第478話.優しい美人の事情
それから2時間くらい、ヘレンさんと難民たちは野営地の周りを整理した。襲撃の後処理だ。
負傷者を運び、死者を埋蔵し、壊れた天幕を直す。暴力による悲劇が起きたばかりなのに、人々はまた生きていくために頑張っているわけだ。
俺とレイモンも後処理を手伝った。バラバラになった盗賊の遺体を野営地の外まで運び、地面に穴を掘って投げ捨てた。
「こ、公爵様がそういうことまでする必要は……」
俺たちが手伝っているのを見て、ヘレンさんが驚いた顔でそう言ってきた。でも俺は「気にするな」と答えた。何しろ難民のほとんどは老人だ。俺たちが手伝わないと、いつまでも作業が終わらない。
やがて後処理が大体終わり、難民たちは焚火を作って各々の天幕に入る。俺とレイモンはヘレンさんの天幕に入った。
ヘレンさんの天幕は広かった。でも別にそこは彼女の個人空間ではない。多数の負傷者が横になって、ヘレンさんと2人の助手から治療を受けている。ここは臨時治療所なのだ。
「申し訳ございません、公爵様」
負傷者の傷を確認しながら、ヘレンさんがそう言った。
「負傷者が多くて、しばらく手が空きそうにございません」
「だから気にするな」
俺は首を横に振った。
「俺たちも勝手にゆっくりするから、負傷者の治療が一段落したら言ってくれ」
「ありがとうございます、公爵様」
ヘレンさんが真面目な表情で頷いた。
俺とレイモンはケールとネメシスに草を食わせた後、臨時治療所の隅で休憩に入った。流石に俺たちも数日の強行軍と戦闘で疲れている。休憩が必要だ。
敷物に座って休憩していると、人々の泣き声が聞こえてきた。盗賊の襲撃によって家族か友人を亡くしたのだろう。戦乱にはよくある悲劇だ。
そしてその日の夜……やっと治療が一段落し、ヘレンさんが俺に近づいてきた。
「……ここにいる全員を代表して、感謝致します。公爵様」
ヘレンさんは早速頭を下げる。
「公爵様のおかげで多くの人が救われました。本当に感謝致します」
「別に感謝されるほどではないさ。俺たちがもうちょっと早く来ていたら、犠牲者を出さずに済んだかもしれないしな」
「いいえ」
ヘレンさんが首を振った。
「初めてです。誰かが……私たちを守ってくださったのは」
「何? じゃ、今まではどうやって耐えてきたんだ?」
俺は眉をひそめた。
「あんたらはもっと東からここまで来たんだろう? 途中で盗賊に襲われたりしなかったのか?」
「もちろん……私たちが自分で戦ってきました」
ヘレンさんが疲れた顔で言った。
「最初は若い人たちも結構いたので、どうにか自分で戦って移動を続けることが出来ました。でも旅の途中……1人また1人と犠牲になって……」
「そうだったのか」
俺はやっと理解した。
「難民のほとんどが老人だったのは……盗賊に襲われる度に、若者たちが戦って死んでいったからなんだな」
「はい。そして……それだけではありません」
ヘレンさんが視線を落とす。
「今日私たちを襲撃してきた盗賊の中には……かつて私たちと一緒だった人もいます」
「なるほど」
俺は頷いた。
「難民が盗賊と化して、この領地の盗賊団に合流したんだろう? だからこの野営地を正確に狙うことが出来た」
「……はい。仰る通りです」
ヘレンさんがゆっくりと頷いた。
この難民の野営地は、森の奥に隠れている。真冬にここを探すのは容易ではない。しかし盗賊の群れはこの野営地を正確に狙って襲撃した。それは難民の一部が盗賊と化して、他の盗賊たちを呼び寄せたからだ。
「戦乱が長引くに連れて、多くの人が故郷を失って難民となり……多くの難民が盗賊になりました」
「当然と言えば当然の流れだな」
俺は腕を組んだ。
「『飢えに苦しむより、盗賊になって他人の物を奪った方がマシ』……そう思う連中は、俺の育った貧民街にもたくさんいた」
「はい」
ヘレンさんは泣きそうな顔になる。
「旅の途中、私は悲しいことを何度も目撃しました。人々が絶望と怒りに包まれて、変わっていくことを。暴力を振るうようになることを」
