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第430話.異端の経典

 9月8日の午後……書類仕事を終えた俺は、会議室の椅子に座ったまま背伸びをした。


「ふう」


 数時間も報告書を読んでいたせいで、流石に俺も目が疲れてきた。でも今日のやることはまだ残っている。


「……ちょうど時間か」


 急いで書類を片付けた後、俺は会議室を出た。そして階段で1階に降りて、玄関から宮殿を出た。


「伯爵様」


 宮殿の外で待機中だった衛兵たちが、俺を見て頭を下げる。彼らの後ろには1台の馬車が停まっている。王族用の華麗な馬車だ。


 俺は馬車に乗って「王都アカデミーに行ってくれ」と言った。すると御者が「かしこまりました」と答えて、馬車を出発させる。衛兵たちは素早く軍馬に乗り、俺の乗った馬車の前後を護衛する。


 馬車はしばらく東に向かって走った。そして巨大な『祝福の橋』を渡って『黒色の区画』に進入した。ここが王都アカデミーの位置する区画だ。


 『黒色の区画』はとても平穏で静粛な雰囲気だ。入り口からよく手入れされた公園が広がっていて、見ているだけで心が落ち着く。学問を修めるには最適の場所だ。


 やがて馬車は美しい公園を通って、巨大な4階建の建物に辿り着く。あの象牙色の建物こそが……貴族だけが入学出来る教育施設であり、学者たちの研究施設でもある場所……『王都アカデミー』の本館だ。


 昨年、まだ王都を完全に掌握していなかった頃……俺はここを訪ねた。そして総長のコリンズさんと話して彼の支持を得た。今回は2回目の訪問だ。


 前回の訪問と同じく、アカデミー本館の前で学者風の老人が俺を待っていた。彼がコリンズさんだ。


「ロウェイン伯爵様!」


 俺が馬車から降りると、コリンズさんが明るい顔で近寄ってくる。


「お久しぶりでございます、伯爵様。王都アカデミーへのご訪問、誠に感謝致します!」


「歓迎してくれてありがとう」


 俺は笑顔で頷いた。


「アカデミーは今授業中だろう? 邪魔にならないように静かに移動しよう」


「かしこまりました。では、どうぞこちらへ」


 俺はコリンズさんの案内に従って、アカデミー本館の玄関に入った。すると清潔で広い空間が見えた。玄関の左右には広い廊下があり、廊下に面して多数の講義室が並んでいる。


 授業中のアカデミーは……静かだ。この静けさの中で、数百の生徒たちが勉強をしているわけだ。他では学べない高等教育を受けて、専門的な知識を習得し、やがて1人の学者になる。学者になった後は、自分の知識を後輩たちに教えたり、アカデミーの研究室で新しい研究をしたり、どこかの領主に雇われたりする。そうやってこの王国の学問が少しずつ発展していくのだ。


 俺とコリンズさんは1階の奥の総長室に入った。広い総長室の中には大きな本棚が並んでいて、学術書籍や論文でいっぱいだ。


「……伯爵様には誠に感謝しております」


 一緒にテーブルに座って、使用人が持ってきたお茶を飲みながら……コリンズさんがそう言った。


「ご支援して頂き、多くの学者が有益な研究を続けることが可能になりました。伯爵様の賢明なご判断に……感謝申し上げます」


「役に立ったなら幸いさ」


 俺は頷いた。


「この王都アカデミーの存在は、王都が『王国の心臓』と呼ばれている理由の1つだからな。『学問の中心地』というのは、決して『経済の要』や『宗教の総本山』に引けを取らない。俺もその価値を理解しているさ」


