第499話.約束する
真っ暗な空の下で、数百の兵士が隊列を組んで歩く。奇襲されないように周りを警戒しながら、山と山の間の道路を沿って歩いていく。
俺はケールに乗って最先頭で歩いた。俺のすぐ後ろにはレイモンとドレンス男爵が歩いている。兵士たちはこの3人の指揮官の背中を追っているのだ。
進軍の途中、俺はドレンス男爵の方をちらっと見た。彼は強張った顔で口を噤んでいる。自分の動揺を抑えるために……必死に頑張っている。
ドレンス男爵が動揺するのは当然のことだ。いきなり領地で内紛が起きて、反乱軍が領主である自分の命を狙ってきたのだ。信じていた者たちの裏切り……誰でもまともな精神ではいられない状況だ。
しかしこういう時こそ指揮官は冷静を維持するべきだ。指揮官が冷静を失うと兵士たちの間にも動揺が広がり、部隊の士気と規律はズタズタになる。ドレンス男爵もその事実を知っているから、必死に自分の動揺を抑えて冷静を保とうとしている。俺はそんな彼の心構えを尊重し、敢えて何も言わなかった。
「……そろそろ限界だな」
進軍開始から2時間くらい経った時、俺はそう呟いた。俺の騎兵隊はまだ気力が残っているけど、ほとんどが歩兵のドレンス男爵の部隊は……もう疲労が極限に達している。これ以上の進軍は自殺行為だ。一刻を争う状況下だが、戦う前に自滅するわけにはいかない。
「ドレンス男爵」
「はい、公爵様」
「ここら辺で野営地を構築する」
「はい、承知致しました」
俺とドレンス男爵は急いで指示を出して、湖の近くに野営地を構築させた。兵士たちは疲れた顔で作業を進めて、約1時間後、やっと休めるようになった。
「レイモン、周辺への警戒はいつもより強めにしておけ」
「はっ」
敵の規模や位置がはっきりとしない状況で、奇襲でもされたら危険だ。警戒はしっかりするべきだ。
兵士たちはもう休憩に入ったが、指揮官たちはまだ仕事が残っている。状況を整理して対策を練るために、これから作戦会議を行う。
俺とレイモン、そしてドレンス男爵は指揮官用の天幕に集まり、まず現状を確認した。
「自分の部隊の戦力はまだ健在です」
ドレンス男爵が強張った顔で言った。
「先ほどの戦闘では、不意の奇襲を受けて苦戦してしまい……公爵様のお助けが無かったら危険に陥ったはずです。しかしもうあんな醜態は晒しません。反乱軍がどれだけいようが、全部撃破してみせます」
「……反乱軍の規模について、見当はついているのか?」
俺の質問に、ドレンス男爵の顔が更に強張る。
「城の常備軍が全員反乱に加担したはずがありません。そう考えると、反乱軍は最大でも約8百くらいだと推測出来ます」
「問題は、反乱軍がもう城を占拠しているかどうか……その点だな」
「……はい」
ドレンス男爵が拳を握りしめて、必死に動揺を抑えようとする。
「軍馬用の乾草を含めて、現在の食糧では最大でも5日が限界です。城から補給を受けないと、部隊が瓦解する恐れがあります」
「そうか」
俺は頭の中でドレンス男爵領の地図を思い浮かべた。現在、俺たちは城から結構近い位置にいる。明日進軍を再開したら、たぶん午後には城に辿り着ける。しかし……城はもう反乱軍の手に入っている可能性が高い。
「俺の騎兵隊が百、あんたの歩兵隊が2百……総数3百の戦力だ。最悪の場合、この3百で城を奪還しなければならないな。しかも5日以内に」
俺が苦笑いしながらそう言うと、ドレンス男爵が苦悩の表情を浮かべる。
「本当に申し訳ありません、公爵様」
ドレンス男爵が深々と頭を下げる。
「自分が領主として不甲斐ないせいで領地の管理すら出来ず、反乱が起きてしまい……公爵様の御身に危険が及びました。この失態は……全て自分の過ちです」
「いや、俺は別にあんたを責めるつもりはない」
俺は首を横に振った。
「この反乱は、アルデイラ公爵によって数ヶ月前から計画されていたはずだ」
「アルデイラ公爵が……」
「そうだ。俺を仕留めるために、やつが仕掛けた罠だ」
俺は微かに笑った。
「王都地域から追い出された時点で、アルデイラ公爵は自分の敗北を予感していた。しかしやつは諦めたりしない。たとえ敗北して、領土を全部奪われても……俺を仕留める罠を用意したのさ。それが……このドレンス男爵領の反乱の真相だ」
その説明を聞いて、ドレンス男爵が目を丸くする。
「じゃ、反乱軍の背後にはアルデイラ公爵がいるのですか?」
「もちろんだ。事前にあんたの側近の誰かを懐柔しておいたんだろう」
俺はドレンス男爵を見つめた。
