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第450話.化け物と少女

 レイモンに純血軍馬ネメシスを任せた後、俺は午後まで書類と戦った。何しろ今日は東部遠征出発の前日だ。最終確認を行うべきだ。


 まず東部地域を掌握するための進出方向を決める。そして進出方向に合わせて補給計画を立てる。補給計画は東部地域の地形と情勢を考慮しなければならない。俺は地図と報告書を交互に見つめて、遠征の全貌を慎重に再確認した。


「……よし」


 遠征の途中、予期せぬ事件が何度も起きるはずだ。それでも……勝算はある。今の兵力と物資を上手く活用すれば短期間で東部地域を掌握出来る。そう考えながら、俺はずっと書類と戦った。


 もちろん戦っているのは俺だけではない。俺の側近たちも戦っている。赤竜騎士団やシェラ、トム、カレンなどの軍士官たちは部隊の編成を、エミルやシルヴィアなどの官吏たちは予算や物資の編成を……それぞれもう1度確認している。今回の遠征を成功させるために、みんな必死に頑張っているわけだ。


 そんな中でも……ちょっと特殊な仕事をしている側近もいる。それはデイナだ。


「失礼致します、ロウェイン公爵様」


 デイナは朗々とした声と共に会議室に入ってきて、俺の向かい席に座る。俺は書類から目を離してデイナを見つめた。彼女は赤色の美しいドレスを着ている。


「今日何回目のお茶会だった?」


「3回目です」


 デイナが冷たく答えた。


 薄い金髪のせいで可憐な印象のオフィーリアとは違って、デイナは華麗だ。赤色のドレスを着ていると『とある王国の傲慢なお姫様』にしか見えない。しかも毎日お茶会や食事会、パーティーに通っている。事情を知らない人が見たら『暇なお姫様だな』と思うかもしれない。


 でも実際は……デイナはエミルにも負けないくらい働いている。


「貴族層の世論はどうだ?」


「悪くありません」


 デイナが腕を組んだ。


「少なくとも表面上では、レッド様の公爵就任に反発する人はいません」


「お前が上手く貴族層の世論を動かしたんだろう? 素晴らしい活躍だ」


「別に大したことはしておりません」


 デイナは冷たく言ったが、彼女の顔には嬉しい笑みが浮かんでいる。


 デイナが毎日お茶会や食事会、パーティーに通っているのは……それが交渉役としての仕事だからだ。王都の貴族たちに会って彼らの世論を調べ、俺の有利な方向に動かす。デイナはその役割を完璧に遂行している。