「ありがとうございます」


 コリンズさんが明るい笑顔を見せる。


 知識は力だ。1人の人生を変えることも、王国を滅ぼすことも出来る力だ。俺の師匠、鼠の爺はいつもそう言っていた。


「それで……伯爵様は禁書の閲覧をご希望なさっているとお聞きしました」


「ああ、『異端の経典』とやらに……個人的な興味があってな」


「そうですか」


 コリンズさんが頷いた。


「確かにこのアカデミーの大図書館には、禁書の写本も保管されております。研究目的でそれらを閲覧する学者もおります」


「そうか」


「本来、禁書の閲覧には一定の審査を通過する必要がありますが……伯爵様の場合は、そういったものは不必要ですね」


「ありがとう」


 俺は微かに笑った。


「俺もなるべくアカデミーの権威は尊重するつもりだ。だが、あまり時間が無くてな」


「はい、承知しております」


 コリンズさんは使用人を呼んで、何か指示を出した。


「大図書館まで、生徒に案内させます」


「生徒?」


「はい。実は、どうしても伯爵様の役に立ちたいという生徒がおりまして」


 コリンズさんが笑顔で言った。一体誰だ……? 俺は首を傾げた。


 しばらくして、1人の男子生徒が総長室に入ってきた。見覚えのあるやつだ。


「お前は……」


 こいつは、俺がアカデミーを初めて訪問した時……俺に向かって『平民の成り上がりのくせに』とか言ったやつだ。そしてその後、親に殴られて俺に必死に謝ったあの生徒だ。


「確か……ジェフリーだったけ?」


「お、覚えてくださって光栄です!」


 『ジェフリー』は深々と頭を下げた。


「伯爵様の寛大さには、今も深く感謝しております! 僕は、その後からずっと……伯爵様の役に立ちたいと思っておりました!」


「俺の役に?」


「はい!」


 ジェフリーが明るい声で答えた。


「伯爵様、実は……」


 コリンズさんが笑顔で説明を始める。


「伯爵様がジェフリー君の過ちに対して寛大なお心を見せてくださった後……彼は伯爵様の熱狂的な支持者になりました」


「……はあ?」


 状況が理解出来なくて、俺は眉をひそめた。


「僕は、その……」


 ジェフリーが恥ずかしそうな表情になる。


「あれ以来、伯爵様に関するいろんな事実を知りました。特に伯爵様の英雄的なご活躍について……」


 ジェフリーは上気した顔で俺を見つめる。


「伯爵様は……本当に男気溢れるというか、かっこいいと思います! だから、その……僕も役に立ちたいと思って……!」


「なるほど……」


 俺は内心苦笑しながらも、ジェフリーの態度の変化が理解出来た。


 ジェフリーは裏でコソコソせずに、堂々と俺の前で……『王都の統治者』の前で自分の考えを述べた。発言自体は幼稚なものだったが、その後ちゃんと自分の過ちを認めた。たぶん『男気溢れる堂々な態度』に憧れを持っているんだろう。


 つまりジェフリーは俺の戦いを聞いて、俺を憧れの対象として見るようになったのだ。ある意味純粋なやつだ。


「伯爵様さえよろしければ、自分が案内して……少しお話がしたくて!」


「いいだろう」


 俺は笑顔で頷いた。俺としても、アカデミーの生徒と1度話してみたかった。


 俺とジェフリーは総長室を後ろにして、広い廊下を歩いた。そしてアカデミーの本館から抜け出して、北西に向かって歩いた。


「あの……」


 街路樹の道を歩いている途中、ジェフリーが口を開く。


「僕は、伯爵様について完璧に間違った認識を持っておりました。伯爵様が、その……貴族社会の秩序を崩壊させる存在だと……」


「そうか」


「でも実際の伯爵様は、女神様の命を受けて地上に降臨し、自らの実力だけで爵位を手に入れて……王国の秩序を回復させようとしていらっしゃる! まさに古代の英雄そのものです!」


「……まあな」


 俺は苦笑いした。女神教の宣言以来、多くの信者は本気で俺のことを救世主と信じているらしい。それは貴族層も例外ではないのだ。


「もしよろしければ、伯爵様にお聞きしたいことがたくさんあります! 武器術とか戦術とか!」


「まあ、いいだろう」


 俺はエルデ伯爵のことを思い浮かべた。彼もまるで少年みたいな表情で、俺の戦いに強い興味を見せた。ジェフリーの場合は本当に少年だけど。


 一緒に歩きながら、ジェフリーは俺にいろんな質問をしてきた。どんな武器を使っているか、敵と戦う時に注意するべきことは何か、部隊の運用に1番大事なのは何か、などなど……。


