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第483話.運命

 夢から目を覚ました俺は、しばらく天幕の中に座って動かなかった。


「……負けたな」


 そう呟きながら自分の胸を見下ろした。傷は見当たらない。でも夢の中で感じた激しい衝撃はまだ残っている。


「ボス」


 レイモンが天幕に入ってきて、お湯の入った水筒を地面に置いた。俺は「ありがとう」と言った後、簡単に洗面して携帯食料を食べた。


 食事の途中、天幕の外から騒音が聞こえてきた。何か外が騒がしい。天幕の入口から外を眺めると、難民たちが列に並んでいるのが見えた。ヘレンさんが食料の配給をしているんだろう。


「あんた、欲を出すな! 他の人もたくさんいるんだぞ!」


「何言ってるんだ!? これは元々俺の分だ!」


 難民の群れの中で、若者と中年男性が揉めていた。あれが騒音の正体だ。配給の量で意見が食い違って、結局喧嘩になったのだ。戦乱には……いや、別に戦乱じゃなくてもよくある風景だ。貧民街では似たような喧嘩が毎日のように起きた。


「2人とも、落ち着いてください」


 ヘレンさんとレイモンが仲裁に入り、やっと喧嘩が終わる。それで他の難民たちも安心した顔になって朝の食事をする。そして食事の後は各々のやることを始める。薪を集めたり、冬に栽培できる野菜を育てたり、食べられる野草を探したり、狩りに行ったり、野営地の内部を整理したりする。雪に覆われた、この真っ白な森の中で……人々は希望を失わないように必死に生きている。


 俺はレイモンとケイル男爵と相談し、この地域の盗賊を駆逐する計画を立てた。盗賊たちから難民を守るためにも、そして経済の発展のためにも……まずは秩序を回復させる必要がある。


「公爵様」


 そして午前10時頃、俺の天幕に薄い金髪の女性が入ってきた。もちろんヘレンさんだ。


「座ってくれ」


「はい」


 ヘレンさんが俺の向かいに座る。俺は少し間を置いてから、話を始めた。


「昨夜、あんたがくれた薬を飲んで……夢を見たのさ」


「はい」


「夢の中で、俺はやつに出会った。この王国に滅亡をもたらす赤竜にな。赤竜は……俺と同じ顔をしている赤い肌の巨漢だった」


 ヘレンさんの顔が強張る。


「つまり……公爵様ご自身の姿だったのですか?」


「やつは俺であって俺ではない。そうとしか言い様が無い」


 俺は夢の中で目撃した『隻眼の赤竜』の過去を簡単に説明した。


「隻眼の赤竜はアイリンを見捨てて、鼠の爺を殺した。そして怒りと憎悪に満ちたまま、無意味な虐殺を続けている。俺に限りなく似ているけど……決定的に違う存在だ」


「そんな……」


「しかもやつは俺のことを『別の世界の自分自身』と呼んだ。それが本当なら、俺が夢の中で見たのは未来じゃなくて別の世界ということになる」


 俺は苦笑いして、ヘレンさんを見つめた。


「本当にそんなことがあり得ると思うか? 実は、俺はただ訳の分からない薬を飲んで幻覚を見ただけなんじゃないのか?」


「……こういう話を聞いたことがあります」


 ヘレンさんが視線を落とす。


「ある占星術師から聞いた話です。運命というのは人間が理解するにはあまりにも巨大で、たとえ予言の力があってもその片鱗の片鱗しか分からない。でも人間はたまに……その巨大な運命さえも変えることがある、という話でした」


「運命を変える、か……」


 俺はもう1度苦笑いした。


「以前、俺も似たような話を聞いたことがある。人と人の出会いこそが、運命を変える鍵かもしれないと」


 俺の仲間、カールトンから聞いた話だ。カールトンの祖母は占星術師だったらしい。


「つまり話をまとめると、俺はアイリンとの出会いで自分の運命を変えたわけだ。それで赤竜として目覚めることなく、別に無意味な虐殺も行っていない……ということだな」


 その言葉を聞いて、ヘレンさんの顔が明るくなる。


「もしそれが本当なら、公爵様はもう予言の赤竜ではありません。自分の運命を越えて……本当に救世主になられたのかもしれません」


「……喜ぶのはまだ早計だ」


 俺は腕を組んだ。


「隻眼の赤竜は俺に『ベルンの山で決着をつける』と言った。それはたぶん……まだ俺の運命が完全に変わったわけではない、という意味だ」


「完全に変わったわけではない……つまりまだ公爵様が赤竜として目覚める可能性が残っているという意味でしょうか?」


「そうだ」


 俺はしばらく考えてからまた口を開いた。


「……俺には理解出来るのさ。隻眼の赤竜の……怒りと憎悪が」


「怒りと憎悪……」


「ああ」


 俺は頷いた。


「信じられないかもしれないが、俺だって子供の頃から暴力が好きだったわけではない。人々から化け物と呼ばわれ、石を投げられ、殴られても……反撃しようともしない子供だった」


