第419話.立派な騎士
俺たちはしばらくペルゲ男爵領に留まることにした。統治者のペルゲ男爵が目を覚ますまで、この地を守る必要があるからだ。ゲッリトも無理せずにここで治療を受けた方がいいはずだ。
7月25日の午前、俺とレイモンはペルゲ男爵領の本城を見回った。もう城内に守備兵と反乱軍の遺体は見当たらない。しかしまだ血の匂いが残っている。
「負傷者を除いて、まともに動ける守備兵は3百くらいです」
一緒に城壁の上を歩きながら、レイモンがそう言った。
「決して多くはありませんが、城の周辺や城下町の治安は維持出来そうです」
「他の村が問題だな」
「はい、特に辺境の村は……逃走した反乱軍によってまた略奪される可能性があります」
「やつらの根は盗賊だからな」
俺は顎に手を当てた。
先日の戦闘で、俺たちは2千6百の反乱軍を撃破した。しかし反乱軍の一部は戦闘が始まるや否や城から逃走し、山や森へ入り込んでしまった。少数だけど、やつらがまた村を襲うかもしれない。
「来週中にトムが歩兵隊を連れてきたら、逃げ隠れた反乱軍を徹底的に駆逐する」
「はい」
レイモンが答えた時、2人の男が城壁の上に上がってきた。赤竜の騎士……エイブとリックだ。
「ボス」
2人は俺に近寄って頭を下げる。
「自分たちはこれから出発致します」
「ああ……偵察の任務、頼んだよ」
俺は仲間たちに向かって笑顔を見せた。
エイブとリックは、これから少数の騎兵と共に偵察に出かける。ペルゲ男爵領の状態を確認するためだ。今のままでは、どの村が反乱軍によって略奪されたのかすら定かではない。正確な作戦を練るために、もっと情報が欲しい。
「もし偵察中にグレゴリーを見つけたら……即座に始末してくれ。別に生け捕りにする必要もない」
「はっ」
エイブとリックは城門に向かい、待機中の騎兵たちを率いて城から出陣する。俺とレイモンは城壁の上からその姿を眺めた。
「ところで……」
ふとレイモンが口を開く。
「ジョージとゲッリトは和解したようですね」
「ああ」
俺はそっと頷いた。
「俺たちは……もう何年も一緒に命をかけて戦ってきた。楽しい時も辛い時も一緒だった。その信頼……簡単に崩れたりしないさ」
「はい」
レイモンも頷いた。
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2日後……俺は城の執務室で領主の席に座った。そして騎士ブルーノから現状に関する報告を聞いた。
「城下町の領民たちは、やっと普段の生活に戻ったようです」
ブルーノが誠実な口調で言った。
「畑が荒らされた農家も多いですが、秋の収穫までは修復出来ると存じます」
「そうか」
俺は腕を組んで頷いた。
「反乱軍が一掃されたら、王都との交易を再開出来るだろう。そうなったらこの地の経済も少しはよくなるはずだ」
「はい……」
「収穫前に食糧難に苦しむ領民がいたら、俺の方から支援するよ。何とか秋まで耐えられるように」
その言葉を聞いて、ブルーノが俺を注視する。
「どうした、ブルーノ卿? 何か言いたいことでもあるのか?」
「……誠に感謝致します、ロウェイン伯爵様」
ブルーノが片膝を負って頭を下げる。
「伯爵様の武勇と知略、そして寛大さが無かったら……今頃このペルゲ男爵領は生地獄になっていたはずです。この地の人々に代わって……お礼を申し上げます」
ブルーノは震える声で話を続ける。
「ここ数日で、自分もやっと分かりました。女神教の宣言通り、伯爵様こそがこの王国の救世主だったのです」
俺は内心苦笑した。どうやら……しばらくは救世主と呼ばれそうだ。正直ちょっとくすぐったい気持ちだが、仕方無い。俺が招いた結果だ。
それから俺とブルーノは、領民に対する支援について話し合った。食糧だけではなく、医薬品や衣服なども不足している。戦乱のせいで困っている人は多いのだ。
話しが終わった後、俺は執務室を出て1階の客室に向かった。そこには大きなベッドがあり、1人の男が横になって本を読んでいる。ゲッリトだ。
「ボス」
俺を見て、ゲッリトが笑顔を見せる。
「何読んでいたんだ、ゲッリト? また騎士の小説か?」
「はい、まあ……」
ゲッリトが恥ずかしそうに笑う。
「何か最近、小説を読むのが好きになっちゃって」
「いいことじゃないか」
「文字が読めるって、こういう楽しみもあるんですよね」
「知識は世界を見る視野の広さ……て言葉もあるからな」
それから俺とゲッリトは騎士の小説について語り合った。ゲッリトは楽しい笑顔で好きな登場人物とか好きな台詞などを話した。傷のせいで一日中寝ているから、流石に退屈していたんだろう。こういう何気ない会話が楽しくて仕方無いみたいだ。
「……そう言えば、もうすぐ出版されるんですよね? ボスを主人公とした小説」
「へっ、あれか」
俺は苦笑いした。
「あれはルークの野郎が勝手に執筆したものだ。ま、出版する前にまず俺が内容を確認するつもりだけど」
「楽しみです」
ゲッリトが笑う。
「ボスが主人公ということは、俺も小説に登場する可能性があるってことですよね」
「確実に登場するだろうな」
「小説の中の俺はどういうやつなんでしょうか? 意外とかっこいいやつだったりして……」
その時、客室に誰かが入ってきた。それは……9歳くらいの小さな少年だ。
「あ、あの……」
ペルゲ男爵の息子は、戸惑う顔で口を開く。
「あの……」
「どうした、ペルゲ男爵に何かあるのか?」
「い、いいえ……!」
聡明そうな少年は、慌てて首を横に振る。
「その……そこの騎士様が……」
少年がゲッリトを見つめる。
「わ、私のせいで……傷を……」
どうやら少年は、ゲッリトが重傷を負ったのが自分のせいだと思っているみたいだ。
「何言ってるんですか? お坊ちゃん」
ゲッリトが明るい顔で言った。
「あれはお坊っちゃんのせいではありません。卑怯な反乱軍のせいです」
「で、でも……」
「それに……」
ゲッリトが優しい目で少年を見つめる。
「弱き者を守るのは騎士の努めです。別に大したことではありません」
「でも……人に助けてもらったら、必ず恩返しするべきだと……父さんが……」
少年が視線を落とす。
「……お坊ちゃん、名前は?」
「へ、ヘンリー……」
「ヘンリーか、いい名前ですね」
ゲッリトが頷く。
「じゃ、お坊ちゃんが大人になって、強くなったら……弱き者を助けてください。それが俺への恩返しです」
ヘンリーは一瞬目を丸くしたが、しばらく後、強く頷く。
「う、うん……! 分かった……! 騎士様みたいにやってみる……!」
「ありがとうございます、お坊ちゃん。では……今は父さんの側を守ってください」
「うん!」
ヘンリーが客室を出た。あんな酷いことを経験したのに、強い子だ。ゲッリトは微笑んだ。
「……素晴らしいじゃないか、ゲッリト」
「はい?」
「今のやり取り、小説の中の騎士ぽっかったぞ」
「そうですか? へへ……」
ゲッリトは気持ちよさそうに笑った。
「それっぽいことを言っただけです。俺、難しい言葉は知らないし」
「お前の行動と言葉で、怯えていた1人の少年が安心するようになった。十分立派なのさ」
「救世主のボスからそう言われると、嬉しくも恥ずかしい気がしますね」
「だから救世主は止めてくれ」
俺とゲッリトは同時に笑ってしまった。




