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第491話.崖の上の城

 東部地域の北側には『ライモラ山脈』がある。これは王国中でも、いや、大陸中でも屈指の巨大さを誇る山脈だ。地形も険しくて、『ライモラ山脈に進軍する』という言葉は『愚かなことをする』という意味で使われるくらいだ。


 しかし大規模の軍隊ではなく少数の集団なら、ライモラ山脈を通ることも可能だ。狭いけど道路があるし、万全の準備をすれば旅も出来る。


 王都地域からライモラ山脈を通って東部地域に渡り、そのままルケリア王国まで逃げる……アルデイラ公爵としては1番安全な逃走経路だ。


「ボス、前方に」


 隣からレイモンが言った。前方から数人の騎兵隊が現れて、こちらに向かっている。ドレンス男爵の部下たちなんだろう。道を急いでいたら、俺たちはいつの間にかドレンス男爵領に進入したのだ。


 やがて騎兵隊は俺の前まで来て、一斉に馬を止める。


「ロウェイン公爵様でいらっしゃいますか?」


 騎兵隊の1人が緊張した顔で聞いてきた。俺が「ああ」と答えると、彼らは丁寧に頭を下げる。


「お目にかかれて光栄です、公爵様。此度はどのようなご要件でこのドレンス男爵領にご訪問なさったのでしょうか?」


「それは機密事項だが、とにかく急を要することだ」


 俺は無表情で答えた。


「既にお前たちの主、ドレンス男爵から軍事協力の約束をもらっている。本城まで案内してくれないか」


「……かしこまりました」


 ドレンス男爵の騎兵隊は素直に道を案内する。俺とレイモンは部隊を率いて城に向かった。


 ドレンス男爵の城は小さいけど頑丈そうに見えた。厚い城壁に囲まれている。しかも城全体が急な崖の上にあって、北の方は高い山々だ。たとえ大軍が侵攻してきても、この城を攻め落とすには一苦労するだろう。


 城門を通って城の敷地に入ると、1人の中年男性が近づいてきた。服装からして彼がこの地の領主、ドレンス男爵なんだろう。


「お初にお目にかかります、ロウェイン公爵様」


 中年男性が丁寧にお辞儀する。


「私はコーナー・ドレンスと申します。この地を束ねております」


「俺はレッドだ」


 俺は軍馬から降りて、ドレンス男爵と握手を交わした。


「急に来てすまないが、現在、緊急を要する作戦を遂行中だ」


「かしこまりました」


 ドレンス男爵が慎重な顔で頷いた。


「詳細なことは城の中でお伺い致します。こちらへ」


「ああ」


 俺はレイモンに部隊を任せて、ドレンス男爵と一緒に城の本館に入った。城の本館にしてはあまり大きくない建物だ。


「粗末な城で申し訳ありません」


 本館に入るや否や、ドレンス男爵が笑顔でそう言った。


「公爵様のようなお方には、こんなむさい城は合わないでしょう」


「いや、別にそんなことはないさ」


 俺は首を横に振った。


「俺は貴族というより軍人だ。それに、ちゃんと整備されたいい城だと思っている」


「ありがとうございます」


 ドレンス男爵が笑った。


 俺は彼と城の食堂に入り、簡単な食べ物を食べながら話し合った。ドレンス男爵は慎重な顔になり、俺の説明を聞いた。


「つまり……」


 俺の説明が終わると、ドレンス男爵が口を開く。


「戦争に敗北したアルデイラ公爵が、現在逃走中であり……この地に入ってくる可能性が高い、ということですね」


「ああ、そうだ」


「なるほど……」


 ドレンス男爵が何度も頷く。


「確かに仰る通りです。ライモラ山脈の方からルケリア王国へ逃走するつもりなら、このドレンス男爵領を通るしかありません。主要道路を封鎖すれば、逃走中のアルデイラ公爵を捕獲出来るでしょう」


「じゃ、協力してくれるか?」


「はい、もちろんです」


 ドレンス男爵が笑顔で答えた。


「この王国の救世主たるロウェイン公爵様に協力出来ることは、私としても光栄でございます」


「ありがとう。じゃ、俺の部隊を山脈の方に案内してくれ」


「いえいえ、公爵様がお手を煩わせる必要はございません」


 ドレンス男爵がまた笑った。


「私にお任せください、公爵様。私の部下たちはライモラ山脈に詳しいです。誰1人も逃げられないように、完璧に道路を封鎖してみせます。公爵様はこの城でごゆっくりなさっても……」


「心遣いはありがたいが、そうはいかないんだ」


 俺は無表情でそう言った。


「アルデイラ公爵が少し特殊な連中を連れている。あんたを信頼出来ないわけではないが、俺が直接相手したい」


「かしこまりました」


 ドレンス男爵が素直に頷く。


「明日、私が直接ライモラ山脈までご案内致しましょう」


「ありがとう。助かるよ」


 俺は頷いた。現地の領主と協力すれば、作戦も円滑に遂行出来るだろう。


「そう言えば……」


 俺はクッキーを1口食べて、話題を変えた。


「このドレンス男爵領は、狼の群れによって被害を受けていると聞いたが」


「はい。恥ずかしながら、そうでございます」


 ドレンス男爵が頷いた。


「ご覧の通り、ドレンス男爵領は巨大な山脈のすぐ隣に位置していて……たまに降りてきます。山から狼の群れが」


「それは大変だな」


「はい。狼を駆逐しようとしても、連中の巣は険しい山の奥にあります。熟練した猟師も手をあぐねる場合が多いです」


 ドレンス男爵は軽くため息をつく。


「それで昔から領民の住む村が狼の群れに襲われたりしました。酷い時は村が捨てられることすらあります」


「兵士ならともかく、一般の領民が狼の群れに対抗するのは難しいからな」


 俺は腕を組んで2年前のことを思い出した。狼の群れに襲われた村の村長が、俺に助けを求めたことがある。


「幸いなことに、つい先週私の部下たちが山の奥で狼の巣を発見し、駆逐することに成功しました。これでしばらくは静かになるでしょう」


「そうか。ご苦労だったな。領主として自分の領民を守るのは基本だが、素晴らしいことだ」


「ありがとうございます」


 ドレンス男爵が嬉しい笑顔を見せる。


 俺はしばらくドレンス男爵と他愛のない話をしてから、城のメイドに案内されて客室に向かった。城はどこも綺麗に掃除されていて、廊下には体格のいい兵士たちが警備に当たっている。みんななかなかよく訓練されているように見える。


 だが……何の前兆もなく、俺は妙な空気を感じ取った。この城には……得体の知らない緊張感が漂っている。敢えて言うなら、激しい戦闘の直前みたいな緊張感だ。

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