「王国全体の世論については、エミルと情報部に任せているけど……王都の貴族層をまとめられるのはお前しかいない。本当に助かっている」


「流石『金の魔女』の長女……といったところですか?」


「へっ」


 俺は苦笑した。デイナは華麗な美貌と明晰な頭、鋭い勘を持っている。母親のカーディア女伯爵とそっくりだ。しかし本人はそう言われるのがあまり好きではない。


「とにかく……もうそろそろ時間ですよ、レッド様」


「時間?」


「30分くらい後、エルデ伯爵の屋敷でお茶会があります。それにはレッド様も参加することになっています」


「そうだったけ……」


 俺はため息をついた。忙しいところだけど、エルデ伯爵は俺の友人だし……仕方無い。


「体が2つあったらよかったのにな」


「レッド様が2人いたら、大変なことになると思いますが」


「へっ」


 俺は書類を片付けた後、デイナと一緒に宮殿を出て馬車に乗った。馬車は衛兵たちに護衛され、貴族層の住む『白色の区画』に向かった。


「……結局私は留守番ですね」


 馬車の中で、ふとデイナがそう呟いた。俺は眉をひそめた。


「何言ってるんだ? まさか……遠征について行きたいのか?」


「いいえ」


 デイナがきっぱりと答えた。


「軍隊の進軍には、もう2度と同行したくありません。あんな経験はうんざりです」


「じゃ、よかったな。俺のいない間、シルヴィアと2人で仲良くしてくれ」


 その言葉を聞いて、デイナの顔が強ばる。


「……オフィーリアさんは同行するみたいですね。今回の遠征に」


「もちろんだ。オフィーリアはウェンデル公爵軍の指揮官だからな」


「ふうん」


 デイナが俺の顔をじっと見つめる。俺は笑ってしまった。


「まさかお前……オフィーリアに嫉妬しているのか?」


「いいえ」


 デイナは笑顔を見せた。しかし目が笑っていない。


「嫉妬などしていませんよ。でもいい機会だから、今度こそはっきりお答えください。私とオフィーリアさん……どちらが綺麗ですか?」


「いやいやいや」


 俺は失笑したが、デイナは真剣だ。


「レッド様は素晴らしい洞察力をお持ちですからね。そんなレッド様の評価なら信頼出来るでしょう」


「だからさ……」


「お答えください」


 俺は内心ため息をついた。1度は通らないとならない道だ。


「正直に言おう。俺の考えでは……お前とオフィーリアには、それぞれの美しさがある」


「それぞれの……?」


「ああ」


 俺は腕を組んだ。


「お前には薔薇のような華麗さがある。どこにいてもお前の美貌は目立ってしまう。その美しさを否定するのは誰にも不可能だろう」


 デイナは興味なさそうに「ふうん」と返したが、顔色が明るい。今の答えに結構満足したようだ。


「それに対して、オフィーリアには鈴蘭のような可憐さがある。薔薇のように目立ったりはしないけど、その美しさにはつい見とれてしまう」


「……つまるところ、どちらが綺麗ですか?」


「つまるところ、そこに優劣は無い」


 俺は首を横に振った。


「好みによって分かれるかもしれないが、2人にはそれぞれの美しさがある。客観的な優劣は存在しないはずだ」


「ふうん」


 デイナが鋭い眼差しを送ってくる。


「どうやらレッド様がお持ちだったのは『洞察力』ではなくて『ずる賢さ』だったようですね」


「俺は正直に答えただけだ」


「では……レッド様にはどちらがお好みですか?」


「今は目の前に美しい薔薇があるからな。他の花のことはあまり浮かばない」


「……本当にずる賢い」


 デイナはそう言ったが、別に嫌いではないみたいだ。俺は花についていろいろ教えてくれたシルヴィアに心の中で感謝した。


「分かりました、今日は見逃してあげます。私は優しいから」


「ありがとう」


 俺は頷いた。鋭い嗅覚のおかげで今日も生き残った。


「でもこれだけは覚えておいてください、レッド様」


 デイナが美しい笑顔で俺を眺める。


「華麗な薔薇には棘があり、可憐な鈴蘭には毒がありますよ」


「……それはもう十分に分かっている」


「ふふふ」


 デイナが楽しく笑った。


---


 しばらくして馬車がエルデ伯爵の屋敷についた。俺とデイナが馬車から降りると、美しい貴婦人が歓迎してくれた。エルデ伯爵夫人だ。俺たちは彼女の案内に従って屋敷の応接間に入った。


「ロウェイン公爵様!」


 テーブルに座っているエルデ伯爵が笑顔を見せた。俺とデイナは彼の向かい席に座り、エルデ伯爵夫人は夫の隣に座った。メイドたちが素早くお茶と菓子を持ってきて、お茶会が始まる。


