第480話.やってみるしかないか
翌日の朝、俺はケールに乗ってケイル男爵の城から出た。冬の朝の空気は相変わらず冷たいが……それでも行くしかない。
今回の進軍は俺1人ではない。数人の騎兵と2台の荷馬車、そして彼らを率いるケイル男爵が一緒だ。
「……あんたまでついてくる必要はないけどな」
俺はケイル男爵に向かってそう言った。彼は革鎧とマントを着て、軍馬に乗っている。俺と一緒に進軍するつもりだ。
「私に関しては、あまりお気になさらないでください。公爵様」
ケイル男爵が笑顔で言った。
「公爵様の話をお聞きして、私も難民の現状に興味が湧きました。今後のためにも自分の目で確かめたいと思っております」
「分かった」
俺は頷いた。そしてケイル男爵と一緒に先頭で歩いて、東に進んだ。目的地はもちろん森の奥にある難民の野営地だ。
「……私も部隊を統率した経験はありますが、真冬に進軍するのは初めてです」
ふとケイル男爵がそう言った。俺が「だろうな」と答えると、ケイル男爵は俺を見つめる。
「公爵様はたった2日でとんでもない距離を進軍なさったことがあるそうですね。カーディア女伯爵の部隊を奇襲するために」
「ほぉ、そのことを知っていたのか」
俺は少し驚いた。
2年前……俺は『銀の魔女』アップトン女伯爵と同盟を結んで、『金の魔女』カーディア女伯爵に対抗していた。そして『金の魔女』の大軍が迫る中……俺は同盟軍を見捨てて自分の城への撤収を開始した。とんでもない暴挙だった。
しかしあれは『金の魔女』を油断させるための策だった。自分の城に向かっていた俺は、真夜中に全速力で引き返して……『金の魔女』の大軍を後方から襲撃し、大勝利を収めた。それで俺の名前は大貴族たちの耳にまで届くようになった。
「あの時は本当に大変だったのさ。暑い夏の夜……寝る時間すら削って強行軍を行ったからな」
「よろしければ、あの時のことを詳しくお聞きしたいです」
「別にいいけど……」
俺はケイル男爵を見つめた。
「あんた、俺の戦いに関してはどこで聞いた?」
「小説でお読みしました」
「小説? まさか……」
「はい。先月、行商人を通じて『赤い肌の救世主』をお買いしました」
ケイル男爵が興味津々な顔になる。
「あの小説を通じて公爵様の人間離れした活躍を詳しく知ることが出来ました。でも小説は小説だから、流石に誇張されているに違いないと思っておりましたが……」
ケイル男爵が俺の顔を凝視する。
「公爵様に直接お会いして分かりました。小説の中の超人的な活躍は……全部本当だということが」
「へっ」
俺は笑った。
「戦いに関してなら、あの小説は結構事実通りだ。でも事実とはまったく違うところがある」
「違うところ、ですか?」
「ああ。小説の中の俺はよく『みんなのために戦う』とか『王国のために戦う』とか、そう言うだろう? でも実際の俺は違う。あくまでも俺自身の欲望のために戦っている」
「ふふふ……公爵様のようなお方は本当に初めてです」
ケイル男爵も笑った。
それから俺たちは小説の内容や王国の情勢について話しながら、東に向かって進み続けた。
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12月25日の夕方……森の中を進軍していると、微かな光が見えてきた。
「やっとついたか」
そう呟いて、俺はケイル男爵の方をちらっと見た。彼は結構疲れていた。真冬の進軍は流石に厳しかったみたいだ。
やがて俺たちが難民の野営地に辿り着いた時、向こうから数人の人が出迎えに来てくれた。レイモンとヘレンさん、そして難民の老人たちだ。
「ヘレンさん」
俺が呼ぶと、ヘレンさんが一歩前に出て「はい、公爵様」と答えた。
「こちらはこの地の領主、ケイル男爵だ。彼の支援で食料と医薬品を持ってきた」
