第42話.天使の涙……
ロベルトと別れた俺は、南の都市から離れた。そして数時間も歩いて……小さな小屋に辿り着いた。
「あう……!」
アイリンが明るい顔で駆けつけてきた。
「元気にしてたか?」
俺はアイリンの頭を撫でてやった。するといきなり後ろから人の気配がした。
「レッドか」
「爺」
いつの間にか鼠の爺が近づいてきていた。本当に予測不可能な老人だ。
「今日は何の用件なんだ? 言っておくけど、対決はもうごめんだぞ」
「安心してくれ。今日は別の件だ」
俺は懐から革袋を持ち出して、爺に渡した。
「……これは何だ?」
「薬物だ」
「薬物?」
「ああ、実は……」
俺は今までのことを爺に話した。
「爺は優れた情報屋でもあるんだろう? 何か知っているんじゃないかと思って」
「どれどれ……」
爺は革袋を開いて、その中の白い粉末を観察する。
「……これは『天使の涙』だな」
「天使の涙?」
「ああ」
爺が頷く。
「ここから海を渡って、ずっと南に行けば『南方大陸』と呼ばれているところがある。この『天使の涙』はそこから伝わって来た薬物だ」
「南方大陸のことは本で読んだことがあるけど……」
「そこの国々では、この薬物を持ち歩いているだけで処刑される。数多くの人々を苦しめてきた代物だからな」
なるほど。
「覚醒効果、そして一時的な身体強化の効果もあるが……中毒性が強いし、最後は……」
「内臓がイカれて死ぬのか」
「ああ」
爺が俺に『天使の涙』を返した。
「……俺が捕らえたやつらは、これを使って何か新しい薬物を開発しているようだった」
「効果だけは確かだからな。副作用を抑えて、無敵の軍隊を作る気かもしれない」
爺が冷笑する。
「だが……そんな都合のいい薬物があるもんか。作用が強ければ反作用も強くなるのが常識だ」
「まあ、そうだな」
俺が頷くと、爺の顔から表情が消える。
「……注意しろ、レッド。薬物とか人体実験とか……常識の通じる連中のやることではない」
「分かった。慎重に動くよ」
「へっ、お前が慎重と言ってもな」
俺は『天使の涙』を懐にしまった。
確かに爺の言う通りだ。俺が相手しているのは極めて危険なやつらだ。なるべく慎重に動いて……一気に撃滅しなければならない。
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次の日、俺は爺から聞いた情報をロベルトに話した。
「なるほど、薬物の正体は……悪名高い『天使の涙』でしたか」
ロベルトの顔が暗くなる。
「噂だけは聞いたことがあります。ある貴族の子息も、『天使の涙』に中毒されて悲惨な死を迎えたとか……」
「あんたの方は、何か情報を掴んだのか?」
「残念ながら具体的な情報は入手できませんでした。たが……」
ロベルトは暗い表情で俺を見つめた。
「医者たちの話によると、最近この都市の貧民の中で……突然死した人が結構いるみたいです」
「その原因がこの『天使の涙』だと?」
「まあ、貧民たちですからね。死んでも一々調査しませんし、確証があるわけではありませんが……グレッグさんは薬物による中毒死の可能性が高いと仰いました」
しばらく沈黙が流れた。
「……私も正直驚きました」
ロベルトが顔を上げて俺を見つめた。
「もちろんここは、昔から危険な匂いが漂う都市でした。しかし同時に活気溢れる姿も持っていて、人々が集まる魅力があったんです。それなのにいつの間にか……内部から薬物が広がっていたとは……」
ロベルトがこの都市を案じているのは、本当みたいだな。
「もっと早く気付くべきでした」
「後悔しても無駄さ。これからのことを考えよう」
「はい」
その時だった。誰かが事務室の扉をノックした。ロベルトが「入れ」と声を上げると、扉が開かれてロベルトの部下が姿を現す。
「ボ、ボス……お客さんがいらっしゃいました」
「客? 誰だ?」
「それが……」
部下は慌てる様子だった。
「ビ、ビットリオさんが……多数の組織員たちを連れていらっしゃいました」
「ビットリオさんだと?」
ロベルトと俺の視線が交差した。ビットリオは……100名近くの男たちを連れて、俺を殺そうとした犯罪組織のボスだ。




