第493話.裏を探ってやる
午後2時、予定通り俺とレイモンはドレンス男爵と合流し、城から出発した。目的地はもちろんライモラ山脈だ。
俺とレイモンは百の騎兵隊を、ドレンス男爵は2百の歩兵隊を率いて荘厳な山々に向かった。天にまで届きそうな山々は真っ白な雪に包まれて、まるで人間の挑戦を嘲笑うように静粛に立っている。
「こんな時期に軍隊が動くなんて……何があったんだ?」
「まさか山脈に向かうのか?」
俺たちの進軍を見て城下町の領民たちが驚く。無理もない。まだ寒波が完全に去っていないのにライモラ山脈へ進軍するなんて、前代未聞のことのはずだ。でもこちらにはちゃんとした理由がある。『ライモラ山脈の道路を封鎖し、アルデイラ公爵の身柄を捕獲する』という理由が。
もしアルデイラ公爵が別の領地に行った場合は、ゲッリトたちが追跡してくれるはずだ。王都の方ではコリント女公爵が追跡を続けているし、山脈の道路まで封鎖すれば『王国最悪の陰謀家』も袋の鼠になってしまうだろう。
「だがな……」
ケールに乗って歩きながら、俺は苦笑いした。だが……やつがこのまま素直に倒れてくれるはずがない。現にこのドレンス男爵領では、俺の知らない何かが起きている。
進軍の途中、俺は部隊の指揮をレイモンに任せてドレンス男爵に近づいた。するとドレンス男爵が感嘆の声を上げる。
「おお……近くで見ると公爵様の軍馬は本当に素晴らしいですね!」
ドレンス男爵は目を輝かせて、ケールの方を見つめる。どうやら彼は軍馬に興味があるみたいだ。
「やっぱり南方大陸の純血軍馬は違いますね!」
「分かっているのか。ケールという名前だ」
俺は手を伸ばしてケールの頭を撫でてから、ドレンス男爵の乗っている茶色の軍馬を眺めた。
「あんたの乗っている軍馬もかなりいいやつみたいだが」
俺がそう言うと、ドレンス男爵が嬉しく笑う。
「はい。実は、私の祖父の代からドレンス男爵家は名馬の育成に励んでおります」
ドレンス男爵が笑顔で説明を始める。
「城内の厩舎で王国中の名馬を交配させ、最高の軍馬を目指して育てております。東部地域ではそれなりに有名です」
「なるほど」
俺は頷いた。領主の中で武人気質のある人は、軍馬の育成を趣味にしている場合がある。このドレンス男爵もその1人みたいだ。
俺とドレンス男爵はしばらく軍馬に関して話し合った。ドレンス男爵は堅実な人だが、軍馬の話になるとお喋りになるみたいだ。俺の婚約者、シルヴィアが思い浮かばれて内心笑った。
「ところで、ドレンス男爵……」
俺は機を見て話題を変えた。
「先週、あんたが指示して狼の群れを駆逐したと言ったな?」
「はい。山脈に詳しい人を集めて派遣し、狼を駆逐させました」
「その時、死傷者は出なかったか?」
「死傷者ですか……」
ドレンス男爵の顔が少し暗くなる。
「負傷を負った人が3人くらい、そして死亡者が1人出ました。領地の安全のために必要な戦いだったとはいえ、悲しいことです」
俺はドレンス男爵の顔を注視した。嘘偽りは感じられない。
「ライモラ山脈の狼は本当に凶暴です。死んだ人も腕のいい猟師だったのですが、急に襲われて……しかも遺体の損傷が酷くて、回収も出来なかったみたいです」
ドレンス男爵は真面目な顔でそう言った。ミラから聞いた話と一致する。
もしミラの夫が本当に狼じゃなくて人間に殺された場合、このドレンス男爵が犯人の可能性もある。美人のミラを奪うために、部下に指示してその夫を殺した……そういうことも普通にあり得る。
でも……今のところ、ドレンス男爵が何かを隠しているような様子は見られない。
「ドレンス男爵」
「はい、公爵様」
「あんたの部下たちが見つけた狼の巣なんだが、俺にその位置を案内してくれないか?」
「はい……?」
ドレンス男爵が首を傾げる。
「どうして公爵様が狼の巣なんかを……」
「実は、俺は狩猟が趣味なんだ」
俺は笑顔で嘘をついた。
「凶暴な野獣を直接狩って、その首を壁に飾る。俺には最高の楽しみだ」
