したか? あいつはどうしてるんだ?」
「参謀殿はいつも通りです。仕事ばかりで、自分の健康は全然気にしなくて……」
「エミルらしいな」
「はい。でも……」
カレンが視線を落とす。
「休憩の時間に、参謀殿とお茶を飲みながら恋愛小説について話しました」
「恋愛小説……? エミルのやつが?」
「はい。参謀殿は本当に物知りですが、恋愛小説に関してなら私の方が詳しいです」
カレンの頬が少し赤くなる。
「自身の知らない話が出ると、参謀殿は子供みたいに意地を張ります。それくらいは全部知っているって。その姿が何か可愛くて……」
「これは驚いたな。カレンとエミルがそんな……」
「まだ全然そういう関係ではありませんけどね」
カレンが恥ずかしそうに笑った。長年戦場で活躍してきた筋肉の女戦士が……今はまるで初恋にときめく少女みたいな顔をしている。
「でも……友達にはなったのかもしれません」
「どんな形であれ、進展があるのはいいことだ」
「はい」
カレンが笑顔で頷いた。2人のこれからのことは俺にも予測不可能だが、きっと明るいはずだ。
「午後3時から作戦会議がある。王都から来たばかりで大変だろうけど、カレンも休憩の後参加してくれ。大事な話があるんだ」
「はい、かしこまりました」
カレンは頭を下げてから、傭兵隊を率いて兵舎に向かった。1人になった俺は指揮官用の小屋に入り、シルヴィアとデイナの手紙を読み始めた。
「……へっ」
俺は思わず笑ってしまった。予想通りというか、2人の思いがよく伝わってきた。
シルヴィアの手紙は一見無味乾燥に見えるが、宮殿での生活や周りの出来事が几帳面に書いてある。『レッド様に話したいことがいっぱいありますが、会えなくて残念です』と自分の気持ちをそっと表現している。
デイナの手紙は……不満話でいっぱいだ。面倒くさい仕事とか、教養の無い貴族とか、馬鹿馬鹿しい噂とか……そんなものに関する不満がいっぱい書いてある。そして『私がこんなに苦労しているのは全部レッド様のせいです。今すぐ戻って来なさい』と無茶を言っている。デイナらしい。
要はシルヴィアもデイナも……俺のことを考えてくれているのだ。その繋がりは目に見えるものではないが、俺にとっては金銀財宝よりも大切だ。何しろ、今の俺を作っているのは……そういう人との繋がりだ。