「あ……」
ヘレンさんは一瞬驚いた顔をしたが、その直後、深く頭を下げる。
「誠に感謝致します。ロウェイン公爵様、ケイル男爵様」
ヘレンさんが震える声でお礼を言った。俺は頷いて、レイモンの方を見つめた。
「レイモン、俺のいない間に異常はなかったか?」
「昨夜、数人の盗賊が現れましたが全部撃滅しました」
「よくやった」
俺は満足げに頷いた。
ケイル男爵は部下たちに指示して、支援物資を野営地の臨時倉庫まで運ばせた。その作業が終わった後、俺とケイル男爵とヘレンさんは小さな天幕に集まり、難民の現状について話し合った。
「……正直に言って、私の方もあまり余裕は無い」
ケイル男爵がヘレンさんに言った。
「でも戦乱が終わり、難民たちが故郷を取り戻す日まで……出来る限りの支援を約束しよう」
「ありがとうございます、男爵様」
ヘレンさんが涙に濡れた目で何度もお礼を言った。
しばらくしてケイル男爵が「申し訳ございませんが、お先に失礼いたします。公爵様」と言ってきた。俺が「ああ」と頷くと、彼は天幕を出た。相当疲れているから、もう休憩に入るつもりなんだろう。それで俺とヘレンさんは2人きりになった。
俺はヘレンさんの顔を注視した。
「難民のことは、これでどうにかなりそうだな」
「はい」
「じゃ、俺の個人的な用を話すよ」
「……赤竜の話ですね」
ヘレンさんが小さな声で言った。俺はニヤリとした。
「あんたも知っているだろうけど、女神教は俺のことを救世主だと宣言した」
「はい」
「でもあの宣言はあくまでも人々の支持を得るための政治的なものだ。俺は別に自分自身が救世主だとは思っていない」
ヘレンさんの顔が強張る。
「じゃ、答えてもらおう。あんたが所属している『女神教の異端』は……俺のことを『滅亡をもたらす赤竜』だと結論付けたのか?」
「……はい」
ヘレンさんが頷いて、俺を凝視する。彼女の瞳には……恐怖が宿っている。3年前と同じだ。俺を心の底から怖がっている。
でも3年前と比べると、ヘレンさんの意志もかなり強くなっている。
「公爵様の存在を知って以来、私たちはずっと調査してきました。公爵様が赤竜であるかどうかを確認するために」
ヘレンさんは恐怖に耐えながら話を続ける。
「そして2年前……最終的な結論が出ました。その結論は……公爵様こそが……予言の赤竜に違いないということです」
「なるほど」
俺は笑顔で頷いた。
「まあ、あんたらが何を信じようが……俺にはどうでもいい。でもその根拠は何だ?」
「根拠、ですか」
「ああ、実は俺も『異端の経典』を読んだことがあるのさ」
俺は腕を組んだ。
「でもそこには『人の世に降臨した赤竜を見分ける方法』に関しては、一言も書かれていなかった。なのにあんたらはどうやって俺が赤竜だと分かるんだ?」
「……それは予言者たちのおかげです」
「予言者……たち?」
俺が眉をひそめると、ヘレンさんは「はい」と頷く。
「この世には、稀ですが存在します。異端戦争の時の予言者のように……夢の中で未来を見る人々が。私のような『隠れ異端』の任務の1つは、『予言の力を持っている人』を探すことです」
「なるほど。で、その人たちに聞いてみたのか? 俺について」
「はい」
ヘレンさんは覚悟を決めたような顔で答えた。
「予言の力を持っている人々は……多少の差はあれど、みんな同じようなことを話しました。『赤い肌の巨漢によって……王国全体で虐殺が行われ、無数の人が死んでいく』……と」
その話を聞いて、俺はオフィーリアを思い出した。彼女も『赤い肌の巨漢に殺される夢』を何度も見たと言っていた。
「……あんたらの言っていることは分かった」
俺は無表情でヘレンさんを見つめた。
