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第481話.誕生の瞬間

 いつの間にか、俺は懐かしい風景の前に立っていた。


「ここは……」


 俺は目を見開いて、目の前の風景を見つめた。ここは……小川の近くにある、みすぼらしい小屋だ。今にも倒れそうな……鼠の爺の小屋だ!


「どうして俺がここに戻っている……?」


 疑問を口にした時、俺はその答えが分かった。今俺は夢を見ている。ヘレンさんからもらった薬を飲んで、夢の中で鼠の爺の小屋を見ているのだ。


「くっそ……」


 俺が苦笑いした。あまりにも現実と区別がつかない夢だ。小屋も、周りの森も、小川から吹いてくる風も……全部現実と同じだ。


「おい、爺! 待ってくれ!」


 いきなり後ろから声が聞こえてきて、俺はもう1度驚いた。


「この声は……まさか……」


 ゆっくりと後ろを振り向いたら、2人の人間が小川からこちらに来ているのが見えた。それはみすぼらしい老人と……赤い肌の少年だ。


「待ってくれって言ってるだろうが!」


 赤い肌の少年がまた叫んだ。少年の全身は汗まみれになっていた。


「へっ」


 鼠の爺は冷たく笑った。そして少年の呼び声を無視して足を運び、小屋の前に立つ。


「はぁ……はぁ……」


 少年は荒い息をしながら一歩一歩歩いて、やっと小屋の前に辿り着く。


「少し走っただけでそんなに疲れるなんて」


 鼠の爺が少年を嘲笑う。


「お前もまだまだだな、レッド」


「はぁ……はぁ……くっそ!」


 赤い肌の少年は全身から汗を流しながら、拳を握りしめる。


「これは……」


 そしてその風景を横で見ていた俺は、やっと思い出した。これは13歳の頃の記憶ということを。


 あの頃の俺は、鼠の爺の指示に従って毎日厳しい鍛錬をしていた。小川の周辺を何時間も走り、腕立て伏せや横跳びなどをして、格闘技の技を練習する。厳しいけど充実な日々だった。


「休んでいる暇はないぞ、レッド」


 鼠の爺が少年に革水筒を投げ渡す。


「分かったよ」


 少年は革水筒で水を1口飲み、息を整える。そして拳に包帯を巻いて小屋の隣の木に近づく。


「はあっ!」


 少年は精一杯気合を入れて、拳で木を叩く。正拳突き、急所攻撃、連続攻撃……覚えたての技を何度も繰り返す。


「……へっ」


 『赤い肌の少年』の鍛錬を見て、俺は思わず笑ってしまった。俺があんなに雑だったけ? でも少年は……俺はとても真剣だ。懐かしい気持ちがする。


「うっ……!?」


 何の前兆もなく、目の前の風景が変わる。13歳の俺もどこかに消えてしまい、周りは『灰色の町』と化す。


「貧民街……」


 活気の欠片も無い、灰色の町……俺の育った貧民街だ。俺は『鼠の爺の小屋』から『貧民街』に一瞬で移動したのだ。


「どうして俺がここに移動したんだ……?」


 俺は周りを警戒しながら、貧民街の中を歩いた。虚ろな目をしている大人たち、飢えている子供たち、ゴミ溜め、潰れた教会……記憶の中の風景と同じだ。


「まさか……」


 俺ははっと気づいて、路地裏に向かった。そこには4人の不良と……フードを被っている巨漢がいた。


「やっぱりか!」


 あの『フードを被っている巨漢』は……17歳の俺だ。つまり俺は夢の中で、自分の記憶を時間順に見ているわけだ。


 17歳の俺は、4人の不良を眺めながらゆっくりとフードを外す。


「こいつ……レッド?」


 不良たちが驚く。


「こいつ、確か変な老人と一緒に住んでいるとか聞いたけど」


「おい、レッド。頭が高いぞ。ちょっとでかくなったからって……」


 不良が言葉を言い終える前に、17歳の俺はそいつの顔に拳を入れる。不良は鼻の骨が砕かれて、血を流しながら無様に倒れる。


「こ、この野郎……!」


「面倒くさいからまとめてかかってこい」


 残り3人の不良と17歳の俺がぶつかるが、勝負はあっという間に終わる。17歳の俺は、13歳の頃とは比べにならないほど強い。簡単な動作で不良たちの急所を攻撃し、一瞬で半殺しにする。


