第486話.辿り着いた答え
東部地域の寒波は予想していたよりも厳しいものだった。でも遠征軍の兵士たちは寒波にも負けずに自分の役目を全うしている。
雪の降る朝……数台の荷馬車が道路を走ってきて、遠征軍本部の前で止まる。すると警備に当たっていた兵士たちが急いで荷馬車に近づき、御者の顔と荷台の中を確認する。荷台には大量の木材が載せられている。
「異常無し!」
兵士たちが城壁の上に向かって合図を送る。すると城壁の上に立っていた兵士が「門を開けろ!」と叫び、荷馬車を本部の中に迎え入れる。
荷馬車は兵士に誘導され、遠征軍本部の東に向かう。そして東の城壁の前で停止し、荷台から木材を降ろす。
「せい、の!」
「うっしゃ!」
十数人の兵士が重たい木材を担ぎ上げて、城壁の上まで運ぶ。そして槌と釘を使い、城壁を木材で補強する。
「よし、一件落着だな」
約1時間後、やっと城壁の補強が終わる。この城壁は敵の侵攻を防ぐためだけのものではない。厳しい寒波から遠征軍を守ってくれる垣でもある。
「これなら冬の間も問題無さそうだ」
自分たちの手で、自分たちの居場所の垣を作り……兵士たちは笑顔になる。疲れて汗を流しながらも、彼らは眩しい笑顔を見せる。
どうして彼らは笑っていられるんだ? 厳しい寒波の中で、まだ戦いもたくさん残っているのに……どうして彼らは強く生きられるんだ?
兵士としての義務感? 総指揮官の俺への忠誠心? 王国への思い? それらも理由の1つかもしれないが……もっと根本的なものがある。それは……やはり希望だ。
希望というのは、一見何の価値も無いものに見えたりする。別に希望があるからって厳しい現実が変わるわけではないからだ。でも……希望があるからこそ、人間は厳しい現実に対抗し、よりいい明日に向かって進むことが出来る。作戦室の窓を通じて兵士たちの姿を眺めながら、俺はそう思った。
「総大将」
小柄の少年、トムが俺を呼んだ。いや、トムも20歳を超えているからもう少年じゃなくて青年だ。俺はその事実を思い出して内心笑った。
「王都からの支援物資が予定通りに届きました。これで今夜の新年パーティーは問題なく開催出来ます」
「そうか」
俺はニヤリとした。そう、今日は王国歴539年1月1日だ。1万3千に至る兵士が、遠征の途中新年を迎えたわけだ。そして今日は……俺とアイリンの誕生日でもある。
「総大将のお誕生日パーティーはどうなさいますか?」
「別に贅沢なパーティーをする必要はない」
俺は首を横に振った。
「俺たちはまだ戦場にいる。仲間たちと話しながら、パンとスープを食べればそれで十分だろう」
「かしこまりました。では皆さんにそう伝えておきます」
トムが作戦室を出た。俺はテーブルに座って書類仕事を再開した。
その日の夕方、予定通り新年パーティーが開かれた。兵士たちは兵舎の中で三々五々集まって、柔らかいパンと少しのお酒を味わった。
「今年も生き残ってやる! 絶対にだ!」
「お前っていつもそればかりだな。他に夢は無いのか?」
「俺は無事に生きることさえ出来れば幸せなんだよ!」
仲間たちと一緒に笑いながら、素朴なパーティーを楽しむ。そんな兵士たちの顔には純粋な笑みが浮かんでいる。不思議な話だが……俺には宮殿での豪華なパーティーより、こちらの素朴なパーティーが気楽で楽しい。
別に豪華な食べ物が嫌いなわけではない。でも宮殿でのパーティーは基本的に『貴族たちの政治の場』だ。ハリス男爵のように純粋に楽しむ人もいるが、極めて少数だ。ほとんどの貴族は……自分の権力と富を誇示し、競争相手を誹謗中傷するためにパーティーに参加する。
じゃ……平民は元々純粋で善な存在で、貴族は元々打算的で醜い存在なのか? 俺は違うと思った。子供の頃、俺に石を投げたやつらは普通の平民たちだったのだ。結局問題は……関係性かもしれない。
たぶん貴族たちも、信頼出来る仲間たちと一緒にいる時は純粋にパーティーを楽しむだろう。しかし『政治の場』ではそれが出来ない。平民たちもそうだ。希望を抱えている時は優しい笑顔でいられるが……希望を失うと、不安を払うために弱者を見つけて殴る。人間というのは、結局そんなものかもしれない。
