第470話.協定、そして……
12月7日の朝……俺と側近たちは軍馬に乗って、冷たい冬の空気を吸いながら進軍を続けた。落ち葉だらけの山道を歩いて、狭い平地に辿り着いた。
狭い平地には先客たちがいた。ベルス男爵とルイゼン男爵が、各々の側近を連れて巨大な天幕に集まっていたのだ。つい先日まで互いを仇敵として憎んでいた2人の男爵は……静かに俺の到着を待っていた。
「ロウェイン公爵様のご到着です!」
俺と俺の側近たちが天幕に入ると、兵士が大声で叫んだ。するとベルス男爵とルイゼン男爵が席から立ち上がる。
「寒いからさっさと済ませよう」
天幕に入るや否や、俺が宣言した。
「ロウェイン公爵家当主の名において、ベルス男爵家とルイゼン男爵家の休戦及び協力協定を承認する」
俺の声が天幕の中に響き渡る。
「今後……両家は一切の武力衝突を中止し、治安と経済の回復のために協力する。山賊の退治や貿易の活性化、人材交流などの目標のために両家は力を合わせて進む」
俺は2人の男爵を交互に見つめた。
「もし両家の意見に相違があった場合、会見を通じて平和的に調整する。そして協定を違反する行為があった場合は、王都法務部で裁判を行う」
ベルス男爵とルイゼン男爵はもちろん、彼らの側近たちも息を殺して俺の宣言を聞いた。
「最後に……協定締結の証として、両家の子息の間の婚約を行う。対象者はベルス男爵家の長男パウルと、ルイゼン男爵家の長女レイナだ。2人の婚約と協定は本日、王国歴538年12月7日から効力を持つ」
俺はベルス男爵の後ろに立っているパウルをちらっと見た。パウルの顔は赤く染まっていた。
「では、両家の当主に問う。この協定内容に異論があるか?」
俺の質問に2人の男爵は「ありません」と同時に答えた。
「異論が無ければ、協定書に署名してもらおう」
2人の男爵はトムが用意した協定書に署名し、俺に返した。
「よし、これで協定は無事に締結された」
俺は笑顔を見せた。
「最初に言った通り……この協定は俺、レッド・ロウェイン公爵が承認した。故意に協定を破る者は、東部地域の秩序を乱す逆賊と見なす」
少し間を置いてから、俺はまた口を開いた。
「悲しい過去を乗り越えるのは、決して簡単ではないはずだ。だが……くれぐれも未来を考えて行動してくれ」
それで2度目の三者会談が終わった。
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会談の後、俺は側近たちを連れて北の軍事要塞に向かった。前回の三者会談の時にも世話になった要塞だ。
ところで要塞内部に野営地を構築した時、1人の男が軍馬に乗って現れた。小柄だけど強い意志の籠った目をしている中年男性……ルイゼン男爵だ。
ルイゼン男爵は軍馬から降りて、俺に近づく。そして深々と頭を下げる。
「誠に感謝申し上げます、ロウェイン公爵様」
ルイゼン男爵が頭を下げたまま言った。
「公爵様のおかげで、我々ルイゼン男爵家は明るい未来に向かって進むことが出来ました。公爵様の力と手腕はまさに空前絶後……古代英雄の再臨を目撃しているかのようです」
「お世辞が上手いな」
俺はニヤリと笑った。
「正直に言えば、俺の方こそ驚いたよ。まさかあんたが俺の計画に簡単に乗ってくれるとはな」
「その件についてですが……」
ルイゼン男爵が意味ありげな目で俺を見上げた。俺は頷いて、彼と一緒に小さな天幕に入った。そして一緒に敷物の上に座った。
「ここなら気楽に話せるだろう」
俺はルイゼン男爵を見つめた。
「じゃ、話してもらおう。どうして俺の計画に簡単に乗ってくれたんだ?」
「それは……私が公爵様からご恩を頂いたことがあるからです」
「恩? 俺から?」
「はい」
ルイゼン男爵が頷いた。
「もちろん私の方も、以前から両家の和解について悩んできました。しかし現実的に不可能と思い、半ば諦めておりました。たぶんベルス男爵の方も同じ思いだったはずです」