 俺の人生最初の記憶は、無抵抗で殴られる場面だ。俺はニヤリと笑った。


「でもそうやって殴られる度に、俺の胸の奥には怒りと憎悪が溜まっていった。そしてあるきっかけでそれが爆発して、俺は考えた。いつかは……俺を苦しめたやつらを全部殺してやると」


「公爵様……」


「そしてその怒りと憎悪は……まだ完全に消えたわけではない」


 俺は天幕の外を眺めた。数人の難民が視野に入った。


「……俺に石を投げたやつらは、別に盗賊ではない。俺を侮辱したやつらも、別に犯罪者ではない。どこにもいそうな……普通の平民たちだった」


 俺はヘレンさんに視線を戻した。


「分かるか? 人を見下す貴族たちももちろん憎かったけど……俺からすれば、平民たちも同じだ。自分より弱い者を見つけて、侮辱して、殴って、苦しめて……それで安心感を得ようとする平民たちも、俺からすれば殺したい対象だったのさ」


 いつかは全員皆殺しにしてやる……昔の俺は、何度もそう誓った。


「俺の師匠、鼠の爺はそれが人間社会の摂理と言った。どの社会でも、どの時代にも、弱いやつを殴るのは日常だと。ま、確かにありふれたことだな」


「でも公爵様は、アイリンちゃんに出会ってお考えが変わったのですね」


「……ああ。汚くて、痩せて、傷だらけの少女……あの子との出会いが俺の全てを変えた」


 俺は必死に涙を堪えた。


「最初は、俺が強くなったからアイリンが俺に優しく接してくれているんだと思った。でも違った。あの子は……俺が傷つく度に悲しい顔で俺を心配してくれた」


「優しいですから、アイリンちゃんは」


「そうだな」


 俺はゆっくりと頷いた。


「アイリンとの出会いで、俺は怒りと憎悪以外のものを学んだ。そしてそれがきっかけになって……仲間を作れるようになった。トムやレイモンたちやシェラと仲間になって、更に多くのものを学ぶことが出来た」


「小さな出会いが……やがてこの王国全体の運命すら変えてしまいましたね」


「ああ。だがもう言った通り……まだ俺の怒りと憎悪が完全に消えたわけではない」


 俺とヘレンさんの視線が交差する。


「もちろん今の俺は、怒りと憎悪に振り回されたりしない。でも戦いを通じて怒りと憎悪を発散する時が……俺には楽しすぎるんだ。ずっと戦っていきたいんだ。それが俺の欲望だ」


「そして戦いを続けたら、いつかは公爵様も赤竜として目覚めるかもしれない……ということですね」


 ヘレンさんは悲しい顔で頷いてから、俺の顔を見つめる。


「以前、私の師匠のマリアからこういう言葉を聞きました。否定的な感情も、人間の心の一部だと」


「心の一部、か」


「はい」


 ヘレンさんが頷いた。


「悲しみも、寂しさも、怒りも、憎しみも……全部人間の心の一部。それを無理やり消そうとしたら、逆に心が壊れてしまうんだと」


「じゃ、どうすれば否定的な感情を克服出来るんだ?」


「公爵様はもうその方法をご存じと思います」


 ヘレンさんが優しい顔になる。


「公爵様は今まで、周りの人々からいろんなものを学んでいらっしゃいました。だからこそ怒りと憎悪に振り回されずに、その力を多くの人のためにお使いになりました。つまり……今までと同じく、周りの人々からいろんなものを学んでいけば……公爵様ならきっと怒りと憎悪も克服出来ると存じます」


「……そうかもしれないな」


 俺はニヤリと笑った。


「隻眼の赤竜は、俺が怒りと憎悪を克服出来ないと思っている。所詮は俺も赤竜だから、早く目覚めろと」


「公爵様……」


「この冬が終わったら、俺はベルンの山に行く。そこで隻眼の赤竜との決着をつける。俺が戦いを捨てられるかどうか……その決着を」


 多くの人が俺に『戦うために生まれてきた存在』と言った。それが本当だとすれば……俺が戦いを捨てるためには、自分の運命と戦わなければならない。


 自分の運命……つまり隻眼の赤竜は間違いなく最強だ。いや、最強という言葉すら足りない化け物だ。鼠の爺も、俺も……やつには勝てなかった。果てして次は勝てるんだろうか?


 自分の真っ赤な手を見下ろして、運命との決戦を思い描いた。

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