ヘレンさんの声が震える。
「しかも……そんな人々の絶望と怒りを利用する人もいます」
「利用する人?」
「はい、放浪騎士のグレゴリーです」
「グレゴリー……」
俺が呟くと、ヘレンさんが顔を上げて俺を見つめる。
「彼は……難民たちの前に現れて、こう言いました。『故郷を失ったお前たちは、もうどこからも受け入れてもらえない。ならこのまま惨めに生きるより、俺に合流してこの腐った世の中を破壊してやろうじゃないか』……と」
「……なるほど」
俺は苦笑いした。
「グレゴリーはそうやって短期間で勢力を伸ばしたんだな」
「ペルゲ男爵領で公爵様に負けてしまい、彼は逃走しましたが……今もどこかで勢力を集めているという噂です」
「心配するな。そいつは俺が必ず処断するさ」
俺がそう言うと、隣からレイモンも頷いた。
「……公爵様は、難民の視察にいらっしゃったのですか?」
ヘレンさんの質問に俺は「まあ、そんなところだ」と答えた。
「難民の群れがこの冬にどう耐えているのか、直接見たかったのさ。しかし……思ったより酷いな、これは」
俺はヘレンさんの顔を凝視した。彼女の美しい顔も……3年前と比べるとかなりやつれている。明らかに栄養不足だ。
「この地の領主、ケイル男爵からも何の支援も受けてもらえなかったんだろう?」
「はい。そもそも私たちは……どこでも歓迎されません」
「そうだろうな。この東部地域はどこも余裕が無い」
俺はいつかすれ違った『テオ』さんを思い出した。彼は大形馬車に家族を乗せて、東部地域の『レデナ地方』から西のクレイン地方に向かって旅をしていた。経済的な余裕があり、運も良かったから可能なことだ。そうでない多くの人は……混沌の東部地域から逃げることも許されなかった。
「ヘレンさん」
「はい、公爵様」
「あんたはいつから難民の群れを率いているんだ?」
「昨年からです」
ヘレンさんが小さな声で答えた。
「3年前……私はアイリンちゃんを連れて、一旦私たちの本拠地に帰還しました」
「あんたらの……異端の本拠地か」
俺も小さな声で言った。ヘレンさんは「はい」と答えた。
そう、この美人の医者は『女神教の異端』だ。王国法ではその存在が許されない集団の一員だ。
「アイリンちゃんの声を直すように、私の師匠にお願いした後……私はまた旅に出ました」
「『隠れ異端』として王国の情勢を探るために、か?」
「それもありますが……」
ヘレンさんが自分の手を見下ろす。
「この戦乱の中、多くの人が医者の治療を求めています。少しでもそういう人々の役に立てれば、と思って……旅をしながら医学の知識を使ってきました」
「なるほど」
「そして故郷を失って人々に出会って……彼らを治療しているうちに、いつの間にか指導者のような立場になりました」
ヘレンさんが乾いた笑顔になる。
「どうして私が指導者という役目を務めているのか、自分でもよく分かりません。ですが、もうこの人々から離れることは出来ません」
「……大したもんだ」
俺は素直に感心した。
「ここまで来るのに、本当に大変だったんだろう? それでもあんたは逃げたりせずに、百人以上の難民を守っている。指導者としての責任感を持っている。大したことだ」
「公爵様……」
俺とヘレンさんは互いを見つめた。
「実を言えば、俺がここに来たのはただ難民の視察のためではない。個人的な用もある」
「……個人的な用、ですね」
「ああ、でもそれを言う前に……まずはあんたらをどうにかするべきだな」
俺はレイモンの方を振り向いた。
「レイモン」
「はい、ボス」
「俺はこれからケイル男爵の城に向かう。俺のいない間、ここの人々を守ってくれ」
「はい、かしこまりました」
レイモンが頷いた。俺は席から立ち上がった。
「ヘレンさん」
「はい、公爵様」
「苦しいだろうけど、しばらく耐えてくれ。俺がどうにかするから」
「……本当に……本当に感謝致します」
ヘレンさんが涙を流しながら頭を下げた。俺はそのまま天幕から出た。