「正直に言えば、俺はあんたがアルデイラ公爵の協力者かもしれないと疑った。しかしエデュアルドの態度からして、あんたは白だと分かった」
そう言ってから、俺はレイモンの方に視線を移した。
「レイモン、やつを連れてきてくれ」
「はっ」
レイモンが迅速に天幕を出て、1人の男を連れてきた。それはもちろん巨体の猟師、エデュアルドだ。
「エデュアルド……」
ドレンス男爵が苦悩の表情でエデュアルドを見つめる。
「まさかお前も……反乱に加担していたとは……」
「領主様……」
エデュアルドは項垂れて口を噤んだ。俺は少し間を置いてから話を再開した。
「エデュアルドはライモラ山脈で俺と戦い、敗れた。そして俺が反乱軍のリーダーについて聞くと、頑なに口を閉ざした。どうやらエデュアルドは反乱軍のリーダーに強い忠誠心を持っているようだ」
俺はドレンス男爵を注視した。
「ドレンス男爵、あんたなら反乱軍のリーダーの正体について心当たりがあるんじゃないか?」
「……はい」
ドレンス男爵が深くため息をついた。
「ここまでの反乱を実行出来て、かつエデュアルドが忠誠を尽くす人物なら……1人しかいません」
「誰だ、そいつは?」
「『キーアン・ドレンス』……自分の伯父です」
ドレンス男爵がもう1度ため息をつく。
「前代のドレンス男爵、つまり自分の父が急病で世を去って、自分が男爵の爵位を相続しました。しかし実質的な権限なら……未だに伯父のキーアンの方が大きいです」
「なるほど」
若い甥と、権力者の伯父の争い……貴族社会ではよくあることだ。
「そのキーアンってやつは、俺の東部遠征を嫌っていたんだろう?」
「……はい」
ドレンス男爵の顔が苦しみと悲しみに歪む。
「公爵様の東部遠征が始まったと聞いて、自分はやっと何かが変わるかもしれないと期待しました。だが……キーアンは、伯父は言いました。その……公爵様のことを信じられないと」
「ま、ありふれた話だ。既存の秩序に慣れている人間ほど、変化を嫌うのは自然なことだからな」
俺はニヤリとした。
「俺に対する反感と、アルデイラ公爵の扇動……そしてルケリア王国への恐怖。これらの要素が相まって、キーアンは決心したわけだ。『レッドを排除して、ルケリア王国に降る』という決心をな」
「……それだけではありません」
ずっと黙っていたエデュアルドが口を開いた。
「キーアン様が反乱を決心した理由は、それだけではありません」
「じゃ、他に何があるんだ?」
「王都地域の人間に対する不信感です」
エデュアルドが即答した。
「ご存じ通り、前回の大戦でこの東部地域は大きな被害を受けました。それで当時の国王は我々に約束してくれました。『戦争に勝ったら、東部地域の被害の復旧を手伝ってやる』と。我々はその約束を信じて、必死に戦いました」
視線を落として、エデュアルドが話を続ける。
「1年に渡る激しい戦争で、大きな犠牲を払い……やっとルケリア王国軍を撃退しました。しかし当時の国王は……約束を守らなかったんです」
エデュアルドの声に怒りが籠る。
「当時の国王は、王都地域の経済の方が優先だと言って、この東部地域には何の支援もしてくれませんでした。戦争中には我々から物資を山ほど徴発したのに、戦争が終わった後は何も手伝ってくれませんでした」
「……そうだったのか」
「元々東部地域は豊ではありません。それが戦争のせいで更に貧しくなり、治安が悪化して、あちこちで盗賊が現れました。すると王都地域の人間は……我々の故郷をこう呼びました。『野蛮な地』と」
エデュアルドは顔を上げて、俺を見つめる。
「ご理解頂けましたか、公爵様? 我々がルケリア王国に降ろうとするのは、単にルケリア王国が怖いからではありません。もうこのウルぺリア王国には……守る価値なんて無いと思ったからです」
「……ああ、理解した」
俺は頷いた。
「東部地域の人々が、王国の現状に対して不満を持っているのは知っていた。しかし……その不満は、俺の予想よりも根深いみたいだ」
俺とエデュアルドの視線がぶつかった。
「俺は実現出来ない約束はしない。だから、この東部地域の問題を完璧に解決してやるとか、そんな無責任な発言をするつもりは無い」
「……そうですか」
「だが……これだけは約束する」
俺は拳を握りしめた。
「昨日よりいい明日を迎えるために、誰かが今日戦わなければならないのなら……俺は喜んで戦うつもりだ。それはこの東部地域に対しても同じだ。この地の人々に、もっといい明日を約束する」
「もっといい明日を……」
エデュアルドが悲しい顔で呟いた。




