第426話.ただの1人の
9月1日の午後、俺は宮殿の3階の応接間に入った。そして1人でソファーに座り、メイドが運んできてくれたお茶を飲んだ。
「……いいな」
満足な気持ちでお茶の甘い香りを楽しみながら、俺は応接間の中を見回した。
派手さに溢れるこの宮殿にとって……この小さくて地味な応接間は、数少ない心が落ち着ける場所だ。複雑な現実に疲れた時、ここで静かにお茶を飲んでいればだいぶ癒やされる。
俺は目を瞑って、心地よい静けさに身を任せた。いつも熾烈な戦いを続けている俺だが……この平穏さは嫌いではない。
「レッド」
どれくらい時間が経ったんだろうか。ふと少女の声が俺を呼んだ。目を覚ますと、健康な体型の可愛い少女が俺の顔を眺めていた。シェラだ。
「ごめん、邪魔した?」
「いや」
俺は笑顔で首を横に振った。
俺とシェラはソファーに並び座って、一緒にお茶を飲んだ。俺の心は、この可愛い婚約者の存在によって更に癒やされた。
いつものシェラは活発な少女だけど、不思議なくらいに上品に見える時もある。短い茶髪と健康な体型のせいで、女性らしさに欠けているような気もするけど……驚くほど色っぽく感じる時もある。シェラだけの特別な魅力だ。
「……白猫さんから話を聞いたの」
ふとシェラが口を開いた。
「ジョージさんとミアさん……いや、リアンの間に何があったのか、全部聞かせてまらった」
「そうか」
「ここ最近、レッドがずっと悩んでいたのは……そのせいだったのね」
シェラが俺を見つめる。
「私はもちろん、シルヴィアさんもデイナさんも黒猫ちゃんも……みんな心配してたの」
「……そうだったのか」
俺はゆっくりと頷いた。なるべく悩みを表に出さないつもりだったが、やっぱり彼女たちはみんな気づいていたのだ。
「すまない、お前たちに心配かけてしまった」
「ううん」
シェラが首を横に振る。
「私たちの方こそ、いつもレッドに頼っているし……誰にでも悩みはあるからね。ただ……」
シェラが少しだけ身体を寄せてきた。
「ただ……もうちょっと頼ってくれると嬉しいかも」
「……そうだな」
俺はシェラの柔らかい頬に口づけした。シェラは早速赤面になる。
「そ、それにさ……ジョージさんとリアンは復縁したでしょう? レッドの決断のおかげで」
「ああ」
お茶を1口飲んでから、俺は説明を始めた。
「リアンと彼女の家族は、中央広場の近くの屋敷で暮らすことになった。俺の情報部の保護を受けながらな。そして熱りが冷めたら……ジョージとリアンは再度婚約するだろう」
「本当に良かったね」
シェラが何度も頷く。
「敵か味方か、それも大事かもしれないけど……私はあの2人の間の愛情の方がもっと大事だと思う。だから……レッドの決断が本当に正しかったと思う」
「ありがとう」
俺はシェラの頭を撫でた。シェラは少し考えてから、また口を開く。
「本当に許せないのは……アルデイラ公爵よ。いつも裏で陰湿なことばかりして……」
「まあな」
俺は頷いた。
「白猫の報告によると、やつは他にもいろんな計画を立てていたようだ。王都放火、反乱扇動、コリント女公爵の暗殺……」
「そんな……」
「でも青鼠と白猫の活躍のおかげで、やつの計画のほとんどは頓挫することになった」
俺はお茶をもう1口飲んだ。
「青鼠と白猫の破壊工作によって、アルデイラ公爵の情報部はしばらく機能出来ない。そして今年中に……コリント女公爵がやつに止めを刺すはずだ。王国最悪の陰謀家も……もう終わりさ」
「『夜の狩人』が大いに活躍してくれたのね」
「ああ、その過程で白猫が負傷してしまったけどな」
「え……?」
シェラが目を丸くする。
「白猫さんが負傷したの……? 全然そうには見えなかったけど……」
「上手く隠しているからな。でも左足に負傷したのは確かだ」
公爵の城で破壊工作を行うのは、流石の『夜の狩人』でも危険な任務だったのだ。幸い『青髪の幽霊』がいなかったから、破壊工作は完璧に成功させたけど。
「傷は深いの? 治療は?」
「幸い軽傷で済んだようだ。しばらく休憩すれば問題無いはずだ」
「そう……」
シェラが安堵のため息を漏らす。
「……いろいろ危険もあったけど、もうアルデイラ公爵が悪いこと出来ないようになったのね」
「そうだな」
「そしてレッドがこの王国の頂点になれば……きっとまた平和が訪れる」
シェラが俺の顔をじっと見つめる。
「アルデイラ公爵みたいな人は、たとえ戦争で勝っても結局みんなを不幸にするだけ。でもレッドは……いつもみんなに希望を与えてくれるからね。本当に……救世主みたい」
「へっ」
俺は笑ってしまった。
「お前もそう思っているのか? 俺が救世主かもしれないと」
「ううん、もちろん冗談よ」
シェラも笑った。
「私にとってレッドは『救世主』でも『無敵の赤い総大将』でもないからね。ただレッドという名の……私の婚約者だから」
「その通りだ」
俺は笑顔で頷いた。
「王国の頂点になろうが、救世主と呼ばれようが……俺は俺だ。お前のことを愛している……1人の男だ」
俺は手を伸ばして、シェラを抱きしめた。そして彼女の柔らかい唇に自分の唇を重ねようとした。甘い香りがする。
「レッド君!」
しかしその時、応接間の扉が勢いよく開かれて……白猫が入ってきた。俺とシェラは慌てた。
「あらら……もしかして邪魔したかな?」
白猫がいたずらっぽい笑顔でそう言った。俺は義姉を睨みつけた。
「……絶対わざとだろうが……」
「まさか……偶然ですよ、偶然」
白猫が笑顔のまま手を振る。
「久しぶりにレッド君とお茶でもしようかな、と思ったら……まさかこんな甘酸っぱい場面に出くわすなんてね! 今日は運がいいのかしら」
「白猫……」
「では、邪魔者は去りますので……どうか楽しい時間をお過ごしください、頭領様」
そう言い残して、白猫は去ってしまう。
「はあ……」
シェラが深くため息をつく。
「何か拍子抜けしてしまった。私、もう部屋に帰るから……」
「知るか」
俺はシェラを強く抱きしめて、今度こそ唇を重ねた。