もし爺やアイリンに出会わなかったら、もしトムやレイモンたちと仲間にならなかったら、もしシェラと恋人にならなかったら……俺は今とは全然違う人生を生きていたかもしれない。
「レッド」
ふと後ろから声が聞こえてきた。シェラだ。
「城壁の上で1人で何していたの? みんな待ってるわよ」
「ああ」
俺はシェラに軽くキスした後、城壁から降りて作戦室に向かった。
「ボス!」
「公爵様!」
作戦室に入ると、側近たちと同盟の指揮官たちが笑顔で迎えてくれた。トム、赤竜騎士団、カレン、白猫、黒猫、鳩さん、ハリス男爵、オフィーリア、リオン卿……俺はみんなの顔を見渡した。
「ボス! こちらに座ってください! ボスは今日のパーティーの主人公ですから!」
ゲッリトが笑顔で言った。俺は「へっ」と笑って真ん中の席に座った。
それからいつもの砕けた雰囲気のパーティーが始まった。俺と仲間たちは一緒に他愛のない話をしたり、パンを食べたり、腕相撲をしたりした。
「がはははは!」
ハリス男爵が豪快に笑う。このパン屋の店主みたいな人は、どこのパーティーでも純粋に楽しむ。本人が純粋だからなんだろう。
オフィーリアは少し戸惑う様子だ。当然と言えば当然だ。公爵の1人娘である彼女が、こんな砕けた雰囲気のパーティーなど経験したはずがない。しかもオフィーリアの父親であるウェンデル公爵は厳正な人間だ。たぶんあの人は1人娘の誕生日でも厳粛な顔をするだろう。
「オフィーリアさん」
戸惑っているオフィーリアに、シェラが話しかける。
「私、オフィーリアさんと話してみたかったんです」
「そうですか」
シェラとオフィーリアは隅の席に移動して、2人で話し合い始める。俺は2人が何を話しているのか気になったが……詮索する必要はないだろう。
パーティーの途中、ふと外から微かに歌声が聞こえてきた。これは……吟遊詩人見習い、タリアの歌だ。タリアが兵舎で兵士たちのために公演をしているのだ。俺たちはしばらくタリアの歌声に耳を傾けた。
「……私たちも負けられないわね」
俺の義姉、白猫が急にそう言った。
「私たちだけの歌の大会を開催しましょう!」
白猫の提案に、みんな拍手し出した。俺は内心苦笑した。
「歌の……大会、ですか?」
オフィーリアが目を丸くする。当然と言えば当然だ。公爵の1人娘が……人々の前で歌った経験なんてあるはずがない。
「大会と言っても、別に勝敗を決めるわけではない! 楽しめば勝ちってわけよ!」
白猫が笑顔で言った。
「それには同意出来ませんね、白猫さん」
ゲッリトが口を挟む。
「俺は、この大会でジョージのやつとの決着をつけるつもりです。格闘大会では引き分けだったから」
「な、何だと……!?」
ゲッリトの宣言にジョージが慌てる。
「ひ、卑怯だぞ、ゲッリト! 俺が歌下手だと知っているくせに……!」
「へん、知るか。参加しないとお前の負けなんだよ」
「こいつ……!」
ジョージがゲッリトの胸倉を掴んだ。子供か。
それから本当に歌の大会が始まった。俺を含めて、みんなが1曲ずつ歌って……オフィーリアも赤面になって歌った。いつも真面目なリオン卿も意外と歌上手だった。そして最後に歌ったのは……もちろん黒猫だ。
「空の向こうまで……小鳥たちは羽ばたき……」
俺の義妹、黒猫は小さな声で歌った。これはタリアの新曲だ。黒猫はいつもの無表情で、しかしいつもより感情の籠った声で歌い続けた。
「小さながらも……風を切って羽ばたき……」
やがて黒猫の歌が終わると、みんな拍手喝采を送った。黒猫の頬が少しだけ赤く染まる。そして俺は思った。これだけは……変えたくないと。
もし違う人生を生きていれば、俺はもっと強くなっていたかもしれない。本当に最強になって、もっと自分勝手に暴れていたかもしれない。だが俺は……そんなことよりみんなと一緒にいたい。みんなと一緒に笑ったり、歌ったり、冗談を言ったりして……時間を過ごしたい。それが……俺の辿り着いた答えだ。




