第425話.強引にでも貫き通してやる
弓術鍛錬の後、俺はエルデ伯爵と一緒にお茶を飲んだ。そして30分くらい後、馬車に乗って宮殿に戻った。
「お帰りなさいませ、伯爵様」
俺が宮殿に入ると、いつも通り宮殿のメイドたちが笑顔で迎えてくれた。しかしよく見たら彼女たちは少し緊張している。たぶん俺の機嫌が良くないことに気づいたんだろう。
2階への階段を登り、会議室に入った俺は自分の席に座った。そしてテーブルの上に積まれている報告書に手を伸ばして、じっくりと読み始めた。
「ふむ」
王都行政部の予算に関する報告書……これはシルヴィアが作成したものだ。どうやら各階層の有力者たちが『救世主への支援金』を送り続けているようだ。おかげで予算にだいぶ余裕が出てきた。
「よし」
俺は頷いてから、次の報告書を読んだ。これはエミルの情報部からの報告書だ。彼らが各地で収集したいろんな情報が書かれている。
「これは……」
ところで報告書のある部分を読んだ時、俺は眉をひそめてしまった。そして少し考え込んでから外で待機中の衛兵を呼んだ。
「情報部に伝えろ。俺が白猫と青鼠を呼出したと」
「はっ」
指示を受けた衛兵は、素早く会議室を出た。それから1時間くらい後、2人が姿を現した。
「どうしたの、レッド君? いきなり私たちを呼ぶなんて」
長身の美人、白猫が笑顔で言った。
「急な任務でもあるのか、頭領?」
小柄の老人、青鼠がそう言いながら椅子に腰掛ける。
「ああ……あんたらに任せたい任務がある」
俺は『夜の狩人』の2人を見つめた。
「リアンに関する任務だ」
「リアン? 誰なの、それ?」
白猫が首を傾げる。俺は「リアンは『ミア』と名乗っていた女性の本名」だと答えた。
「ミアさん……?」
「ああ」
それから俺は全てを説明した。ジョージの婚約者だったミアさん、実はリアンという名の特殊工作員だったこと。リアンを派遣したのはアルデイラ公爵であり、彼はこちらの内紛を誘発するつもりだったこと。
「……やっぱり何かがおかしいと思ったわ」
説明を聞いた白猫が、深刻な顔になる。
「あんなに仲良かったジョージ君とミアさんがいきなり婚約を破棄するなんて……絶対何かあると思ったの。でもまさか敵の工作員だったとはね……」
「ふふふ」
青鼠が笑った。
「色仕掛けか。なるほど……我々『夜の狩人』もよく使った手口だ」
青鼠の小さな目が残酷な眼差しを放つ。
「いくら強い騎士様でも、女色には簡単に溺れるからな。でもそれを実現出来る特殊工作員を養成していたなんて……敵ながらやるじゃないか」
愉快そうに笑ってから、青鼠は俺を見つめる。
「で、私たちに任せたい任務とは何だ? アルデイラ公爵の暗殺か?」
「いや、やつを処断するのはあくまでも表舞台でやるべきだ。あんたらには……リアンの家族の救出を命じる」
「救出……?」
青鼠が顔をしかめる。俺は「ああ」と頷いた。
「リアンが未だにアルデイラ公爵の命令に従っているのは、彼女の家族が人質として捕まえられているからだ。これからあんたら2人はアルデイラ公爵の城に潜入して……彼女の家族を救出してくれ」
「まさか……」
白猫が目を丸くする。
「まさかレッド君は……ジョージ君とリアンを復縁させるつもりなの?」
俺がその質問に答えずにいると、青鼠が鼻で笑う。
「へっ、敵の工作員を助けるつもりか? そんな甘いやり方で……」
「救出だけが任務の全てではない」
俺は青鼠の言葉を遮った。
「リアンの家族を救出するついでに……アルデイラ公爵の情報部を攻撃するんだ」
「攻撃、だと?」
「ああ」
俺は無表情で説明を続けた。
「もうこんな汚い真似が出来ないように……アルデイラ公爵の情報部を襲撃して、重要資料を燃やせ。邪魔する者は殺しても構わん」
俺は拳を握りしめた。
「もう何度も言った通り、俺は暗殺が嫌いだ。だが……やられっぱなしで黙っているほどお人好しではない。俺の仲間に傷つけた分は……しっかり返す」
「……ふふふ、やっとその気になったか」
青鼠が気持ちよさそうに笑う。
「まあ、救出ってのは気に入らないけど……敵の情報部を潰すのは楽しそうだな」
青鼠は席から立ち上がった。
「任せておけ。伝説と呼ばれた『夜の狩人』の力……お前にもしっかり見せつけてやる」
公爵の城に潜入し、破壊工作を行うのは危険極まりない任務だ。それなのに……青鼠と白猫は少しも怯んでいない。いや、むしろ2人の気迫は強まっている。
「汚れ仕事は任せてね、レッド君」
白猫が笑顔で言った。
「レッド君は、表舞台で太陽みたいにみんなを照らしていればいい。私たちが……貴方を支えるから」
「……ありがとう」
俺がお礼を言うと、青鼠と白猫は音もなく去ってしまった。