「……実は僕も、騎士になりたいという願望を持っておりました」


 ふとジェフリーがそう言った。


「でも親に反対されて……騎士は危険だって」


「それでアカデミーに入学したってわけか」


「はい。別に学問が嫌いなわけではありませんが……」


 ジェフリーが言葉を濁した。俺は少年の顔を見つめた。


「じゃ、1度体験してみるか? 騎士というものを」


「体験……ですか?」


「ああ。現在、『赤竜騎士団』の1人が宮殿にいるんだ」


 俺はニヤリとした。


「休日に宮殿に来い。騎士が普段からどんな鍛錬をしているか……お前にも体験させてやるよ」


「あ……ありがとうございます!」


 ジェフリーが深々と頭を下げる。


 見たところ……ジェフリーは体格もいいし、鍛錬すれば強くなれるだろう。でも騎士というものは、少し鍛錬しただけで務まるものではない。ジョージの鍛錬を直接体験すれば……ジェフリーも現実を実感するはずだ。それからのことはジェフリー次第だ。


 やがて俺たちは大きな建物の前に辿り着いた。古風で美しい建物だ。規模は宮殿より小さいけど、優雅さなら負けていない。


「ここが王都アカデミーの誇り、大図書館です!」


 ジェフリーが笑顔で言った。俺が大図書館に近づくと、警備兵が急いで大きな扉を開けた。


 大図書館の中は……本の匂いでいっぱいだ。綺麗に掃除されている空間は、天井まで届く巨大な本棚で埋め尽くされている。入り口から奥まで……数えきれないほどの本が並んでいる。


「伯爵様」


 まるで聖職者みたいな印象の中年男性が現れて、頭を下げた。


「自分はこの大図書館の管理者を務めております、『ダン』と申します」


 ダンさんは丁寧な態度で話を始める。


「伯爵様の閲覧されたい書籍は、2階の資料室にあります。自分がご案内致します」


「ありがとう」


 俺は頷いてから、ジェフリーの方を振り向いた。


「ここまで案内してくれてありがとう、ジェフリー」


「は、はい!」


「今週の休日、忘れるな」


「かしこまりました!」


 ジェフリーが明るい顔で頭を下げた。


 俺はジェフリーと別れて、ダンさんと一緒に大図書館の中を歩いた。大図書館の内部には本棚以外にも多数の机が並んでいて、数人の学者が真剣な顔で本を読んでいた。


「あ……!」


 若い学者が俺を見て目を丸くする。俺は素早く自分の唇に人差し指を当てて「しっ」と言った。それで若い学者は驚いた顔のまま、自分の口を両手で塞ぐ。


 広大な大図書館の奥には、長い階段がある。階段の前には使用人が立っていて、周りを監視している。本来なら、2階に上がるためには許可が必要なんだろう。


 俺とダンさんは階段を上って、更に奥へと進んだ。2階は窓が小さくて薄暗いし、静かすぎる。所々に机があるが、学者はいない。まさに本だけの空間だ。


「……こちらです」


 ランタンを手にして歩いていたダンさんが、隅にある机の前で足を止めた。机の上にはたくさんの本が積まれていた。


「これらの書籍が……『異端の経典』であります」


 その説明に、俺は眉をひそめた。ざっと見ても10冊以上だ。


「これらが……全部?」


「はい」


 ダンさんが真剣な顔で頷いた。


「一言で『異端の経典』といっても、特定の1冊を示しているわけではありません。改訂される前の経典の全てを意味します」


「確かにそうだけど……」


 俺は苦笑した。


 約百年前……当時の国王は女神教の教会を弾圧し、自分の気に入らない内容を経典から削除させた。つまり『異端の経典』は、改定される前の『原書』だ。それは俺も知っていたが……まさか10冊以上も内容が改訂されていたとは。


「……分かった。案内してくれてありがとう」


 俺は内心ため息をついた。


「ここからは俺が直接読んでみるよ」


「かしこまりました。では、自分はこれにて失礼致します」


 ダンさんはランタンを机の上に置いて、1階へ降りて行った。俺は机に座って、10冊以上の厚い経典を見つめた。


「へっ」


 本を読むのは好きだ。でもこの莫大なページの中で……果たして『赤竜降臨の予言』を見つけられるんだろうか。


 最悪の場合……これらの経典には、俺の知っている以上の内容は記録されていないかもしれない。今俺は完全な時間の無駄遣いをしているのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。


「仕方無いか」


 俺は覚悟を決めて、1番上の経典の取ってページをめくり始めた。

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