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第452話.東へ

 1万3千に至る遠征軍は、大きく3つに分かれる。ハリス男爵とダニエル卿の率いる先鋒部隊、俺とオフィーリアの率いる本隊、リオン卿の後方部隊だ。


 先鋒部隊が道路の状態を確認し、本隊が進み、後方部隊が補給線を守る。各指揮官たちが有能なおかげで、遠征軍の難なく進軍を続けている。


 10月27日の朝……俺は革の鎧を着てケールに乗り、ゆっくりと道を進んだ。俺のすぐ側にはオフィーリアがいる。彼女は鎖の鎧を着て真っ白な軍馬に乗っている。そして俺とオフィーリアの周りには、7千の本隊がいる。


 俺とオフィーリアは本隊の兵士たちを率いて、広い道路を進み続けた。天気もいいし……兵士たちの顔も明るい。


「……かなり速い進軍ですね」


 ふとオフィーリアが呟いた。


「1万3千もする大部隊のに……たった1週間でもう東部地域が目の前だなんて」


「道路が整備されているし、何よりも兵站が上手くいっているからな」


 俺はそう答えた。


「兵站は大事だ。極端な話、兵站が戦争の勝敗を決めたりする」


「ちゃんと食事を取らないと動けませんからね、誰しも」


 オフィーリアが頷いた。


「私も……指揮官になってやっと理解しました。偵察や兵站のような基本的なことこそが大事だと」


「ああ、そうだな」


 俺も頷いた。


「偵察、兵站、編成、配置……そういう基本的なことを見れば、指揮官の力量が分かる。奇策や奇抜な戦術などはその次さ」


「そうですね」


 オフィーリアが何度も頷く。


「この1週間、レッド様の指揮を拝見していろいろと学ばせて頂きました。そしてレッド様の凄さが分かりました。流石王国最強と呼ばれる方……基本的な指揮にも隙がありませんね」