「おい、レッド。やりすぎて殺すなよ」


 いつの間にか鼠の爺が近づいてきて、17歳の俺にそう言った。


「いくらゴミ共でも、殺したら殺人事件になるぞ」


「分かっている。それに俺も鬼じゃない。ただ2度と歩けないようにしてやるだけだ」


「そりゃ優しいな」


 17歳の俺は倒れている不良たちの足を1本1本踏みにじる。それを見て鼠の爺は冷たく笑う。


「どうだい? 最初の復讐の味は」


「気持ちいい」


 17歳の俺は笑顔で答えた。そう、これは俺の最初の復讐の記憶だ。


「ということは……」


 俺は路地裏の奥を見つめた。そこには1人の子供が立っていた。その子供は……汚くて、痩せて、傷だらけだった。しかもついさっきまで不良たちに殴られていたせいで鼻血を流していた。本当に悲惨な姿だ。


「アイリン……」


 俺は自分の目に涙が浮かんでくるのを感じた。そう、この日俺はアイリンに出会った。


「あう……」


 アイリンは鼻血を流しながら、言葉にならない声を出した。俺は思わず手を伸ばして、アイリンを抱きしめようとしたが……俺の手はアイリンを通過してしまった。夢の中のアイリンには、触れることすら出来なかった。


 やがて鼠の爺と17歳の俺は、貧民街を出て小屋に向かった。そしてアイリンも彼らを追って貧民街を出た。俺もそんなアイリンと一緒に歩いた。


「あのガキ、ずっと後ろについてきているぞ」


 道の途中、ふと鼠の爺がそう言った。


「面倒くさいから、殴って追い払え」


「……あんた、本当に悪魔だな」


「今更知ったのか? さっさと追い払えってんだ」


「ちっ」


 17歳の俺は舌打ちして、アイリンの前に立つ。


「おい、お前。これ以上ついてくるんなら容赦ないぞ」


 17歳の俺が威嚇したが、アイリンは助けを求めるように「あう、あう……」と言った。


「こいつ……喋れないのか」


「何しているんだ、レッド」


 爺が近づいてきた。


「まさか子供は殴れないってのか?」


「違う」


「じゃ、何をぐずぐずしているんだ!」


 17歳の俺は爺の方を振り向く。


「このガキ……俺が連れて行く」


「……はあ?」


 爺の小さい目に殺気がこもる。


「何言ってんだ、お前? そんなガキはお前の復讐に何の役も立たないんだぞ!」


 それからしばらく、17歳の俺と鼠の爺は揉めた。そう……ここで爺が1歩譲ってくれて、俺はアイリンを一緒に暮らすことになる。


「……そうだな」


 17歳の俺が呟いた。


「こんなガキ、戦いに何の役も立たない」


 何?


「おい」


 17歳の俺がアイリンを睨みつける。


「さっき言った通りだ。これ以上ついてくるな。蹴り飛ばすぞ」


 そう言い残して、17歳の俺は鼠の爺と一緒に去ってしまった。1人になったアイリンは……悲しい顔でその場に座り込んでしまう。


「あいつ、アイリンを見捨てたのか……?」


 俺は驚いて目を見開いた。そしてやっと気づいた。これは俺の記憶であって……俺の記憶ではないということに。


---


 それから『夢の中の俺』は本格的な戦いを開始する。南の都市の格闘場で勝ち続けて、犯罪組織を制圧し、やがて挙兵する。その一連の流れは俺と同じだ。


 だが、俺と決定的に違うところがある。『夢の中の俺』は……人と交流しようとしない。やつの傍にはトムも、レイモンも、『レッドの組織』のみんなも、シェラも……誰もいない。ただ『命令に服従するだけの部下たち』が並んでいるだけだ。


 当然と言えば当然だ。そもそも『夢の中の俺』は、人を2つに分類している。つまり『戦いに役に立つやつ』と『戦いに役に立たないやつ』だ。そして『戦いに役に立たないやつ』は……無慈悲に切り捨てる。だから『夢の中の俺』の傍には、心から信頼出来る人間なんて1人もいないのだ。


