第424話.本質
翌日の朝、俺は側近たちとその家族を会議室に集めた。シェラ、シルヴィア、デイナ、エミル、猫姉妹、鳩さん、ガビン、トムの姉のアンナさん、レイモンの妻のエリザさん……総計10人だ。
「今日みんなに集まってもらったのは、大事な知らせがあるからだ」
10人の視線を浴びながら、俺は無表情でそう言った。
「俺の仲間、ジョージが……ミアさんとの婚約を破棄することになった」
その宣言を聞いて、エミル以外のみんな驚愕する。
「どうやら2人の間に……価値観の違いがあったようだ。長い相談の末、2人とも婚約破棄に同意した」
俺は嘘をついた。『ミアさん』が実は敵の工作員だったということは……言わない方がいいと判断したからだ。
「そんな……」
エリザさんが目を見開いて、口を手で覆う。彼女は『ミアさん』との付き合いが長かったから、大きな衝撃を受けたんだろう。
「まさかそんなことがあったなんて……」
シェラも驚愕の表情で呟いた。
みんな、ジョージとミアさんの間に何かあるのは薄々気づいていたんだろう。しかしまさか婚約破棄が公表されるとは思いもよらなかったはずだ。
「……今日からミアさんはこの宮殿を出て、別の場所で暮らすことになった。そしてジョージは……しばらく休暇を取ることになった。だからみんな……あまり深く詮索しないでくれ」
俺がそう言うと、みんな頷いた。
ジョージは王都の統治者の側近であり、今は立派な騎士だ。なるべく表沙汰にはしたくないが……ジョージの婚約破棄は王都の社交界で話題になるだろう。せめて俺たちだけでも……ジョージのことを配慮した方がいいはずだ。
---
正午になり、俺は馬車に乗って『白色の区画』に移動した。そして俺の親友、エルデ伯爵の屋敷に訪ねた。
「ロウェイン伯爵様!」
屋敷の応接間に入ると、エルデ伯爵が少年みたいな笑顔で迎えてくれた。エルデ伯爵夫人の方は、貴族たちの行事の件で留守中らしい。
俺とエルデ伯爵は一緒に昼食を取った。この屋敷のシェフはチキン料理が得意らしい。スープはもちろんパスタにも鶏肉が入っていて、どれも美味しい。
食事の後、デザートとして出たのはクリームパンだった。しかも俺が『南の都市』でよく食べたクリームパンと形が似ている。
「……へっ」
俺はクリームパンを1個取って、早速食べ始めた。なかなか美味しい。でもやっぱり南の都市で食べたものの方がもっと美味しかった気がする。不思議なことだ。
やがて俺とエルデ伯爵は屋敷の裏に移動して、一緒に弓術を楽しんだ。俺は弓に矢をつがえて飛ばし、遠く離れた標的に命中させた。
「では、自分の番ですね」
エルデ伯爵も俺に続いて矢を飛ばす。すると矢が勢いよく飛んで、見事に標的に刺さる。
「結構上達したじゃないか」
俺が素直に感心すると、エルデ伯爵が恥ずかしそうに笑う。
「最近、毎日のように弓術の練習をしています。何か……本当に楽しくて」
「いいことだ」
俺は笑顔で頷いた。両足の不自由なエルデ伯爵が、こうして自分自身にも出来る武芸を楽しんでいることが嬉しい。そして同時に……不思議な気持ちもする。
俺の仲間のゲッリトは、組織を結成する前は文字の読み書きが出来なかった。しかし今は読書が趣味で、暇がある時はいつも騎士の小説を読んでいる。
エルデ伯爵もそうだ。身体が弱い上に両足が不自由で、いつも他人の武勇伝を聞く方だったエルデ伯爵が……今は自分自身の手で弓を引いて、見事に標的に命中させている。
「ロウェイン伯爵様から弓術を教わらなかったら、この楽しさを一生知らなかったはずです。本当に……感謝します」
「少しでも役に立ったのなら、俺も嬉しいよ」
人と交流して、新しいことを学び、新しい可能性を見つける。それこそが人間の歴史が前進する原理かもしれない。ふとそんな気がした。
それから俺とエルデ伯爵は交互に弓を飛ばし、弓術を競い合った。確かにこれは楽しい。
「……伯爵様」
