第463話.役割
面会を終えて、俺はベルス男爵の執務室を出た。そしてメイドに案内されて1階の奥に向かった。
「こちらが男爵様の書斎です」
奥の部屋でメイドがそう言った。俺は頷いて書斎に入った。
広い書斎の内部はもちろん本でいっぱいだ。古風な本棚が8台も並んでいて、あらゆる書籍が保管されている。
「……これか」
少し見回ってから、俺は本棚から1冊の本を取り出した。本の表紙には『ベルス男爵家の戦記、その1』と書かれている。
俺は近くの机に座って『ベルス男爵家の戦記』をじっくりと読み始めた。するとメイドがお茶を持ってきてくれた。俺はお茶を飲みながら歴史書を読み続けた。
『ベルス男爵家の戦記』には、数百年に渡る歴史が記録されている。ベルス男爵家の誕生、戦争、危機、復興、そしてまた戦争……そういう一連の歴史が無味乾燥な文章で描かれている。
「レッド君」
1時間くらい経った時……ふと誰かが俺を呼んだ。白猫が音もなく書斎に入ってきたのだ。
「白猫か」
「どうなっているの? ベルス男爵は?」
「やつから聞けることは聞いた」
俺は白猫に簡単に説明した。ベルス男爵家とルイゼン男爵家の対立が百年以上続いていること、それで互いを強く憎しみ合っていること、ベルス男爵の息子が反乱を起こしたこと……。
「俺は歴史書を読んで、ベルス男爵の話が本当かどうか調べていたところだ」
俺は自分の真っ赤な手を本の上にそっと置いた。
「もちろんこの歴史書はベルス男爵家に雇われた学者が書いたものだから、ある程度偏向的な内容が入っているだろう。しかしそれを考慮しても……この地で残酷な紛争が繰り返されてきたのは事実みたいだ」
「それなら私も聞いたことがあるわ」
白猫が腕を組んだ。
「ここって今は大分開拓されているけど、昔は人の住める土地が本当に少なかったみたい。だから狭い土地を巡って争いが頻発したらしいわ」
「その地獄のような争いから生き延びた最後の勢力が……ベルス男爵家とルイゼン男爵家というわけだ」
俺は『ベルス男爵家の戦記』を閉じた。
「両家はまさに血で血を洗う戦いを続けてきた。ベルス男爵の父親も……ルイゼン男爵家との戦闘で死んだらしい」
「親の仇ってわけね。逆にルイゼン男爵家の人もたくさん死んだでしょう?」
「ああ、そうだ。しかも恨みを持っているのは指導者たちだけではない。両家の領民たちも互いを深く憎しんでいるみたいだ」
白猫が軽くため息をつく。
「じゃ、流石に和解は無理なんじゃない? もちろんレッド君が力で強要すれば、両家は『和解するふり』はするかもしれないけど……それって意味あるのかな?」
「確かに」
俺は素直に頷いた。
「俺が力で和解を強要しても、結局また戦いが起こるだろう。だから……そんな方法では駄目だ。誰かが……両家の業を背負わなければならない。『憎まれ役』にならなければならない」
「憎まれ役……ね」
白猫が俺を注視する。
「それをレッド君が務めるつもりなの?」
「俺と……もう2人が務めるのさ」
古風な歴史書を眺めながら、俺はそう答えた。
---
その日の午後、俺は馬車を操縦してベルス男爵の城を出た。もちろん馬車には俺以外にも猫姉妹とトムが乗っている。そして俺たちの前には……軍馬に乗ったベルス男爵が騎兵隊と共に歩いている。
俺たちとベルス男爵は城下町を通って南に向かった。これからベルス男爵の息子である『パウル・ベルス』を説得しに行くのだ。
「領主様だ」
ベルス男爵が通ると、城下町の領民たちが頭を下げる。俺はそれをじっと眺めた。どうやらベルス男爵は……自分の領民たちには尊敬されているみたいだ。
