第429話.啓示、か
9月になってから、王都の気温は徐々に下がりつつある。もう夏も終わり……秋が始まるのだ。
秋は収穫の季節だ。農民たちがずっと頑張って働いてきた結果が、秋に出るわけだ。いや、農民たちだけではない。商人、職人、労働者、学者、聖職者……王都の市民たちにとって、無事に秋を迎えられるのは幸せなことだ。
でもその平穏な雰囲気とは別に、王都には不穏な空気が流れている。『ルケリア王国の侵攻』……それについてのいろんな噂が、人々に不安を植え付けている。
「国境では、もう連中の偵察隊が出入りしているみたいだ」
「やっぱり来るのか……?」
中央広場や酒場に集まって、市民たちはそういう会話を交わした。何しろ、このウルペリア王国は19年前にもルケリア王国に侵攻されたことがある。当時の戦争を経験した人々が、今も生きている。
「親父から聞いたけどさ……ルケリア王国軍は本当に強くて、容赦がないらしい。抵抗すれば街ごと燃やしたりするんだってさ」
「しかもルケリアの現国王は、先代よりも戦争に強いって噂だろう? 『黒竜の化身』とか呼ばれていてさ」
直接戦争を経験した人も、その後生まれた若者たちも……不安を覚えている。『3公爵の抗争』がやっと終わると思ったのに、もっと大きな戦乱が始まろうとしている。
そして不安が強まれば強まるほど、王都には『赤竜の旗』が広がっていく。
「……最近、どこ行っても見えるよね。『赤竜の旗』」
一緒に歩きながら、白猫が笑顔でそう言った。
「みんな『無敵の赤い総大将』に期待しているって話でしょう?」
「まあな」
俺は小さく頷いた。
今、俺は覆面で顔を隠して歩いている。久々に『秘密の外出』をしたわけだ。元々は1人で外出するつもりだったけど、暇を持て余した白猫が『絶対ついて行く!』と言ってきて……結局2人で歩いている。
白猫の言った通り、最近の王都はどこ行っても『赤竜の旗』が見える。民家にも、農家にも、商店にも、貴族の屋敷にも……『赤竜の旗』が掲げられている。俺に対する支持表明を兼ねて、赤竜がこの王国を守ってくれるという願いの表れだ。
歩いている途中、ふと小さな店が視野に入ってきた。靴屋だ。いろんな形の靴が陳列棚に並んでいる。店の職人が直接作ったのもだ。そして店の床には小さな子供が座っている。たぶん職人の子供なんだろう。
靴屋の子供は、人形を手にしている。あれは……赤竜の人形だ。凶暴なはずの赤竜が、可愛い人形に化けて子供の友達になっている。父親が作ってくれたんだろう。俺は思わず笑ってしまった。
それからも俺は、街を歩きながら市民たちの姿を見て、彼らの話を聞いた。報告書だけでは分からない、人々の生きる姿を眺めた。
「レッド君」
白猫が小さな声で俺を呼んだ。
「また何か考えているでしょう?」
白猫は笑顔になり、俺を見上げる。
「お姉さんに言ってみて。聞いてあげるから」
「へっ」
俺は苦笑した。そしてしばらく後、ゆっくりと口を開いた。
「……先日、あんたは俺にこう聞いた。もし俺が本当に最強になって、誰も俺に抵抗しようとしなくなったら……どうする、と」
「うん、覚えている。その答えが出たの?」
「いや、まだだ。でも……」
俺は大通りを歩いている人々を見つめた。
「もう言った通り、俺にとって戦いは存在意義だ。強敵と戦ってもっと強くなることが……俺の生き甲斐だ。もし本当に戦いが無くなったら……」
「……虚しい?」
白猫が綺麗な瞳で俺を凝視する。俺は少し考えてから、首を横に振った。
「こういうことを話すのは早計だな。俺にはまだ敵がたくさんいる。しかも大陸最強の『黒竜の化身』が待ち受けているからな」
「ふふ……そうだね」
白猫が微笑む。
「私も楽しみにしているわ。レッド君が本当に最強になる日を」
