第434話.楽しい鍛錬の時間だ
翌日の午後、いつも通り席に座って書類仕事をしていると……衛兵が会議室に入ってきた。
「伯爵様」
「何だ?」
「マイルズという名のアカデミー生徒が、正門の検問所に来ております。本人は伯爵様からお呼び出しされたと言っています」
「ああ、俺が呼んだよ。ここに連れて来い」
「はっ」
しばらくして、衛兵が小柄の少年を連れてきた。王都アカデミーで3人の生徒に殴られていた少年、マイルズだ。
「来たか、マイルズ」
「再びお目にかかれて、誠に光栄でございます」
マイルズが深々と頭を下げた。俺はそんな少年をじっと見つめてから、話を始めた。
「もうアカデミーの総長から聞いただろうけど……お前を殴ってきたビリー達は、正式に処分を受けることになった」
「はい」
「普通なら退学もあり得る。しかしビリーは南の有力家系、スタイン男爵家の人間だ。おかげでアカデミー側も困っているみたいだ」
その説明を聞いて、マイルズの顔が暗くなる。
「もちろん俺が圧力をかければ、ビリー達を退学させることも出来る。だが今回の件で……ビリー達をぶっ潰すのは俺ではない。お前だ」
「僕が……」
「2週後、お前はビリー・スタインと対決する」
俺はニヤリとした。
「格闘技での対決だ。もちろん1対1で、正々堂々と……アカデミーの全生徒が見ている前で」
「みんなが見ている前で……」
「みんなの前で、お前は証明するんだ。自分自身が、やられっぱなしの弱者ではないということを」
マイルズの体が緊張で震える。
「もちろん今のままでは、お前に勝ち目はない。ビリーはお前より体格が大きいからな。格闘技で体格は大事だ」
「はい……」
「だから俺は、これから2週間……お前を鍛錬させるつもりだ」
俺はマイルズの顔を見つめた。
「たった2週間の鍛錬で、お前がビリーより強くなるのは無理だ。でも……技を1つ覚えることは出来る」
「技を……」
「その技をしっかり覚えれば、お前にも勝ち目がある」
少し間を置いてから、俺は話を続けた。
「短期間で格闘技の技を覚えるのは、決して容易くない。勝ちたいんなら……死ぬ気で鍛錬しなければならない。理解したか?」
「……はい」
マイルズが小さな声で、しかしはっきりと答えた。
「僕は、逃げることは出来ません。もう心は……決めております」
「そうか」
俺は頷いた。
「今日はもう時間が遅いから、明日の朝、もう1度ここに来い。鍛錬はそれからだ」
「はい」
丁寧に頭を下げてから、マイルズは会議室を出た。
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9月10日の朝、俺は宮殿の裏庭園に向かった。
いつも静かな裏庭園から、空気を切る音が聞こえてくる。まるで熊みたいな巨漢が、1人で剣の素振りをしていたのだ。
「ジョージ」
俺が呼ぶと、ジョージが素振りを止めて笑顔を見せる。
「ボス、おはようございます!」
「ああ」
俺は頷いてからジョージを見つめた。
「前より動作が鋭くなったな。大したもんだ」
「ありがとうございます。まだボスには遠く及びませんが」
ジョージが恥ずかしそうに笑う。
「ところで……今日はアカデミーの生徒を鍛錬させるとか、そう聞きましたが」
「正確に言えば、『生徒たち』だ」
俺がそう答えた時、後ろから人の気配がした。振り向くと体格のいい少年が、こちら向かって走ってきていた。
「伯爵様!」
それはジェフリーだ。黒髪の活発な少年は、上気した顔で俺に近づいて頭を下げる。
「このジェフリー・ゲイル! 伯爵様の命を受けて、参上致しました!」
ジェフリーはまるで吟遊詩人みたいに、大げさな口調で言った。
「何なりと仰ってください! どんな厳しい鍛錬でも、絶対に耐え抜いて見せます!」
若干震える声で、ジェフリーがそう宣言した。俺は内心苦笑した。たぶんジェフリーは……『この機会に伯爵様に認められたら、僕も騎士になれるかもしれない!』と思っているに違いない。
「やる気だな、ジェフリー」
「はい! もちろんでございます!」
「じゃ、今日からお前ともう1人を鍛錬させてやるよ」
「もう1人……ですか?」
「ああ」
俺は頷いて、ジェフリーの後ろに視線を投げた。小柄の少年が、緊張した顔でこちらに歩いてきていた。マイルズだ。
マイルズは俺の前まで来て、深々と頭を下げながら「今日からよろしくお願い申し上げます、伯爵様」と言った。