やがて俺たちは城下町から離れて、山道を進み始めた。このベルス男爵領は本当に山だらけだ。 パウル・ベルスが占拠している要塞も、山の奥にあるそうだ。
「……でもね」
山道の途中、ふと隣の席から白猫が口を開いた。
「レッド君がベルス男爵の息子を直接説得する必要があるの?」
白猫が首を傾げる。
「だって、息子が反乱を起こしたのは『父親がルイゼン男爵家と和解しようとしないから』でしょう?」
「ああ」
「しかしベルス男爵はもうレッド君に説得されて、ルイゼン男爵家に和解を提案するって言ったんでしょう? それを聞いたら、息子の方もこれ以上ベルス男爵に逆らう理由が無いんじゃない?」
「もうその段階ではないのさ」
俺は無表情で答えた。
「理由がどうあれ、ベルス男爵の息子は自分に賛同する者を集めて要塞を占拠した。立派な反乱なのさ。ベルス男爵としては……息子を許したくても出来なくなったんだ」
「たとえ息子であっても、領主として重罪人を許すわけにはいかない……てことね」
「そうだ。だから……第3者の介入が必要になったんだ。力を持っている第3者の介入がな」
「……あーあ」
白猫が苦笑いする。
「結局みーんなレッド君に頼ってばかりだわ。私もそうだけど」
「へっ」
「そういう点では、レッド君ってもうこの王国の頂点だよね。公爵たちの紛争も、地方貴族の紛争も全部解決しているし」
「そうかもな」
「……どんな気持ちなの?」
白猫が俺の顔を凝視する。
「底辺の貧民だった人が、5年も経たない内に王国の頂点になるなんて。しかも完全に自力でね。一体どんな気持ちなの?」
「いつも言っているけど、別に自力ではない」
「また『周りのみんなの力を借りただけだ』と言うつもりでしょう?」
白猫が笑った。
「もしかしたら、それがレッド君の本当の力なのかもしれないわ。周りの人々の力を集めて、どんどん強くなる。まるで……」
「まるで『赤竜』みたいに、か」
俺も笑った。先日読んだ『異端の経典』によると、大悪魔『赤竜』には『周りの人の怒りと憎しみを吸収する力』があるらしい。
「……たまに不思議な感覚に包まれることがある。戦場で俺を見上げる兵士たちを眺めていると……体の底から無尽蔵の力が湧き上がってくる」
「それって『指導者としての統率力と責任感』なのかな? それとも……本当に『赤竜』としての力……?」
「さあな」
俺は肩をすくめた。
「別に何だっていいさ。俺は今までこの力を使って勝ち続けてきた。好きなものを守って、嫌いなものをぶっ潰してきた。それで十分さ」
「レッド君ならそう言うと思ったわ」
白猫が頷いた。
それから数時間くらい後……俺たちの馬車が坂道を越えた時、前方から大きな山が見えてきた。そしてその山の頂上付近には頑丈な建物があった。軍事要塞だ。
軍馬に乗っているベルス男爵が俺の方を振り向いた。あの要塞に彼の息子がいるのだ。俺は無言で馬車を止めた。
「みんな、ここで待機していろ」
俺は猫姉妹とトムに言った。
「ここからは俺1人で行く」
「総大将!」
トムが荷台から降りて、俺を見上げる。
「せめて自分だけでもお供致します!」
「いや、いいんだ」
俺は首を横に振った。
「たぶん反乱軍は緊張でギスギスしているはずだ。俺1人で行った方が話しやすいだろう」
「しかし……」
「俺の心配は無用だ。ただし、警戒は怠るな」
「……はっ!」
トムが頭を下げた。その隣で黒猫が俺を見上げる。俺は義妹の頭を撫でてやった。
「じゃ、行ってくるよ」
俺は馬車から降りて、ベルス男爵の横を通り……そのまま山に向かった。そして山の上の要塞に繋がる道を登り始めた。




