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第500話.ずっと上へ

 翌日の午後……予定通り、俺たちはドレンス男爵領の本城に到着した。


 ドレンス男爵領の本城は規模こそ小さいが、頑丈な城壁に囲まれていて……崖の上に位置している。たとえ大軍であっても、あれを陥落するのは容易ではない。


「静かだな」


 俺は城下町の方を見つめた。崖の下に広がっている城下町はやけに静かだ。領民たちは不安な心境で家に籠り、支配層同士の争いが早く終わることを願っている。


 俺とドレンス男爵は部隊を率いて、慎重に城の方へ近づいた。すると近くの森からいきなり1人の男が姿を現す。


「領主様! 領主様!」


 男は必死に叫びながらこちらへ駆けつけてくる。非武装ではあるが、服装からして彼はドレンス男爵軍の士官だ。


「あれは……城の守備軍の士官です」


 軍馬に乗ったドレンス男爵が前に出て、士官の男に大声で質問する。


「どうしてお前がここにいる!? 城はどうなっているんだ!?」


「そ、それが……3日前の夜、一部の兵士たちが反乱を起こして……」


 士官の男は絶望の顔で話を始める。


「急な事態だったので、他の者は対抗らしい対抗も出来ずに捕縛され……牢獄に閉じ込められました。自分はどうにか逃げましたが……」


「反乱軍の規模は?」


 俺が質問すると、士官の男は少し考えてから答える。


「反乱軍に投降した者も含めて……たぶん4百くらいです」


「4百か。じゃ、キーアンってやつは城にはいないんだな?」


「は、はい。キーアン様は城にはいません」


 その答えを聞いて、俺はドレンス男爵の方を見つめた。


「ほとんど予想通りだな。キーアンは部下に指示して城を占拠させ、俺たちの補給を絶った。そして自ら部隊を率いて奇襲を敢行したが……俺たちに敗れてしまったわけだ」


「今頃キーアンは部隊を収拾しているはずです。つまり、今なら自由に動けます」


 ドレンス男爵が俺に近づく。


「どうか公爵様は部隊を率いてご自分の要塞にお戻りください。ここは私が命を掛けてもキーアンの追跡を食い止めてみせます」


「何言ってんだ、あんた?」


 俺は苦笑いした。


「俺があんたを犠牲にして1人で逃げるようなタマに見えるか?」


「し、しかし……このままではいずれキーアンがまた奇襲を仕掛けてきます。補給の不安定な状況下でまた奇襲されたら……」


「だからもう言ったじゃないか」


 俺は崖の上の城を指さした。


「俺たちだけであの城を奪還する。そして補給を整えた後、キーアンを正面から撃破してこの反乱を終わらせる」


「それは……」


 ドレンス男爵は冷や汗をかく。


「公爵様もご覧の通り……あの城は崖の上に位置していて、かつ城壁が強固です。正面からではたとえ10倍の兵力があっても……奪還は困難です」


「心配するな。策はある」


 俺は城の北の方を、つまり崖の方を見つめた。


「日が落ちたら……俺はあの崖を登って城に侵入する」


「は、はい?」


 ドレンス男爵が目を丸くする。


「崖を……崖を登るおつもりですか?」


「ああ、そうだ。あんたは部隊を率いて敵の注意を引き付けてくれ」


 俺が淡々と言うと、ドレンス男爵が首を強く振った。


「いくら公爵様でもそれは無理です! あの崖を登るなんて……人間に出来るわけがありません!」


「人間に出来ないなんて、少し言い過ぎじゃないか、ドレンス男爵?」


 俺はニヤリと笑い、広大なライモラ山脈と崖の上の城を眺めた。


「人間に何が出来るのかを、人間の底力ってやつを……俺が見せてやる」


 そう言いながら、俺は拳を握りしめた。


