第406話.新しい流れ
コリント女公爵との会談から10日後……約束通り、彼女は大々的に公表した。『アルデイラ公爵がルケリア王国と手を組んでいた』という事実を。
その公表は瞬く間に広がり、6月18日には王都にも届いた。そして王都の市民たちは衝撃を受けた。ルケリア王国といえば、19年前にこの王国を侵攻した国だ。まだあの戦争の惨状を覚えている市民も多い。それなのにまさか王国の頂点である公爵が、ルケリア王国と手を組んでいただなんて。尋常ではない事態なのだ。
『もしかしたらルケリア王国がまた侵攻してくるかもしれない』……そういう不安と恐怖が市民たちの心を凍らせた。『3公爵の抗争』がやっと終わるかもしれないのに、これではいつまでも平和が来ない。いつまでも暗い未来が待ち受けているだけだ。市民たちは中央広場や銅色の区画の酒場に集まり、暗い表情で明日を心配した。
そして2日後の朝……この王国最大の宗教である女神教から、重大な宣言が行われた。その宣言とは……。
「レッド!」
宮殿の応接間で紅茶を飲んでいた俺は、いきなり聞こえてきた呼び声に振り向いた。シェラが急ぎ足で応接間に入ってきて、上気した顔で俺を見つめる。
「どうした、シェラ? 何かあったのか?」
「どうした、じゃないわよ!」
シェラが声を上げる。
「宮殿の外に……人々が集まってきているの!」
「宮殿の外に?」
「うん! 今朝女神教の大礼拝堂で宣言があったらしくて……」
シェラは目を丸くして話を続ける。
「しかもそれ……レッドが救世主だという宣言らしいの!」
「ああ、それか」
俺は頷いた。
「その宣言は俺とロジーさんが事前に協議したことだ」
「事前に……?」
「人々の不安を鎮めるための宣言さ。なるほど、だから人々が宮殿の前に集まってきているのか」
俺はニヤリとしてから、紅茶を飲み干した。そして席から立ち、窓際に行って外を眺めた。
「ほぉ、たくさん集まっているな」
シェラの言葉通り、宮殿の外には多くの市民が集まっていた。ざっと見ても3千人以上が並んでいる。宮殿の検問所の衛兵たちが、慌てた様子で市民たちの前を防いでいる。
「どういうことなの!? あの宣言、レッドが指示したの!?」
「そうだな……俺が指示したようものだ」
俺が苦笑いすると、シェラが呆れた顔になる。
「何笑っているのよ! 人々があんなに集まっているのに、どうするつもりなの!?」
「落ち着け、俺が何とかするから」
俺は応接間を出て階段を降りた。シェラが俺の後を追ってくる。いや、シェラだけではなく……いつの間に側近たちが1人また1人と現れて、俺についてくる。
「ボス……!」
レイモンが『レッドの組織』を連れて、俺に近づく。
「話は聞きました。教会で宣言があって……」
「ああ、分かっている」
俺は側近たちの顔を見渡した。みんな上気した顔で俺を凝視している。
「みんな、慌てるな。市民たちは……ただ俺の姿を見たいだけだ」
そう言ってから、俺は側近たちを連れて宮殿を出た。そして検問所の方に向かった。
「おお……伯爵様だ!」
「伯爵様がお見えになった!」
俺の姿を見て、3千近くの市民たちは急いで片膝を折って頭を下げる。彼らは……大礼拝堂で行われた宣言を聞いて、驚いて宮殿の前に集まったのだ。救世主の姿を……『赤竜』の姿を見るために。
「あんたらの気持ち……俺は分かっている」
俺は人々に向かって声を上げた。
「心配するな。この王国を害する連中は……公爵だろうが他国だろうが俺が容赦しない」
人々が厳粛な顔で俺を見上げる。まるで……教会で礼拝をしているような態度だ。男も女も、子供も老人も……俺に敬意を込めた視線を送ってくる。
「戦いは俺に任せて、あんたらは戻って普段通り生活してくれ。それで十分だ」
そう言い残して俺は宮殿に戻った。別に救世主を気取るつもりはないが……これでよかろう。