「いよいよ明日ですね! 公爵様の遠征出発!」


 エルデ伯爵が興奮した表情で俺を見つめる。


「自分はずっと以前から信じておりました! 公爵様こそが最強であると! 今回の遠征やルケリア王国との決戦にも、公爵様なら必ず勝利なさるはずです!」


「ありがとう」


 俺は笑顔で頷いた。


「あんたにも感謝している。いつも俺を支援してくれて」


「す、少しでも公爵様のお役に立てたなら光栄です!」


 エルデ伯爵は嬉しい笑顔になった。


「東部地域の領主たちも、ようやく理解したようです。ロウェイン公爵様こそがこの王国の希望であると」


 エルデ伯爵夫人が言った。


「公爵様が本格的に東部地域に進出なさると、彼らは公爵様の統治を受け入れるはずです」


「ありがとう。あんたとデイナのおかげだ」


 エルデ伯爵夫人とデイナは貴族層の人脈を使って、東部地域の領主たちに連絡を入れた。俺の統治を認めさせるためだ。


 それから俺たちは一緒にお茶を飲みながら、いろんな話題について話し合った。


「公爵様」


 ふとエルデ伯爵夫人が俺を呼んだ。


「王国を守ることも大事ですが、どうかデイナ嬢のこともお気にかけてください」


 その言葉を聞いて、デイナがお茶を吹き出しそうになる。


「ど、どうしたのですか、エルデ伯爵夫人?」


「ふふふ」


 慌てるデイナを見て、エルデ伯爵夫人が笑った。


「デイナ嬢は素直ではないので、認めようとしないかもしれませんが……実は公爵様に凄く頼っておりますよ」


「うっ……」


 デイナが赤面になって視線を落とす。俺は苦笑いした。


 やがてお茶会が終わり、俺とデイナは屋敷を出て馬車に乗った。エルデ伯爵夫婦が俺たちを見送ってくれた。次に彼らに会うのは……戦争が終わった後だろう。


 馬車が宮殿に向かって動き出すと、俺はデイナの方を見つめた。


「そうか。お前が俺のことをそんなに頼っていたのか」


「……勝手なこと言わないでください」


 デイナは赤面になって俺を睨みつけてきた。俺は笑うしかなかった。


 何度も深呼吸して、デイナはやっと落ち着いた。そして馬車の外を眺めながら口を開く。


「実は……やっと分かりました」


「何を?」


「私の男性恐怖症が……レッド様にはあまり適用されない理由を、です」


「それはお前が俺のことを化け物と認識しているからだろう?」


 俺は肩をすくめた。


「化け物と認識しているから、逆に男性恐怖症の対象ではない。そう結論付けたんじゃないのか?」


「どうやらその結論は間違っていたようです」


 デイナが視線を戻して、俺の手を見つめる。


「私が男性恐怖症になったのは、子供の頃……2人の男性が暴力を振るうのを目撃したからです。たぶんあれから私の心の奥には恐怖が刻まれたのでしょう」


 デイナが自嘲的に笑った。


 赤竜騎士団が設立された日、それを記念するために格闘大会が行われた。多くの人がその大会を楽しんだが、デイナは観覧を拒否した。2人の男性が殴り合う大会なんて、彼女にとっては悪夢でしかないのだ。


「レッド様の軍隊が敵軍と戦っている間にも、私は要塞の部屋から1歩も出ませんでした」


「そうだったな」


「頭では分かっています。全ての男性が暴力的なわけではないと。でも……刻まれた恐怖は、私の意志とは関係なく湧き上がってきます」


 デイナはそっと手を伸ばして、俺の手を触る。


「そんな私ですが……レッド様のことを思うと、不思議にも安心出来ます。この人だけは……私に暴力を振るうはずがない。私を守ってくれるに違いない……と」


「……不思議な話だな」


 俺は首を傾げた。


「もうみんな知っているけど、俺は暴力が好きな人間だ。戦いを通じて全てを手に入れてきた。普通の男性より危険なはずだ」


「違います」


 デイナが首を横に振った。


「確かにレッド様は戦いが好きな人です。でも無闇に暴力を振るったりはしません。降伏してきた敵兵士にも寛大です」


「まあな」


「それに何よりも……レッド様は常に周りの人々を守ろうとする。私からすれば……普通の男性より安心出来る存在なのです。『赤い化け物』は」


 デイナがそっと俺の手を握った。


「つまるところ、答えは簡単だったのです。私がレッド様のことを怖いと感じていなかったのは、その必要が無かったからです。レッド様こそが……私が初めて見た、本当に信頼出来る男性だから」


「デイナ……」


「私は……」


 揺れる馬車の中で、デイナは俺に抱きついてきた。

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