---


 数時間後、作戦を開始した。


 予定通りドレンス男爵が部隊を率いて崖の上の城の接近した。すると反乱軍も城壁の上に集まり、防御態勢に入る。


「敵の接近を許すな! 矢を放て!」


 反乱軍が城壁の上から矢を放ち、ドレンス男爵の部隊を阻止する。ドレンス男爵は部隊を少しだけ後退させて、弓の射程距離から離れる。


「よし、このままキーアン様がお戻りになるまで待つ! そうすれば我々の勝利だ!」


 反乱軍の意図は明らかに『時間稼ぎ』だ。可能な限り時間を稼いで、反乱軍のリーダーであるキーアンが戻ってくるのを待つ。そしてキーアンが戻ってきたら、ドレンス男爵の部隊を前後から挟撃するつもりなのだ。


 この状況を突破するためには、一刻も早く城を奪還するしかない。しかし崖の上の城は強固過ぎて、ドレンス男爵の部隊では奪還出来そうにない。誰が見ても不利過ぎる状況だ。


 反乱軍は余裕のある顔で、ドレンス男爵の部隊を見下ろした。もう戦闘に勝ったような態度だ。だが……彼らは知らない。こちらの本命は、ドレンス男爵の部隊ではなく……たった2人の人間だということを!


「……よし、始めよう」


 崖の下で月明りを浴びながら、俺はそう呟いた。すると隣から長身の男が「はい、ボス」と答えた。公爵である俺と、騎士団長のレイモンが……これからこの遥か高い崖を登る。


「いいのか、レイモン? 流石のお前でもこの崖登りは危ないぞ」


「何言ってるのですか、ボス?」


 レイモンが笑った。


「自分はもう何年もボスの背中を追ってきました。ボスと一緒だと、たとえ地獄でも怖くありませんよ」


「へっ」


 俺も笑った。俺にとって兄みたいなこの戦士は、いつも頼もしい。


 俺たちは片手に戦闘用の鎌を持ち、崖を登り始めた。崖はほとんどが頑丈な岩石で出来ていて、傾斜もほぼ垂直に近い。だがよく見たら、所々に掴める石がある。石を掴んで慎重に体重を載せ移して、少しずつ上に向かう。適当な石が無かったら鎌を崖に叩き込んで掴みどころを作る。そうやって俺とレイモンは……高すぎる崖を登っていく。


 幸いなことに、今夜は月が明るい。ランタンや松明が無くても視野を確保出来る。それに雨が降ってくる可能性も無い。夜中に崖を登るには最適だ。


 しかしそれでも……このとんでもないほど高い崖を登るのは容易ではない。この崖は王都の城壁である『守護の壁』よりも数倍高い。常人離れの体力と身体能力を持っている俺とレイモンにも、流石にこれは厳しい作業だ。


 精神を集中し、体力を維持しながら素早く次の位置に身を投げる。その慎重かつ大胆な行動をずっと繰り返さなければならない。少しでも集中が切れたら、一瞬で転落死してしまう。まるで重たい荷物を背負い、ずっと命懸けの綱渡りをしているような感覚だ。


 それでも俺とレイモンは登り続けた。失敗を恐れず、無謀過ぎる行動を繰り返すことが……今は逆に俺たちの命を支えている。そして命ある限り……俺たちはずっと上へと、ずっと前へと進み続ける!


「……ボス」


 どれだけ時間が経ったんだろうか。ふとレイモンが俺を呼んだ。いつの間にか俺たちの崖の最上部まで来ていた。ここからだと崖の上の城が見える。


「やっぱり監視は無いな。よし」


 城の方からは何の気配も感じられない。崖の方を監視している敵兵士はいないのだ。当然と言えば当然のことだ。反乱軍にも崖の方に兵力を配置するほどの余裕は無い。しかも今はドレンス男爵の部隊と対峙中だ。


 まさか崖を登ってくる人間がいるとは……誰も思っていない。こんな無謀な行動をするやつがいるとは誰も思っていない。常識的に考えて、それは当然のことだ。しかし俺からすれば……常識に囚われているやつらなんか、今まで何度も倒してきた!


