第446話.あの日の結末
ダニエルに続いて、次々と援軍が王都に到着した。
10月9日の朝、南から3千に至る部隊が来た。鹿の旗を掲げている部隊……コリント女公爵軍だ。その部隊を率いているのは若い騎士だった。
「再びお目にかかれて、光栄でございます」
若い騎士は警備隊本部で進軍を止めて、俺に丁寧にお辞儀した。俺はコリント女公爵軍の姿をざっと眺めた。彼らは『誠実な警備隊』という印象だ。最精鋭とは言えないが、規律が取れている。治安を維持し、市民たちを安心させることが得意なんだろう。
「ご苦労だった」
俺は若い騎士に視線を移した。
「あんた、確か名前が……」
「リオンと申します、伯爵様」
若い騎士が誠実な顔で言った。俺がコリント女公爵と会談した時、このリオンが道を案内してくれた。まだ若いのに3千の指揮を任せられているし……コリント女公爵の信頼を受けているみたいだ。
「部隊を兵舎に駐屯させて、ゆっくり休んでくれ」
「はっ」
リオンは深く頭を下げてから、部隊に指示を出す。ダニエルに比べたら、実戦の経験は薄そうだが……決して無能な指揮官ではない。
その日の午後、北からも2千の援軍が到着した。鷹の旗を掲げているウェンデル公爵軍だ。彼らは鍛錬された体、堂々たる態度、強い気迫を持っている。まさに『屈強な戦士たち』だ。王国最強は俺の『赤竜の軍隊』だが、このウェンデル公爵軍も決して引けを取らない。それほどの強軍だ。
しかしその『屈強な戦士たち』を率いているのは……1人の可憐な少女だった。
「本当にお前が指揮していたのか……」
鎖の鎧を着ている美しい少女を見て、俺は苦笑いした。そう、屈強な北の軍隊の指揮官は……ウェンデル公爵の1人娘、『オフィーリア・ウェンデル』だったのだ。
「ロウェイン伯爵様と再会出来たこと、大変嬉しく存じます」
『王国一の美少女』とも呼ばれている、お人形みたいな金髪の女の子は……無表情でそう言った。
「我がウェンデル公爵家の現当主である父上に代わり、私が部隊を率いてご助力致します」
オフィーリアは事務的な態度だ。俺は内心苦笑した。
「……ありがとう、オフィーリア嬢。では部隊を駐屯させて、今日はゆっくりと休んでくれ」
「お言葉に甘えさせて頂きます」
オフィーリアの声は相変わらず冷たかったが、最後の瞬間、俺の方に意味ありげな視線を投げてきた。俺は彼女の意図を何となく感じ取った。2人きりで話したいことがある……ということだ。
約1時間後……警備隊本部の本館の応接間で待っていると、普段着に着替えたオフィーリアが姿を現した。ウェンデル公爵家に仕える女騎士、ドロシーも一緒だった。
「久しぶりだな、ドロシー」
俺は笑顔で一緒に戦った戦友に挨拶したが、ドロシーは無表情で頭を下げるだけだった。
「ドロシー卿」
「はい、お嬢様」
「ロウェイン伯爵様と2人で相談したいことがあります。席を外して頂けませんか」
「かしこまりました」
ドロシーはもう1度丁寧に頭を下げて、応接間を出た。それで俺はオフィーリアと2人きりになった。
「……1年でずいぶんと変わったじゃないか」
俺はニヤリと笑いながらそう言った。オフィーリアは……1年前に比べたら雰囲気が全然違う。
1年前のオフィーリアは、どこか悲しげな少女だった。美しかったけどあまり活気が無くて、いい意味でも悪い意味でも『お人形』という言葉がぴったりだった。しかし今のオフィーリアからは……『冷徹な強さ』が感じられる。まるで父親のウェンデル公爵みたいだ。
「……いろいろありましたから、私にも」
オフィーリアはそう呟いた後、しばらく目を閉じていた。
俺とオフィーリアは一緒にテーブルに座り、お茶を飲み始めた。北の地方特有の、渋い香りのお茶だ。
「どこから話せばいいのでしょうか」
ふとオフィーリアが口を開いた。
「レッド様もご存知通り、昨年、私はウェンデル公爵家の束ね役として活動することを決意致しました」