「でも実際の俺は、無意味な虐殺はやっていない。まあ、戦場で殺した敵兵士の数なら誰にも負けないけどな」
「はい。だから私たち異端も……迷っております」
ヘレンさんと俺の視線がぶつかった。
「本来なら、私たち異端はこの王国から逃走する予定でした。予言の赤竜を止めることなど出来ないから……なるべく遠くへ」
「でも逃げなかったんだな」
「私の師匠であり、異端の現指導者であるマリアは……こう言いました。『理由は定かではないが、赤竜はまだ目覚めていない。もう少しこの王国で難民たちを助けよう』……と」
「まだ目覚めていない、か……」
俺は少し考えてからまた口を開いた。
「あんたら異端の現在位置は、ベルンの山なんだろう?」
「……申し訳ございません、公爵様」
ヘレンさんが頭を下げた。
「難民の群れを率いてから、私は師匠や他のみんなと連絡を取っておりません。異端の現在位置については、私も知る術がありません」
「そうか」
俺は頷いた。
「来年、俺はベルンの山に寄って異端の本拠地を探すつもりだ」
「そうですか」
「心配するな。俺はただアイリンと鼠の爺に会いたいだけだ」
そう言ってから、俺はヘレンさんの顔を直視した。
「実は……俺もたまに夢の中で見たのさ」
「……と、仰いますと?」
「夢の中で……『赤い肌の巨漢』を見たんだ。そいつが虐殺を行う場面もな」
ヘレンさんが目を丸くする。
「それは……まさか……」
「俺にも予言の力があるのかもしれないな」
俺はニヤリと笑った。
「でも……やっぱり俺は予言や予知夢などは信用出来ない。もうちょっとはっきりとした根拠があればいいけど」
「……それなら、いい方法があります。少々お待ちください」
ヘレンさんが急ぎ足で天幕を出た。そしてしばらく後、小瓶を手に持って戻ってきた。
「公爵様、どうかこれを」
ヘレンさんが俺に小瓶を差し出した。俺はそれを受け取った。
「何だ、これは?」
「それは『月光草』という薬草で製造した薬です。鎮痛作用があります」
「どうして俺に……?」
俺が首を傾げると、ヘレンさんが真剣な顔で口を開く。
「その薬には、軽い幻覚作用もあります。そして、もし予言の力を持っている人がそれを飲めば……一時的にその力が増幅されます」
「……何?」
俺は顔をしかめた。
「つまり……これを飲めば、夢の中で『赤い肌の巨漢』がもっとはっきり見えるはずだ……ということか?」
「はい」
「へっ」
俺は思わず失笑したが、ヘレンさんはとても真剣な態度だ。
「ご安心ください、公爵様。人体には害がありません」
「いやいやいや……」
俺は苦笑した。
「別に毒殺を疑っているわけではない。ただ……荒唐無稽過ぎてな」
「……確かに荒唐無稽に見えるかもしれません」
ヘレンさんが真剣な顔のまま頷いた。
「ですが、公爵様のお力と活躍は既に人知を超えていらっしゃいます。知らない人からすれば、公爵様の存在も荒唐無稽に思うかもしれません」
「まあな」
俺はもう1度笑った。
「分かった、今夜試してみよう」
「はい」
「いろいろ話してくれてありがとう」
俺はヘレンさんと別れて、野営地の真ん中にある小さな天幕に入った。レイモンが俺のために用意してくれた天幕だ。隅にはお湯の入った水筒もある。
「さて、と……」
俺は軽く洗面してから敷物の上に座った。そしてヘレンさんからもらった小瓶を見つめた。
「へっ」
本当にこんなもので真相に近づけられるんだろうか? 赤竜の秘密が分かるんだろうか? 正直疑わしい。
「……やってみるしかないか」
俺は小瓶の蓋を開けて、その内容物を一気に飲み干した。意外と甘い香りがする。
しばらく目を瞑っていたら、眠気がしてきた。どこでもすぐ眠れるのは俺の特技の1つだ。軍人としては本当に便利だ。
それで俺は甘い香りと共に……深い眠りの暗闇へ踏み入った。