射撃の途中、ふとエルデ伯爵が俺を呼んだ。俺は彼を見つめた。
「どうした?」
「その……何かお悩みでも?」
エルデ伯爵の質問に、俺は少し驚いた。
「そう見えるのか?」
「何か、ロウェイン伯爵様のご様子がいつもとは違う気がして……」
エルデ伯爵が戸惑う顔でそう言った。俺は少し考えてから頷いた。
「確かにここ最近、悩みを抱えていたのかもしれない」
「どんなお悩みでしょうか?」
「ちょっと難しいことがあってな」
俺は力無く笑った。
「いくら力を手に入れても、全てが思うがままになるわけではない。その当然な事実をもう1度知らされたよ」
「なるほど……」
エルデ伯爵が真剣な表情で頷く。
「ロウェイン伯爵様のような不世出の英雄でも……意のままにならないことはあるのですね」
「俺が英雄かどうかはさておいて、人間だからな。不可能なことなんていくらでもあるさ」
その言葉を聞いて、エルデ伯爵は少し考えてから口を開く。
「実は……前国王陛下もそう仰ったことがあります」
「前国王が……?」
「はい」
エルデ伯爵がゆっくりと頷いた。
「もうご存知かもしれませんが、前国王陛下の王位継承順位は……実は3位でした」
「ああ、確か彼には兄が2人いたと聞いた」
「はい、その通りです。それ故、前国王陛下は王位に縛られることなく……ある程度自由に暮らしていらっしゃったのです。自分が前国王陛下と親交を結んだのもその頃です」
エルデ伯爵が微かな笑顔を見せる。
「前国王陛下は名ばかりの貴族だった自分に優しく接してくださりました。『お前と話していると、この世の複雑さなど忘れてしまう』……いつもそう仰っていました」
その気持ちは理解出来る。エルデ伯爵には少年みたいな純粋さがある。人間の陰湿さに慣れているエルデ伯爵夫人も……夫の前では純粋な気持ちでいられる。ある意味特別な才能だ。
「その後、第1王子様と第2王子様が病と戦争でお亡くなりになり……前国王陛下が国王に就任なさったのです。おかげで自分にも今の地位が与えられました」
エルデ伯爵が言った通り、本来彼は『名ばかりの貴族』だったらしい。しかし親友の『パトリック・キネ』がいきなり国王に就任し、エルデ伯爵も出世することになった。王都では周知の事実だ。
「当時は……何もかも明るく感じられました。前国王陛下を補佐して、少しでもいい王都を作っていきたいと思っておりました。ですがしばらくして……悲劇が起こりました」
「悲劇?」
「はい」
エルデ伯爵の顔が暗くなる。
「前国王陛下には……国王に就任なさる前から、未来を約束した女性がいました。平民の女性です」
「そうだったのか」
「はい。それで前国王陛下は多くの貴族の反対を押し切って、彼女を正室になさったのです。しかし……」
エルデ伯爵が自分の唇を噛んだ。
「正式に王妃になる直前、彼女は……前国王陛下のご子息を出産中に……命を失いました。しかもご子息まで……」
「それは……確かに悲劇だな」
「はい」
エルデ伯爵の瞳に涙が溜まる。
「葬式の時、前国王陛下は自分にこうおっしゃいました。『いくら力を手に入れても、不可能なことがたくさんある。王だって結局1人の人間に過ぎないさ』……と」
「……そうか」
「それからです。前国王陛下が国政を放置するようになられたのは……」
エルデ伯爵が手で涙を拭いた。
「多くの人が……前国王陛下のことを悪く言っているのは知っています。確かにあのお方に責任があるのは否定出来ません。しかし……自分は今もそう思っています。あの悲劇さえ起きなかったら、 そこまでのことにはならなかったと」
「確かに……その通りかもしれない」
俺はゆっくりと頷いた。
現在、俺は王都で『救世主』と呼ばれている。そして前国王のパトリック・キネは『王国史上最悪の暗君』と呼ばれている。だが……俺もパトリック・キネも結局1人の人間だ。本質的には大した差が無いのかもしれない。俺はふとそう思った。