「当主のウェンデル公爵が毒で倒れていたからな」
「はい。レッド様のご助言、そして騎士たちの協力があって……私も微力ながら尽力させて頂きました。戦乱の終結のために」
オフィーリアが深呼吸する。
「最初は不安もありましたが、ウェンデル公爵家の権威に頼り、どうにか北の地方を治めていくことが出来ました。しかし昨年の12月から……貴族層の反発が強まりました」
「……俺のせいだな」
俺は渋いお茶を1口飲んだ。
「俺が王都を手に入れたことにより、北の領地の世論が大きく分かれたんだろう? 俺との同盟を維持するべきか、それとも……俺がこれ以上強くなる前に打つべきか」
「……その通りでございます」
オフィーリアが小さく頷いた。
「王都は文化、学問、宗教、経済の中心地。王都を制圧した者こそが、王国の覇者となる。それは明白な事実です。レッド様に王都の統治を譲れば……いずれはウェンデル公爵家すらもレッド様に飲まれてしまう。そんな恐れが瞬く間に広がりました」
「そうだろうな」
俺はゆっくりと頷いた。
「昨年の時点では、俺はまだ『異端児』だった。公爵たちによって俺が破滅するだろうと思う人も多かった」
「私は……決断を下さねばならなかったのです。レッド様との同盟を維持するか、それとも……」
オフィーリアがまた深呼吸する。
「父上にも相談しましたが、父上は『お前の判断に任せる』とおっしゃいました。『大事な時に自分の考えで決断出来なくては、どうせ指導者は務まらない』……ともおっしゃいました」
「相変わらず厳格な親だな、公爵は」
「私は悩みました。王国の人々のためには、何が最善の道なのかを。そして……やっと心を決めました」
「……ありがとう」
目の前の美しい少女に、俺は心から感謝した。
俺が王都の統治者になった後も……ウェンデル公爵家は俺への支援を続けてくれた。俺の領地であるケント伯爵領は王都から遠く離れているし、ウェンデル公爵家の支援が無かったらいろいろ困難だったはずだ。オフィーリアの決断のおかげで、俺は王都を順調に統治することが出来たのだ。
「私が同盟の維持を決断したのは、レッド様を信じているからです」
オフィーリアの綺麗な瞳が俺を直視する。
「レッド様は……私が夢の中で見た『赤い肌の巨漢』とは違います。レッド様のことを侮辱した私すら許して下さいました」
俺は口を噤んでオフィーリアの言葉を聞いた。
「そんなレッド様なら、きっと戦乱を終わらせて、人々に平和をもたらしてくださるはず。私はそう信じています」
オフィーリアが視線を落とす。
「しかし、私の決断に一部の貴族層が反発して……結局謀反を起こしました」
「……アルデイラ公爵が裏で糸を引いていたんだろう?」
「はい。でも謀反の決定的な原因は、私の決断です」
オフィーリアは大きく深呼吸した。
「指導者は綺麗事では務まらないと……頭では知っていました。でもいざ目の前で謀反が起きて、戦闘になって、兵士たちが死んで……私は……」
オフィーリアが言葉を濁した。
「私は……戦いました。忠実な騎士たちに頼って戦いました。耐えられなくなりそうな時もありましたが……それでも……」
オフィーリアは真面目で優しい少女だ。それだけに、目の前の戦いに責任を感じたんだろう。重い責任感に押し潰されそうになりながら……必死に戦ってきたんだろう。
「幸い戦況は少しずつ有利になり、今年の春、父上が復帰なさって……内戦は我がウェンデル公爵家の勝利に終わりました」
「お前がウェンデル公爵家と領民たちを守ったのだ。胸を張っていい」
「ありがとうございます。ですが、まだ全ての脅威が去ったわけではありません」
オフィーリアが顔を上げて、俺を見つめる。