「お世辞が上手いな」


 俺は笑ったが、オフィーリアは真剣だ。


「レッド様はお師匠様から軍事学を教わったと存じております」


「ああ、そうだ。ドロシーから聞いたのか?」


「いいえ、本を読ませて頂きました」


「……本?」


「ルークさんの作品『赤い肌の救世主』です」


 その答えを聞いて、俺は首を傾げた。


「ルークの小説? あれは俺たちが王都から出た後に出版されたはずだが」


「実は出発の前日、ドロシー卿に頼んで事前に購入しました」


「……公爵家の力をそんなところに使ったのか」


 俺が苦笑すると、オフィーリアも笑顔になる。


「どうしてもレッド様についてもっと知りたくて、ついやってしまいました」


「あれは宣伝物みたいなもんだけどな。基本的に俺を褒める内容しかない」


「でも……ほとんど事実ですよね? レッド様の活躍は」


「まあ、それはそうだけど」


 俺は『赤い肌の救世主』の内容を思い出した。たまに俺のことを美化したりするけど、戦いに関する叙述はほとんど事実だ。


「そんな信じられない活躍をなさったレッド様と、こうして近くでお話出来るなんて……まるで夢みたいです」


「何言ってるんだ? お前こそ普通の人からすれば雲の上の存在じゃないか。公爵の1人娘で、王国一の美少女とか言われているし」


「そ、それは……」


 オフィーリアの顔が赤く染まる。


「私は……自分自身がそこまで大した存在とは思えません。足りないところも多くて、いつも周りに頼って……」


「俺だってそんなものだ」


 俺は手を伸ばして、ケールの頭を撫でた。


「化け物とか赤竜とか救世主とか言われているけど、別にそんな大した存在ではない。分からないことも多くて、出来ないことも多い」


「……不思議ですね」


 オフィーリアが首を横に振った。


「レッド様のような凄いお方なら、その、少し尊大な態度を取ってもおかしくないと思いますが……」


「そんなことすれば、師匠に殴られるからな」


 俺はふっと笑った。鼠の爺に散々殴られた日々が、今も脳裏に鮮明に残っている。


「それに、俺は自分がそんな大した存在ではなくてよかったと思っている」


「どうしてですか?」


「もっと強くなれるからな」


 俺が撫で続けると、ケールが気持ち良さそうに頭を振る。


「もし俺が本当に赤竜とか救世主だったら、強くなる必要もない。もう最強で無敵だろうからな。でも俺は人間だ。だからこそ上を目指して強くなっていくのさ」


「強くなっていく……」


「ああ、俺はそれが好きだ。ずっと戦って、ずっと強くなっていきたい。最強とか無敵という場所で留まらず、ずっと上を目指したい」


 その言葉を聞いたオフィーリアは、口を噤んで俺を凝視する。


「どうした、オフィーリア? 俺が何か変なことでも言ったのか?」


「い、いいえ……」


 オフィーリアは頬を赤らめて、視線を落とす。


「その、レッド様が……とてもかっこいいと思って……」


「へっ」


 俺は笑ってしまった。そして俺とオフィーリアはしばらく沈黙の中で一緒に歩いた。


「当然と言えば、当然かもしれませんが……」


 オフィーリアが沈黙を破った。


「私とレッド様の出会いについては、ルークさんの作品には書かれていませんよね」


「当事者たちしか知らないことだからな」


「私の過ちが世に公表されなくて幸いかもしれませんが……」


 オフィーリアが恥ずかしそうに笑った。


 ルークの小説は事実を元にしているが、俺の全てが書かれているわけではない。オフィーリアとの最初の出会い、アイリンと俺の関係、鼠の爺の正体など……当事者しか知らないことはたくさんある。いや、そもそも1人の人間の軌跡を全部描くのは……どんな大叙事詩でも不可能かもしれない。


---


 その日の夕方、遠征軍の本隊は川の近くで進軍を止めた。そして夜を過ごすための臨時野営地を構築した。


 7千の兵士が一心不乱に動いて天幕を張り、焚き火を作って、川から水を汲んできて、夕食を取る。いつもの軍隊の光景だ。俺はまず川辺に行ってケールに水を飲ませた。


「総大将、後方部隊から補給物資が到着しました!」


 トムが報告を上げた。俺は部隊の後方を振り向いた。トムの言った通り、多数の荷馬車が来ていた。リオン卿の率いる後方部隊が王都からの物資をこちらに送ったわけだ。


「……ん?」


 ところでその時、俺は奇妙なことを目撃した。荷馬車から1人の少女が降りたのだ。あのまだらな服装を着ている少女は……。


「タリア……?」


 俺は眉をひそめて、吟遊詩人見習いに近づいた。


「公爵様!」


 小柄のタリアは俺を見て、大げさな動作でお辞儀する。


「タリア、お前……どうしてここにいるんだ?」


「公爵様の遠征にお供するためでございます!」


「遠征に……同行?」


「はい!」


 タリアは両手を高く上げる。


「先日、出版された師匠の本を読んで分かりました! このままでは師匠を越える吟遊詩人になるのは難しいと!」


「まさか……」


「はい! 公爵様の遠征にお供していろんなことを経験し……いつかは師匠以上の作品を執筆したい所存でございます!」


 タリアは胸の前で拳を握って、そう宣言した。俺はため息をついた。


 通常、軍の荷馬車がこんな小娘の乗せるはずがない。でもタリアは周りから俺の側近みたいな扱いを受けている。士官の誰かにこっそり頼んで、ここまでついて来たに違いない。


「お前……知っているのか? 今回の遠征は戦乱を終わらせるためのものだ。遊びに行くわけではない」


「もちろん存じております!」


 タリアの声が少し震える。


「危険なのは承知しております! でもでもでも……! 公爵様が歴史を変える瞬間を近くで目撃し、それを記録するのは私めの役目でもあります!」


 どうやらタリアの決意は固いみたいだ。俺は内心舌打ちした。


「タリアちゃん……?」


 その時、健康な体型の女士官が近づいてきた。俺の最初の婚約者、シェラだ。


「シェラ様!」


 タリアはシェラを見て顔が明るくなり、事情を説明する。タリアの事情を聞いたシェラは俺の方を振り向く。


「ま、別にいいんじゃない?」


「シェラ……」


「タリアちゃんがいれば、兵士たちも歌で癒やされるだろうし……黒猫ちゃんも喜ぶはずよ」


「それはそうだけど」


「私の側にいればタリアちゃんも安全だし、問題ないしょう?」


「……分かった」


 俺はタリアの方を見つめた。


「タリア」


「はい、公爵様!」


「遠征の間、シェラの言うことをちゃんと聞け。無闇に離れたりするな。分かったか?」


「はい、かしこまりました!」


 タリアが笑顔で頭を下げた。そしてシェラと一緒に天幕に向かった。俺は苦笑した。


 まあ、タリアは遠征にはあまり役に立たないだろう。でもシェラや黒猫が喜ぶならそれでいいかもしれない。それに……タリアは師匠のルークを越えるために強くなろうとしている。似たような立場の人間として、俺もタリアを少し応援しているのかもしれない。

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