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どうやら女神教の救世主宣言は、俺の想像よりも大きな効果をもたらしたようだ。
宣言から3日後、俺は会議室で側近たちとまた会議を開いた。その会議で、王都財務官を務めているシルヴィアが驚くべき報告を上げた。
「各階層の有力者たちが、レッド様を応援するための支援金を送ってきております」
「有力者たちが……?」
「はい」
シルヴィアが笑顔で頷いた。
「商人代表のネッドさんを始め、豪商や富裕層……そして一部の貴族も我々に支援金の送りたいという旨を示しております」
「貴族まで?」
「はい、女神教の信者のようです」
俺は驚いた。王都の貴族って、別に俺に忠誠を誓ったわけではないはずなのに……。
「貴族の世論も大きく変わりつつあります」
貴族との交渉役を務めているデイナがそう言った。
「アルデイラ公爵がルケリア王国と手を組んだこと、そして女神教の救世主宣言が相まって……女神教の信者を中心に、レッド様に対する友好的な世論が形成されつつあります」
デイナがニヤニヤする。
「みんな言っておりますよ、レッド様こそが正真正銘の救世主かもしれないって」
「へっ」
俺はつい失笑してしまったが、側近たちは……みんな真剣な顔をしている。
「あ、あの……」
ゲッリトが手を上げた。
「やっぱりボスって……女神の使者なんじゃ……」
「何言ってるんだ、ゲッリト」
俺はため息をついた。
「もう説明したじゃないか。あの宣言は俺がロジーさんに指示したものだ」
「でも……」
ゲッリトが難しそうな顔をする。
「ボスっていつも奇跡を起こすんですよね。ボスが女神の使者なら全部説明出来るし……」
「私もその意見には同意するかも」
白猫が口を挟んだ。
「レッド君の活躍って、近くで見ていても信じられないからね。女神の奇跡って言った方が納得いくよね」
「そうです、白猫さんの言う通りです!」
ゲッリトが頷いた。いや、ゲッリトだけではなく側近のほぼ全員が頷いた。
「だから何言ってるんだ、お前たち」
俺は苦笑してから、ずっと黙っているエミルの方を見つめた。
「エミル」
「はい」
「お前はどうだ? お前も俺が本当に救世主かもしれないと思っているのか?」
「私はそういうことには興味ありません」
エミルが冷たく言った。
「ですが、この場合……総大将が本当に救世主かどうかは大事ではありません。人々がそう信じていることが大事です」
「そうかもしれないけど……まあ、どうでもいい」
俺は諦めて、話題を変えることにした。
「利用出来るものは利用するだけだ。シルヴィア」
「はい」
「支援金の規模はどれくらいだ? 新兵を募集するに十分な金額か?」
「はい、想定通りなら……今年の軍事予算の2割に相当します」
「そいつは大きいな」
俺は満足げに頷いてから、警備隊隊長のガビンを見つめた。
「ガビン」
「はい、伯爵様」
「俺たちには時間が無い。明日から警備隊の方で新兵を募集してくれ。まず5百人くらい」
「かしこまりました」
ガビンが頷いた。
「レイモン」
「はい、ボス」
「『赤竜騎士団』……もうすぐ設立されるんだって?」
「はい」
レイモンが笑顔を見せる。
「衛兵の兵舎の1棟を譲渡してもらって、そこに騎士団の本部を設置することにしました」
「そうか」
宮殿の東には、衛兵の兵舎が並んでいる。俺の最初の仲間たちである『レッドの組織』は、そこに本部を設置して……新たに『赤竜騎士団』として生まれ変わるのだ。
「新兵が集まったら、お前たちとトムが協力して訓練させるように。それが『赤竜騎士団』の最初の任務だ」
「かしこまりました、ボス」
6人の『赤竜騎士団』が一斉に頷いた。
それからも俺は側近たちと相談して詳細な方針を決めた。いつもの作戦会議だ。しかし……いつもとは雰囲気が違う。みんな何かが大きく変わっていくことに気づいたのだ。何か大きな流れが始まったような妙な感覚……そう、これは『新たな王国』の始まりかもしれない。