 やがて俺とレイモンは崖の上の城に辿り着いた。城壁の真下の狭い平地に立って……静かに移動した。そして数分後、小さな木造の扉を見つけた。


「ここだな」


 それは非常口だ。崖に面する城壁を修理する時に使うものだ。俺は木造の扉を蹴っ飛ばして、城壁の中に侵入した。


「え……?」


 城の敷地を少し歩いたら、早速4人の敵兵士に遭遇した。俺とレイモンは問答無用でやつらを攻撃し、拳と蹴りで倒した。敵兵士たちは悲鳴を上げたが、戦闘の音に埋もれてしまった。ドレンス男爵が未だに敵の注意を引き付けてくれているのだ。


 俺とレイモンはそのまま城の本館に入った。城の本館は静かだ。メイドたちも見当たらない。戦闘に怯えて、自分たちの部屋に閉じ籠っているんだろう。こちらとしては都合がいい。


「レイモン」


「はい」


「俺はこのまま領主の執務室に向かう。たぶん反乱軍の指揮官はそこにいる。お前は裏口に行き、誰1人も逃げられないようにしろ」


「かしこまりました」


 レイモンが素早く裏口に向かう。もうこの本館は、たった2人の人間によって包囲されたのだ。


 俺は廊下を歩き、階段を登って領主の執務室まで行った。執務室の中から話し声が聞こえる。俺は迷いなく執務室の扉を蹴っ飛ばし、その中に踏み入った。


「な、何だ……!?」


 部屋の中には5人の兵士と3人の士官がいた。どうやら作戦会議中だったようだ。彼らはいきなり現れた俺の姿を見て驚き、動きが止まってしまう。


「あ……貴方は……!」


「俺はレッドだ。レッド・ロウェイン公爵だ」


 俺は笑顔で執務室の真ん中に行った。すると3人の士官はテーブルから立ち上がり、剣を構える。


「ど、どうやってここに……!?」


「崖を登ってきたのさ」


「そんな……そんなことが出来るわけが……!」


 3人の士官は驚愕する。俺はそんな彼らの顔を見渡した。


「俺がここに来た以上、お前らに勝算なんて無い。今すぐ戦闘を中止して降伏せよ。さすれば命だけは助けてやる」


「うっ……!」


 俺の気迫に圧倒され、3人の士官は冷や汗をかく。俺は少し間を置いてから話を続けた。


「俺は……お前らの不満を理解している」


「な、何だと……?」


「前回のルケリア王国との大戦で、この東部地域が戦場になった。しかし当時の国王は東部地域を利用するだけ利用し、戦争が終わった後は見捨てた。そうだろう?」


 反乱軍の士官と兵士は、驚愕した顔で俺の声を聞く。


「お前らが王国の現状に不満を抱くのは、とても自然なことだ。俺の遠征を嫌うのも理解出来る。だが……俺は当時の国王とは違う」


 俺は淡々と言った。


「俺は1度やると言ったら、必ずやり遂げてきた。公爵たちの軍隊を撃破し、王都を治めて、遥か高い崖も登ってきた。そんな俺が約束する。ルケリア王国との戦争が終わったら……この東部地域の平穏を取り戻してやる」


「……ふ、ふざけたことを!」


 士官の1人が剣を振るい、俺を攻撃しようとする。だがやつの剣が動くよりも早く、俺の蹴りがやつの手を強打する。士官は剣を落として無力化される。


「いい勢いだ」


 俺は士官の顔を眺めた。


「その勢い、俺に貸せ。来るべきルケリア王国との決戦で……お前も俺と一緒に戦うんだ」


「くっ……」


 反乱軍の士官は驚愕の顔で何も言わない。もうこの部屋で俺に楯突こうとする者はいない。


 俺は扉の近くの兵士を見つめた。


「おい、お前」


「は……はい!」


「もうお前らの指揮官は俺に制圧された。戦闘を中止して城門を開けるんだ。城壁の上の仲間たちにそう伝えろ」


「はい!」


 兵士が急いで執務室から出た。そして数分後、城は完全に俺たちの手に入った。

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