「お前は……」
マイルズの顔を見て、ジェフリーが目を丸くする。
「お前、アカデミーの生徒だろう? 顔に見覚えがある」
「は、はい。生徒です」
「まさかお前も伯爵様の下で鍛錬するのか?」
「……はい」
マイルズが覚悟を込めた声で答えると、ジェフリーの顔が明るくなる。
「そりゃ良かったな! 1人ではちょっと心細かったんだ!」
ジェフリーはマイルズに向かって笑顔を見せる。
「僕は天文学部のジェフリーだ。ジェフリー・ゲイル」
「歴史学部の……マイルズです」
マイルズは戸惑う顔で答えた。名字を名乗らない……その時点で自分自身が私生児ということが知られるからだ。
でもジェフリーは、明るい顔のまま右手を差し出す。マイルズは戸惑いながらもその手を取って……2人の少年は握手する。
「……挨拶が済んだなら、お前たちに今日の教官を紹介しよう」
俺は少年たちにそう言ってから、ジョージの肩に手を乗せた。
「こちらが、俺の親衛隊である『赤竜騎士団』の1人……ジョージ卿だ。お前たちは今日1日、彼の指示に従って鍛錬する」
その説明を聞いて、少年たちは素早くジョージに向かってお辞儀する。
「ジョージ卿のことなら存じております!」
ジェフリーが興奮した声で言った。
「6月の格闘大会、自分も観覧しました! ジョージ卿の活躍……本当に素晴らしかったです!」
「お、おう……ありがとう」
ジョージが恥ずかしそうに後頭部を描く。
「ボス……じゃなくて、伯爵様の仰った通り、俺がお前たちの教官だ。本物の騎士の鍛錬ってやつを、体験させてやる」
ジョージの言葉に、少年たちは「はい!」と答えた。
「まずは体力鍛錬からだ。戦場で生き延びるためには、どんな時でも集中して戦える優れた体力が必要だ。基本的なことだが、舐めてはいけない」
「はい!」
「じゃ、これから俺と一緒にこの裏庭園を走り続ける。遅れるな」
「はい!」
そうやって少年たちの鍛錬が始まる。ジョージももう何年も新兵たちを育ててきたし、教官役には慣れている。俺は少し離れて、彼らの鍛錬を眺めた。
「はあ……はあ……」
数分後、少年たちが疲れ始める。特にマイルズの方は……もう息切れ気味だ。でも諦めずに足を動いて、ジョージの背中を追う。
「雑念を捨てろ! ただ前を見て走れ!」
ジョージは速度を上手く調節して、少年たちが走り続けられるようにする。おかげで少年たちは自分の体力を限界まで絞り出して、鍛錬を継続する。
走りの後にも、腕立て伏せや上体起こしなどの基礎鍛錬が続いた。少年たちは汗まみれになりながらも、真剣な顔でジョージの指示に従った。
やっと朝の鍛錬が終わると、俺たちは宮殿の東に向かった。そこには『赤竜騎士団』が臨時本部として使っている、3階建ての真っ白な建物がある。そこで少年たちは体を洗い、一緒に朝食を食べた。
「食べ過ぎるなよ。まだ鍛錬はこれからだから」
「は、はい……」
ジェフリーとマイルズが青ざめた顔で頷いた。
俺はジョージに少年たちを任せて、宮殿の会議室に戻った。そして書類仕事をしながら、たまに窓越しで彼らの姿を確認した。午前も午後も……ジョージと少年たちは鍛錬と休憩を繰り返した。
そして1日の鍛錬が終わった頃……少年たちは完全に疲れ果てて、裏庭園の地面で仰向けになってしまう。
「2人共、よく耐えた。今日の鍛錬はこれで終了だ」
少しも疲れていないジョージが笑顔でそう言うと、少年たちは仰向けのまま「ありがとうございました……」と答える。
「へっ」
俺は笑ってから、少年たちに近づいた。少年たちは俺を見て上半身を起こす。
「どうだ、騎士の鍛錬の味は? 厳しいだろう?」
「じ、自分は……まだやれます……」
ジェフリーが震える声で言うと、マイルズも頷く。もう虫の息のくせに……根性は残っているみたいだ。
「じゃ、お前たちはこれから2週間……赤竜騎士団の臨時本部に泊まれ。俺とジョージが更なる鍛錬をさせてやる」
その言葉を聞いて、ジェフリーが慌てる。でもマイルズが「はい、伯爵様」と答えると……ジェフリーも「か、かしこまりました!」と声を上げる。
そんな少年たちを見て、俺はふと昔を思い出した。鼠の爺の下で鍛錬していた時……俺はずっと1人だった。あの時の俺は、この世に対する怒りと憎しみに満ちていた。でもこの2人からは、別の何かが感じられる。もっと明るい何かが。