「そうだったのですか、なるほど」
ドレンス男爵が頷いた。武人気質の領主は狩猟を趣味にしている場合が多い。この男爵は軍馬育成が趣味だし、納得するだろう。
「で、ライモラ山脈の凶暴な狼も……俺の狩りたい獲物の1つだ」
「あの時駆逐された狼の革なら、まだ城の倉庫に保管されていますが」
「俺は死んだ狼に興味があるわけではない。生きている狼の習性が知りたいんだ。巣を直接確認したい」
「なるほど、なるほど」
ドレンス男爵は何度も頷いたが、同時に少し困惑な顔をする。平時ならいざ知らず、まさか公爵ともあろう者が作戦中に自分の趣味を優先するとは……思ってもいなかったんだろう。
「……かしこまりました。公爵様のご要望でしたら、狼駆逐に参加した人を呼んで案内させるとします」
「ありがとう」
俺は頷いた。これであの手紙の真偽が分かる。そして差出人の意図を探ってやる。
---
俺とドレンス男爵の部隊は人の住む町から離れて、巨大な影の中に入った。大自然の要塞の下に辿り着いたのだ。
「……でかすぎるな」
ライモラ山脈を近くで見上げて、俺は苦笑いした。もう巨大すぎて全貌がよく分からないくらいだ。雲を纏っている山が地平線の向こうまで続いている。本当に神々しい光景だ。
「本当にブルカイン山脈より数倍大きいみたいですね」
隣からレイモンも感嘆の声を出した。この王国の中央に位置するブルカイン山脈も大きいけど、ライモラ山脈の巨大さは比較を絶する。
「この山脈に妖精が住んでいる、みたいな内容の童話もありました。確かにこれは……そんな話があってもおかしくありませんね」
「エイミちゃんはそういう童話が好きなのか?」
「はい」
レイモンが笑った。彼の娘、エイミももう2歳を越えた。
「ま、別に部隊を連れて山脈を登るわけではない。道路をしっかり封鎖すればそれでいい」
「はい」
俺とレイモンは後ろを振り向いて、騎兵隊を見つめた。俺の騎兵隊は全員歴戦の戦士だが、彼らもライモラ山脈の風景には驚いているみたいだ。
一羽の鷹が空高く飛びながら、俺たちを見下ろす。大自然の偉大さを誇っているようだ。
「公爵様」
その時、1人の軍士官が俺に近づいた。服装からしてドレンス男爵の部下だ。
「自分はドレンス男爵家に仕える士官、『エデュアルド』と申します」
エデュアルドが深く頭を下げる。強靭な体格と髭だらけの顔をしている、まさに『山男』だ。
「話は聞いております。公爵様のご要望に従い、自分が狼の巣までご案内致します」
「ありがとう」
俺は頷いてから、隣のレイモンに小声で話した。
「さっき話した通り、俺はこの領地の裏を探ってみる。ケールと部隊はお前に任せる」
「はい」
「ドレンス男爵は信頼出来そうだが、警戒を怠るな」
「承知致しました」
レイモンが頷いた。彼なら問題無いだろう。
「ボスもどうかお気をつけてください」
「俺なら心配するな」
俺はケールから降りて、エデュアルドに近寄った。
「じゃ、山の奥に行ってみるか。俺とあんたで」
「まさか、護衛無しで……お1人でいらっしゃるつもりですか?」
エデュアルドが驚いて目を丸くする。俺は笑った。
「俺の噂を聞かなかったか? 俺は1人で動くのが好きだ」
「でも……ライモラ山脈は危険が多いです。遭難したり、野獣に襲われたりすることも……」
「だからあんたがいるんだろう? 信頼出来る道案内さんが」
「……かしこまりました」
エデュアルドが強張った顔で頷く。
「では出発致します。さあ、こちらへ」
「ああ」
俺とエデュアルドは道路から離れて、山の入り口に向かった。ここからはもう公爵も平民も無い。俺も小さな人間として、大自然に挑戦するわけだ。
「自分の歩いた道をしっかりついて来てください」
「分かった」
エデュアルドが先行して山を登り始め、俺はその後ろを歩いた。冷たくて新鮮な空気、そして木々の影に包まれて……俺たちは山道を登っていった。