「そうか」
「そして、どんな答えが出ても……私と黒猫はレッド君についていくからね。家族として」
白猫は笑顔でそう宣言した。
---
その日の午後、俺は宮殿の会議室で中年の女性と会談を行った。その女性とは女神教の代表……修道女長のロジーさんだ。
「……伯爵様の命に従って、週末教室の規模を少しずつ拡大しています」
「そうか」
「はい。順調に事が進んだら、もっと多くの平民の子供に文字を教えることが出来ると存じます」
一緒にお茶を飲みながら、ロジーさんが笑顔でそう言った。
「あんたも知っている通り、俺は平民の教育に力を入れるつもりだ」
「はい」
「これからも可能な限り支援する。教室の運営は任せるが……深刻な問題が発生しないよう、気を付けてくれ」
「かしこまりました」
女神教の聖職者たちは学問に造詣がある上に、貴族ではない。平民のための教育施設を作るためには彼らの力が必要だ。
俺とロジーさんは、しばらく平民の子供に対する教育について話し合った。ロジーさんも若かった頃は週末教室で先生を務めたことがあるらしい。
「私は授業の時……子供たちが歌や踊りで勉強出来るようにしました」
「ほぉ、歌や踊りか」
「はい」
ロジーさんが恥ずかしそうに笑う。
「少し雑な方法かもしれませんが、子供たちが楽しく遊ぶのが1番大事だと思っております」
「確かにその通りかもしれんな」
俺は顎に手を当てた。
「文字を勉強するのも大事だが、子供の頃は友達と楽しく遊ぶのが1番だろう。俺も……そうしたかった」
俺は自分の子供の頃を思い出した。友達と楽しく遊んだことは……なかった。灰色の貧民街で、毎日生き残るために必死だった。鼠の爺に出会ってからは、勉強と鍛錬に専念した。他のことを考える余裕なんてなかった。
そんな俺が、初めて友達と楽しく遊んだのは……17歳の時だ。アイリンと一緒に砂浜に座って、一緒に砂の城を作ったことを……俺は今も鮮明に覚えている。
それから30分くらい後、会談が終わった。これからも女神教は俺の統治を支持すると、ロジーさんは強く言ってくれた。
「ロジーさん」
「はい、伯爵様」
「最後に、個人的な質問がある」
「何でしょうか」
ロジーさんが真面目な顔で俺の質問を待つ。俺は少し間を置いてから、話を始めた。
「俺の知り合いの中に……『夢の中で未来が見える』と言っている人がいる。あんたは女神教の代表として……こういうことに関して何か知らないのか?」
「夢の中で……未来が……」
ロジーさんはしばらく考えてから口を開く。
「もしかしてその知り合いの方とは……身分の高い貴族の女性でしょうか?」
「そうだけど」
「では……ウェンデル公爵様のご長女、オフィーリア・ウェンデルお嬢様のことですね」
その言葉を聞いて、俺は驚いた。
「どうやってあんたがそれを……」
「実は、相談をされたことがあります」
「相談?」
「はい、生前のヘイデン・ウェンデル様から」
「オフィーリアの兄から……?」
俺はもう1度驚くと、ロジーさんは落ち着いた声で説明を続ける。
「伯爵様もご存知かもしれませんが、ヘイデン様は生前、この王都のアカデミーで学問に励んでいました」
「ああ、それは知っている。父親のウェンデル公爵の反対を押し切って、学者を目指していたんだろう?」
「はい、その通りです」
ロジーさんが頷いた。
「ヘイデン様は女神教の信者の1人として、この王都でもよく礼拝堂に来て、女神教の活動に助力してくださいました」
「なるほど」
俺はオフィーリアのことを思い出した。彼女も兄と同じく女神教の信者だった。父親のウェンデル公爵は別に女神教を信じていないみたいだから、母親の影響なんだろう。
「しかしヘイデン様には……悩みがありました。あの方は一生懸命に学問を励みながらも、実家に残してきた妹のことを心配していました」