「アルデイラ公爵がルケリア王国と手を結んでいたこと、ルケリア王国が再度の侵攻を計画していたことには……父上も私も衝撃を受けました。そして、こういう時こそ……王国中の力を結集するべきと思いました。そう、レッド様の下で」
オフィーリアと俺の視線がぶつかった。
「女神の教えを信じる者の1人として、私はレッド様こそがこの王国の人々のために降り立った救世主であると思っております」
「救世主、か」
「はい。戦乱が終わるその日まで……全力でお力添えする所存です」
オフィーリアの綺麗な瞳には、強い決意が込められていた。
「しかし……同時に私は、ウェンデル公爵家を統率する者でもあります。ウェンデル公爵家を守ることも考えなければなりません。だから、1つだけ条件があります」
「オフィーリア……」
「この戦乱が終わったら……私と結婚してください」
オフィーリアは揺るぎない声で言った。
俺は内心ため息をついた。予想していたことだが、まさかここまではっきり言われるとは。
「……言っておくけど、俺にはもう正室がいる」
「承知しています。本来、公爵家を担う者が誰かの側室になることはあり得ません。ですがその誰かが王国の頂点ならば、話は別です」
オフィーリアは引かなかった。俺は少し間を置いてから口を開いた。
「じゃ、1年前の質問をもう1度する」
俺はオフィーリアの瞳を覗いた。
「もし俺と結ばれたら、お前は自分自身が幸せになれると思うのか?」
「はい」
オフィーリアがはっきりと答えた。俺は苦笑するしかなかった。
「……分かった。もし戦乱が終わり、俺とお前が生きていれば……結婚しよう」
「はい、分かりました」
オフィーリアは真剣な顔で頷いた。その直後、彼女の体から急激に力が抜けていく。まるで8年ぶりに俺を見て、気絶してしまったあの日と同じく。
「オフィーリア? 大丈夫か?」
「すみません……」
オフィーリアは肩を落として、テーブルに伏せてしまう。
「私……とても不安でして……今日も断られたらどうすればいいかと……」
オフィーリアが震える声で呟いた。
「皆さんの前では……堂々と振る舞って……でも本当は……」
「お前はよくやっているさ」
俺は手を伸ばして、オフィーリアの頭を撫でた。オフィーリアはしばらく動かなかった。
「お前、俺が怖くないのか?」
ふと俺が聞いた。
「お前が夢の中で見た『赤い肌の巨漢』……そいつの正体は俺かもしれない」
「……違います」
オフィーリアが顔を上げて俺を凝視する。
「誰にどう言われようとも、私には分かります。レッド様はお兄様の無念を晴らして、お父様の命を救ってくださいました。王都の暴動も未然に防いで、多くの市民を守ってくださいました。まさに救世主としか言いようがありません」
「まあ、結果的に見ればそうだけど……」
「これでももしレッド様のことを悪く言う人がいるなら、私がやっつけてや……許さないつもりです」
「へっ」
俺は笑ってしまった。
「子供の頃は……お前のことを絶対苦しめてやると思っていたけどな」
「そ、それは……」
オフィーリアが赤面になっていく。
「それは……その……お、お手柔らかにお願い致します……」
「いやいやいや」
俺は失笑した。
「何を想像しているんだ? 全然そういう意味じゃないから」
「そ、そうですか?」
「まったく……」
俺は席から立ち上がり、オフィーリアの隣に座った。
「まさかあの日の少女とこういう関係になるとは……」
「れ、レッド様……」
オフィーリアが赤面のまま俺を見つめる。彼女はもう活気のないお人形ではない。オフィーリアの息も体温も心臓の鼓動もちゃんと伝わってくる。生きている少女だ。
「言っておくけど、俺は結構強引な男だ。好き勝手にやるかもしれない」
「い、言っておきますが……私はレッド様に選ばれたわけではありません。私がレッド様を選んだのです」
「へっ……言うじゃねぇか」
俺は恥ずかしがるオフィーリアを抱きしめて、その赤くて柔らかい唇にキスした。