「そうだな」
「だが公爵様の手紙を読み、計画を知った時……これが最後の希望だと思いました。何しろ公爵様は……私の息子を助けてくださった恩人でいらっしゃいますから」
「俺があんたの息子を助けただと?」
俺が首を傾げると、ルイゼン男爵が「はい」と頷いた。
「今年の9月……公爵様は王都アカデミーで1人の生徒を助けてくださいました。私生児ということで同級生たちから殴られてきた生徒を」
「まさか……」
俺は驚いて、ルイゼン男爵を注視した。小柄だけど強い意志の籠った目……確かに見覚えがある。
「そう言えば……確かに似ている。あんたがマイルズの父親なんだな?」
「……はい」
ルイゼン男爵がゆっくりと頷いた。
今年の9月、まだ東部遠征を開始する前……俺は王都アカデミーに訪問した。そして偶然目撃してしまった。マイルズという名の生徒が、他の生徒たちに殴られていたことを。
それで俺はマイルズに格闘技を教えて、加害者のリーダーと戦わせた。マイルズはその決闘で見事に勝利し、孤立から脱することに成功した。なかなか面白い戦いだった。
しかし……まさか東部遠征の途中でマイルズの父親と遭遇するとは。流石に俺も予想出来なかった。
「マイルズは……あいつは私と後妻の間の子供です」
ルイゼン男爵が沈んだ顔で言った。
「本来、私は後妻と正式に結婚し、マイルズもルイゼン男爵家の一員として認めようとしました。しかし……一族から強い反対を受けました」
「マイルズから聞いた。母親の家柄に問題があったと」
「……はい、その通りです」
ルイゼン男爵の顔が暗くなる。
「後妻は……マイルズの母親は、異端の人だったのです」
「異端……女神教の異端か」
俺は全てが理解出来た。
約百年前、女神教の教会は強大な勢力を誇っていた。財力はもちろん、大領主に匹敵するほどの私兵を持っていたらしい。しかしそのことが当時の国王の怒りを買ってしまい……結局教会と国王の間に戦争が起きた。いわゆる『異端戦争』だ。
異端戦争で勝利した国王は教会を自分の監視下に置いた。そして女神教の経典の中で、国王の考えに反する教理は全て改訂された。それで現在の女神教が誕生したわけだ。
しかし一部の女神教の信者は国王の監視から逃げて、未だに古くからの信仰を守っている。それが『女神教の異端』……王国法で存在自体が許されない集団だ。
ルイゼン男爵が女神教の異端と結婚して、そのことが外部に知られたら……ルイゼン男爵家はますます孤立してしまうだろう。いや、下手したらそれを言い訳に他の領主から侵略されることもあり得る。
「……私が一般の領民だったら、逆にどうにか出来たかもしれません。しかし領主としての責任がある故……結局後妻を追放することになりました」
ルイゼン男爵が深くため息をついた。
「マイルズを……息子をルイゼン男爵家の一員として認めることも出来ませんでした。後妻の最後の頼みで、息子をアカデミーに入学させましたが……まさか同級生たちから殴られていたとは……」
ルイゼン男爵がまた頭を下げる。
「もう1度感謝申し上げます、公爵様。マイルズを……息子を助けてくださったご恩は、一生忘れることが出来ません」
「俺は面白い戦いが見たかっただけだけどな」
俺は笑ったが、ルイゼン男爵はいとも真面目な顔だ。
「先日、恩人である公爵様から手紙を頂いた時……私は思いました。公爵様の計画なら信頼出来ると」
「なるほど、だから俺の計画に乗ってくれたんだな」
「はい。結果的に私は2度も公爵様のご恩を頂きました」
俺は腕を組んで頷いた。
「事情は分かった。まあ、俺としても両家が和解して助かる。1日でも早く東部地域の秩序を回復するべきだからな」
「はい」
「ところで、先日あんたの手紙に書いてあった言葉についてだが……」
俺はルイゼン男爵の顔を凝視した。
「あんた、『赤竜降臨の予言』について何か知っているか?」
その質問に、ルイゼン男爵の顔が強張る。