「優しい人間だったな」
「はい。それで私はヘイデン様のお力になりたいと思って、相談役を務めることになりました。そしてあの方からいろんな話を聞いたのです」
「なるほど、そういうことだったのか」
俺は頷いた。
「子供の頃のオフィーリアは、自分の予知夢のことを兄のヘイデンだけに話した。そしてあんたはヘイデンからオフィーリアの予知夢について聞いたんだな」
「その通りでございます」
ロジーさんが視線を落とす。過去を思い出しているようだ。
「あの時、私はヘイデン様にこう言いました。もしかしたら、あの夢は女神様の啓示なのかもしれません……と」
「啓示?」
「はい」
ロジーさんは厳粛な表情になる。
「今から約百年前、女神教に『預言者』と呼ばれた聖職者がいました」
「異端戦争の話だな」
「はい。そして記録によると……あの預言者は夢の中で女神様の啓示を受け、未来を予言することが出来たそうです」
「つまり……オフィーリアの夢もそれと同じだと?」
「そうかもしれない……と私は思っております」
俺は少し考えた後、質問を続けた。
「本当にそれが女神の啓示だとしよう。どうして女神は人々に啓示を与えるんだ?」
「それはたぶん……導くためではないでしょうか」
ロジーさんが慎重な口調で言った。
「百年前の預言者は……夢の中で異端戦争の顛末と、多くの信者の死を目撃したそうです。それで信者たちを助けるために、地下礼拝堂や地下通路を建設したと言われています」
「その話なら俺もよく知っているさ」
俺は微かに笑った。女神教の地下礼拝堂と地下通路……俺も世話になったことがある。
「つまり、女神は夢を通じて人々に何かを伝えようとしている……ということだな」
「あくまでも推測ですが……そういうことなのかもしれません」
ロジーさんもそれ以上は知らないみたいだ。俺は質問を変えることにした。
「もう1つ、聞きたいことがある」
「はい」
「『赤竜降臨の予言』についてだ」
「それは……」
「ああ、百年前の預言者が最後に残した予言だ」
俺は腕を組んだ。
「俺が言うのもあれだけど、俺はつい先日まであんたやコリント女公爵から『予言の中の赤竜』かもしれないと疑われた」
「そのことは……誠に申し訳……」
「いや、別に責めているわけではない」
俺は首を横に振った。
「ただ、個人的に興味が湧いたのさ。だからもうちょっと詳しく聞きたい」
「……申し訳ございませんが、私も詳しくは存じておりません」
ロジーさんは本当に申し訳なさそうな顔になる。
「あの予言は『異端の経典』に属するため、私も大まかな内容しか存じておりません」
「ま、教会に『異端の経典』があるはずもないから……当然といえば当然か」
俺は苦笑いした。『異端の経典』は王国法によって禁じられている。あれが教会で発見されたら、大問題になるだろう。
「もし、伯爵様が『異端の経典』を閲覧されたいと仰るなら……」
「王都アカデミーか」
「はい」
ロジーさんが頷く。
「王都アカデミーの大図書館には、王国中のあらゆる書物の写本が保管されております。他の人なら、『異端の経典』のようなものを閲覧するためには許可が要りますが……王都の統治者である伯爵様なら、何も問題はないでしょう」
「……分かった。暇があったら、アカデミーにでも行ってみるよ」
俺が席から立つと、ロジーさんも立ち上がる。
「今日はいろいろとありがとう」
「伯爵様のお役に立ったのなら光栄です」
ロジーさんは丁寧に頭を下げてから、会議室を出た。
「次はアカデミーか……」
俺は椅子に身を任せて、会議室の天井を見上げた。遊び半分のつもりで始めたが……どうやらこの『夢に関する調査』は、しばらく続きそうだ。