 師匠である鼠の爺すら、『夢の中の俺』は冷たい目で見つめる。2人の間に信頼なんてない。あるのは互いを利用しようとする冷たい計算だけだ。


 しかも『夢の中の俺』は、領地を広めるためなら略奪や虐殺も躊躇いなく行った。農民たちから食料を強制徴発し、反発したら皆殺しにする。子供だろうが老人だろうが関係無い。少しでも気に触ったら無様に殺す。王国の未来なんて、やつにはどうでもいい。やつの頭の中にあるのは『自分自身』だけだ。


 でも……『夢の中の俺』は強い。言葉通り人知を超えた強さを持っている。数百の敵兵士を単騎で突破することなんて、やつには造作もない。もうあれは本当に化け物だ。どんな領主の軍隊も……やつが突撃すれば一瞬で壊滅されてしまう。


 たった3年で『夢の中の俺』は何度も虐殺を行い、数多の敵兵士を殺し、無数の領主を処刑した。赤い化け物の軍隊が来ると、人々は生き延びるために故郷を捨てて逃走した。


 そして王都の近くまで征服した日……『夢の中の俺』は森の中で鼠の爺と対峙した。


「私に決闘を申し込むなんて」


 鼠の爺が笑った。


「偉くなったもんだな、レッド」


「へっ」


 『夢の中の俺』は冷たく笑った。


「俺はもうあんたより強くなった。それを証明してやる」


 次の瞬間、『夢の中の俺』と鼠の爺は激突する。拳と拳がぶつかり合い、技と技が交差する。


「はあっ!」


 鼠の爺が目にも留まらない速さで動いて、鋭い攻撃を放つ。やっぱり爺は強い。人間の限界を遥かに超えている。だがそれでも……『夢の中の俺』の方が上だ。


「ぐおおおお!」


 激しい気合と共に『夢の中の俺』は正拳を放った。その無慈悲な攻撃が鼠の爺の胸を強打する。鼠の爺は肋骨が折れてしまい、血を吐く。


「どうした? 爺は最強なんじゃなかったのか?」


 『夢の中の俺』が爺を嘲笑った。


「ふふふ……止めを刺してやるよ」


 残酷な笑顔を見せてから、『夢の中の俺』が突撃する。鼠の爺はどうにか対抗しようとするが……もう勝算が無い。戦えば戦うほど不利になっていく。


「終わりだ、爺!」


 やがて爺の防御が完全に崩れた時、『夢の中の俺』は爺の腹部に全身全霊の一撃を入れた。あれは……もう助からない。


「……レッド!」


 だが爺は致命傷を負いながらも最後の力を振り絞って……手刀で反撃する。その反撃が『夢の中の俺』の左目に的中し、大きな傷を残す。


「やっぱり爺は爺だな」


 左目を失ったのに、『夢の中の俺』は笑った。そして地面に倒れた爺を見下ろす。


「やっとあんたを殺すことが出来た。これで俺が最強だ」


「……ふふふ」


 血まみれの爺が顔を上げて『夢の中の俺』を見上げる。


「レッド、やっぱりお前が……お前こそが『赤竜』だったんだな」


 爺の瞳が残酷な眼差しを放つ。


「これだけは約束しろ、レッド。いや、『赤竜』。この王国だけは……絶対に滅亡させろ」


「……へっ」


 『夢の中の俺』が笑った。


「心配するな、爺。俺は何もかもぶっ壊して、数多の人間を殺して、この王国を滅亡させる。これだけは絶対だ」


 その答えを聞いて、鼠の爺は笑顔を見せた。そして目を閉じた。


 鼠の爺の遺体を無表情で見つめてから、『夢の中の俺』はその場を去った。それが……『隻眼の赤竜』が誕生する瞬間だった。


 違う道を選んだ自分を見て、俺はしばらく動かなかった。いつの間にか周りの風景が暗闇に変わってしまい、静寂だけが残った。


「遅いじゃないか、貴様」


 いきなり後ろから声がした。振り向くと自分の姿が見えた。肌色が赤くて、全身が鋼のような筋肉だらけで、とんでもない威圧感を放っている巨漢だ。ただ……俺とは違って左目に大きな傷がある。


「待ちくたびれたぞ」


 『隻眼の赤竜』が俺を見て笑った。

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