第489話.逃走中の陰謀家
その知らせが届いたのは、午後1時頃だった。俺と側近たちが作戦室に集まり、これからの戦略について話していた時……1人の男が入ってきた。
行商人に見える男は深々とお辞儀してから、鳩さんに1通の手紙を渡す。鳩さんはその手紙の内容を確認し、俺の方を見つめる。
「頭領様」
「どうした、鳩さん? 急な知らせでも入ったのか」
「はい」
鳩さんが真剣な顔で頷いた。何か大事な情報が届いたに違いない。みんなそう直感して、鳩さんを注目する。
「正式な報告はまだですが、約1週間前、コリント女公爵様がアルデイラ公爵の本城を陥落された模様です」
それを聞いてみんな感心を声を漏らした。これは想像よりも大事な情報だ。
俺たちが東部遠征をしている間、南の方ではコリント女公爵が戦っていた。あらゆる陰謀を企み、俺たちを何度も苦戦させた陰謀家……アルデイラ公爵を倒すために戦っていたのだ。そしてついに決着がついた。
「アルデイラ公爵が倒されたのか。いい知らせだな」
「はい、ですが……」
鳩さんが強張った顔で話を続ける。
「どうやらアルデイラ公爵の身柄を確保することには失敗したようです」
「何?」
「本城が陥落される直前、アルデイラ公爵は数人の部下と共に脱出し……現在は行方不明とのことです」
「……やってくれたな」
俺は苦笑いした。
「ま、アルデイラ公爵は『青髪の幽霊』を雇っているからな。連中の力を利用すれば、そう簡単には捕まらないはずだ」
「あいつらね」
俺の隣に座っている白猫が顔をしかめた。
「いい加減倒されて欲しいんだけどね」
「まあな」
俺は軽く頷いた。
ルケリア王国で伝説と呼ばれた暗殺集団『青髪の幽霊』……俺と白猫はもう何度もやつらとぶつかったが、結局撃滅することは出来なかった。
「アルデイラ公爵はこれからどうするつもりなのかな?」
シェラが口を開いた。
「もうお金も権力も、全て失ったんでしょう? このまま遠くに逃げるつもりかな?」
「もしかしたら、ルケリア王国への逃走を図っているかもしれません」
レイモンがそう言った。
「アルデイラ公爵は以前からルケリア王国に協力していました。ルケリア王国軍の力を借りて、自分の復権を狙う可能性もあるかと」
「確かにその可能性は高い」
俺は腕を組んだ。
「ルケリア王国軍としても、順調にこちらを侵攻するためには『現地に詳しい案内者』が必要だ。アルデイラ公爵は『王族の傍系』という看板も持っているし、最適の案内者になり得る」
「最適じゃなくて最悪でしょう?」
シェラが嫌な顔をする。
「悪いことばかり企んで、結局負けたくせに……今度は外部の侵略軍を連れてこようとするなんて。恥ってものを知らないのかな」
「へっ、やつは恥なんかもうとっくの昔に捨てたのさ」
アルデイラ公爵との会談を思い出して、俺は笑った。
「あの……」
ゲッリトが手を上げる。
「あいつ、まだこの王国のどこかにいるんでしょう? ルケリア王国に逃げる前に捕まえることは出来ないんでしょうか?」
「それが出来ればいいけど……」
俺はテーブルの上の地図を見つめた。
「ルケリア王国に行くためには、この東部地域を通って更に東に進む必要がある。東部地域の領主たちと協力すれば、逃走中のアルデイラ公爵を補足出来るかもしれない。だが……この地域は広大だ。可能性は高くないだろう」
「海路の方はどう?」
白猫が地図の上のコスウォルトを指さす。
「個人がルケリア王国へ旅する場合、まず船でコスウォルトまで行って、そこの港で貿易船とかに乗り換えた方が最も早いわ。アルデイラ公爵もそれを狙ってるんじゃない?」
「確かに海路が最も早いけど、今は無理だ」
俺は首を横に振った。
「現在、コスウォルトまでの海路はコリント女公爵の艦隊によって封鎖されている。逃走用の小さな船では、封鎖を突破することも遠回りすることも出来ない」
「じゃ、アルデイラ公爵は陸路で移動しているってことか」
白猫が頷いた。
「陸路の場合、最短の道はここペルゲ男爵領でしょう?」
「そうだ。現在俺たちのいるペルゲ男爵領を通じて、東部地域を横断するのが最も早い。だが……」
俺はまた首を横に振った。
「アルデイラ公爵の性格上、俺たちの目の前を通るような冒険はしないだろう。警備を強化する必要はあるが、たぶんやつは別の道を選んだはずだ」
「別の道……北の方の?」
「ああ」
俺は地図の上から東部地域の北側を指さした。
「東部地域の北側は、険しい山脈に囲まれているが……道路が無いわけではない。頑丈な馬車があれば十分通れると聞いた」
「山脈を超えて東部地域に進入し、そのままルケリア王国まで逃げることも出来るわけね」
「時間はかかるが、それがアルデイラ公爵には最も安全な道だ」
俺の説明を聞いて、みんな頷いた。
「では、騎兵隊を派遣するのはどうでしょうか?」
レイモンが提案してきた。
「騎兵隊で北側の主要道路を封鎖すれば、アルデイラ公爵の進路を防げるかもしれません」
「可能性は高くないが……やってみるしかないか」
俺は小柄の副官を見つめた。
「トム、騎兵隊を用意させろ。俺と赤竜騎士団が出る」
「はっ!」
トムが素早く作戦室から出る。
「またレッドが行くつもりなの?」
シェラが俺を見上げた。俺は「そうだ」と頷いた。
「まだ寒波は終わっていない。まともに動けるのは俺や赤竜騎士団くらいだ。それにアルデイラ公爵は凄腕の暗殺者たちを連れている。俺が行った方がいい」
「うん、分かった。気を付けてね」
シェラが頷いた。俺は猫姉妹の方を振り向いた。
「白猫と黒猫は、このペルゲ男爵領の道路を監視してくれ。万が一の場合もあるから」
猫姉妹が頷いた。
「他のみんなは通常通り動いてくれ。ただし、警戒を怠るな」
側近たちと同盟の指揮官たちが頷いた。
「では行くぞ」
俺が席から立ち上がると、赤竜騎士団の6人も立ち上がった。
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約1時間後、俺と赤竜騎士団は軍馬に乗って遠征軍本部から出た。俺たちの後ろには3百の騎兵隊がいる。
「やっと動けるんですね」
革鎧姿のゲッリトが言った。
「ここ最近、ずっと本部で過ごして退屈でした」
「寒くないか、ゲッリト?」
俺が笑顔で聞くと、ゲッリトは「いいえ、全然」と答えた。
「俺は赤竜騎士団の狼ですよ。これくらいは何ともありません」
「へっ」
俺は笑って、速度を上げた。すると赤竜騎士団と騎兵隊も速度を上げて……俺たちは真っ白な山々に向かって走り続けた。