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それから2週後……俺は1人の女性を会議室に呼び出した。
「お呼びでしょうか、伯爵様」
赤髪の女性が丁寧に頭を下げる。拘留されている敵の工作員……リアンだ。
「今日はどのようなご要件で……」
「ちょっと待ってくれ、もう1人呼んだから」
俺がそう答えた時、会議室の扉が開かれて……熊みたいな体格の男が入ってきた。俺の仲間……ジョージだ。
「あ……」
まさかこんな形で再会するとは思いもよらずに、ジョージとリアンが驚く。そして元婚約者のやつれた顔を見て、2人はもう1度驚く。
「2人とも、こっちに来てくれ」
俺はジョージとリアンに向かって手招きした。すると2人は俺の前まで来て、並び立つ。
「今日2人に来てもらったのは、俺の決定を伝えるためだ」
「あ、あの……ボス、決定とは一体……」
ジョージが戸惑う顔で言った。俺は答える代わりには、テーブルの上の鐘を鳴らした。鐘の音を聞いて、外で待機中の衛兵が姿を現した。
「例の人たちを連れて来い」
「はっ」
衛兵は俺の指示に従って、隣の部屋から2人を連れてきた。中年の女性と10歳くらいの少年だ。
「ああ……!」
2人の登場に、リアンが目を丸くする。
「リアン!」
中年の女性が明るい顔でリアンを呼んだ。少年の方も、リアンを見て笑顔を見せる。
「お母さん、ランドン……」
リアンは信じられないと言わんばかりの顔で、母と弟を見つめる。
「どうして2人がここに……」
「ロウェイン伯爵様の部下に同行して……王都まで来たの。貴方がここにいると聞いて……」
リアンの母親はリアンとの再会に喜びながらも、娘のやつれた姿が心配になるみたいだ。
「……再会の喜びを邪魔して悪いけど」
俺が口を開くと、リアンと彼女の家族ははっと気づいて俺の方を見つめる。
「エメリーさん、俺はリアンに大事な話があるんだ。ランドンを連れて隣の部屋で待機してくれないか」
「は、はい……」
リアンの母親は頭を下げてから、息子を連れて会議室を出た。
「伯爵様……」
リアンはまだ驚いている様子だ。俺は無表情で彼女を見つめた。
「俺の諜報員がアルデイラ公爵の城に潜入して、あんたの家族を連れてきたのさ。これで……あんたがアルデイラ公爵の指示に従う理由はない」
「それは……」
「今日からあんたは、俺の命令に従ってもらう」
「……かしこまりました」
状況を理解したリアンが、素直に頷いた。俺はジョージの方を見つめた。
「ジョージ」
「は……はい、ボス」
「お前にとって、ボスの俺の命令は絶対だな?」
「はい……もちろんです」
ジョージも素直に頷いた。俺はジョージとリアンの顔を見渡してから、ゆっくりと口を開いた。
「俺は今まで……側近たちの私生活にはなるべく干渉しなかった。いくら俺に力があっても、心を強要することは出来ないからな。だから今回の件も……お前たちの選択を尊重するつもりだった」
俺は内心苦笑した。この件に関して、俺も結構悩んできた。
「しかし……考えが変わった。この件だけは強引にでも解決するつもりだ。たとえ現実が難しくても」
ニヤリとしてから、俺は2人を直視した。
「2人に命令する。今日からお前たち2人は……1からやり直せ。恋人として」
その命令を聞いて、ジョージとリアンがまた驚愕する。
「リアン」
「は、はい……」
「情報部から報告を受けた。あんた……腹の中にジョージの子供がいるんだろう?」
ジョージが目を見開いてリアンを見つめる。リアンは蒼白な顔で何も言わない。
「もうあんたは俺たちの敵ではない。この1年間、あんたはみんなを騙していたが……ちゃんと謝罪して、やり直せばいい。ミアではなく、リアンとして」
「……かしこまりました」
リアンが涙を流しながら頷いた。
「ジョージ」
「ボス……」
「お前、まだ愛しているんだろう? リアンのことを」
「お、俺は……」
ジョージも涙目になった。俺は少し間を置いてから、話を続けた。
「俺には今も見えているんだ。お前たち2人が……互いを深く愛していることが」
「ボス、俺は……」
「お前とミアの婚約は破棄された。ならミアではなくリアンと恋人になって、新しく始めればいい。仲間たちもみんな理解してくれるはずだ」
「……ありがとうございます」
ジョージが深く頭を下げる。彼の目から涙が溢れて、地面に落ちる。
「お前たち2人は、一緒に幸せになれ。子供のためにも」
俺は席から立ち上がった。
「もう言った通り……これは提案なんかではない。命令だ。分かるな?」
ジョージとリアンが同時に「はい」と答えた。2人は泣いていた。俺はしばらく2人を見つめてから、静かに会議室を出た。




