第397話.対決の結末
約1時間後、俺は礼服に着替えて宮殿を出た。
宮殿の外には華麗な馬車が8台も待機している。今日の食事会には俺の側近とその家族が全員招待されたからだ。エルデ伯爵が太っ腹なところを見せてくれたのだ。
「では、出発しようか」
側近たちとその家族は三々五々馬車に乗り合わせた。誰よりも元気な幼児であるエイミは、どうやら馬車に乗るのが嫌いみたいだけど……結局母親のエリザさんに抱かれて馬車に乗る。
俺はシェラとシルヴィアと一緒に先頭の馬車に乗った。俺が御者に指示を出すと、8台の馬車はゆっくりと道路を進んでエルデ伯爵の屋敷に向かう。
馬車の中で、俺とシェラとシルヴィアは沈黙を守った。この3人が集まると、いつも明るい雰囲気だったのに……今は重い空気だけが流れている。
「レッド」
いきなりシェラが沈黙を破った。俺は少し驚いた彼女を見つめた。
「話、聞いたよ」
「な、何の話?」
「村を失った人々のために、臨時野営地を構築したんだって」
「あ……その話か」
俺は内心安堵した。
「カレンとトムが歩兵隊を率いて……略奪された村の近くに臨時野営地を構築し、今朝帰還したのさ」
「そう……本当によかったわね」
シェラが真面目な顔で頷いた。
先日の戦闘で、戦場の近くの村が敵傭兵によって略奪・放火された。おかげで百人を超える人が村を失い、事実上戦争難民になってしまった。それを放置したら治安に問題が発生する恐れがあると判断した俺は、カレンとトムを派遣して難民のための臨時野営地を構築させた。
「あの人々は、俺とアルデイラ公爵の紛争の被害者だからな。完璧とはいえないけど、救済を怠るわけにはいかない」
「レッドって、そういうところに細かいよね」
「いや……俺よりシルヴィアが頑張ったのさ」
俺はシルヴィアの方を見つめた。
「厳しい予算をどうにか調整して、難民への支援を可能にしてくれたからな。おかげで最近睡眠不足だろう?」
「レッド様の指示に従って、予算を編成するのが私の仕事ですから」
シルヴィアが微かな笑顔を見せた。ここ最近、シルヴィアの目にはずっと隈が出来ている。
「仕事もいいけど、シルヴィアの健康が心配だ。再来週に仕事が落ち着いたら、休暇を取ってくれ」
「……かしこまりました。レッド様もどうかご無理なさらずに」
「俺は人より数倍元気だからな。しばらくは問題無いさ」
俺が笑顔で答えると、シェラとシルヴィアも笑顔になる。
「元気なのもいいけどね……」
シェラが笑顔のまま俺を見つめる。
「これ以上側室を増やすのは流石に困ると思うよ」
「うっ……!」
シェラの言葉が胸に直撃した。戦場で強敵とぶつかった時より衝撃が大きい……!
「それは……その……」
「デイナさんのことなら、以前からある程度気づいていたけどね」
シェラとシルヴィアが俺を凝視してきて、俺は凍りついてしまった。
「あの人、言葉には出さないけどレッドに凄く頼っているわよ」
「そ、そうか……」
「仲が悪かったとはいえ、いきなり母親から離れて……新しい道を探すことになったからね」
シェラが真面目な口調で言った。いつもより大人に見える。
「ううん、デイナさんだけではない。私たちはみんな……レッドに頼っている。たぶんレッドが思っているよりも……ずっと頼っている」
シェラの言葉に、シルヴィアも小さく頷く。
「レッドっていつももっと多くの人々を背負うとしているからね。その過程で……私やシルヴィアさんみたいに、レッドに頼ることになった女の子がいるのも……ある程度は仕方無いと思う。でも……」
シェラはそこで口を噤み、代わりにシルヴィアが口を開く。
「……現在、レッド様の権限は3公爵を凌駕します。それほどの権力者は、後継者問題に関して慎重になるべきだと存じます」
「……ああ」
俺は素直に頷いた。
「2人の言う通りだ。確かに俺が……自分勝手過ぎた。大事なことを教えてくれてありがとう」
俺の私生活は、もう俺1人の問題ではない。これ以上側室が増えると……後々大変なことになり得る。シェラとシルヴィアは自らの感情を抑えて、その事実を教えてくれたのだ。
「……俺の方こそ、いつもお前たちに頼っている」
別にお世辞ではない。俺は……いつもみんなに頼っている。
「では、この話はここまで!」
シェラが手を叩いた。
「せっかく客として食事会に参加するんだから、楽しまないとね」
「ああ」
そこから雰囲気が一気に明るくなり、俺たちは普段通り楽しく話し合った。俺はシェラとシルヴィアに深く感謝した。
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やがて空が薄暗くなった時……8台の馬車は巨大な屋敷の前で止まった。俺たちは馬車から降りて、屋敷の正門を潜り抜けた。すると美しい春の庭園と、その真ん中に立っている優雅な貴婦人の姿が視野に入った。
「皆様」
白いドレスの貴婦人、エルデ伯爵夫人が笑顔で俺たちを迎えてくれた。
「ご訪問、誠に感謝致します。今日は皆様のための細やかな食事を用意しております」
「温かい歓迎、感謝する。エルデ伯爵夫人」
客を代表して俺がお礼を言うと、エルデ伯爵夫人は頭を下げて「ロウェイン伯爵様には日頃からお世話になっております」と答えた。
「さあ、こちらへどうぞ」
俺たちはエルデ伯爵夫人の後ろを追って、広大かつ古風な屋敷に入った。そして綺麗に掃除された廊下を歩いて、1番奥の大きな食堂に辿り着いた。
「おお……」
食堂に踏み入った瞬間、ゲッリトが感嘆の声を漏らした。食堂の中には巨大な長方形のテーブルがあり、その上には豪華な料理が並んでいたのだ。
高級なサラダとスープ、豚の丸焼き、パイ包み、ビーフシチュー、チョコレートケーキ、新鮮な果物、ワインとジュース……決して宮殿のパーティーに遅れを取らない。
「ロウェイン伯爵様!」
テーブルに座っていた若い男性が俺を呼んだ。この屋敷の主、エルデ伯爵だ。
「ご訪問してくださり、本当にありがとうございます!」
「俺の方こそ、招待してくれてありがとう」
俺とエルデ伯爵は笑顔で挨拶を交わした。
やがて俺たちが各々指定された席に座ると、エルデ伯爵夫人がグラスを持ち上げて「皆様、どうかお楽しみください」と宣言した。それで俺たちは一緒に乾杯し、食事会が始まった。みんな楽しく話しながら豪華な料理を味わう。
「あら……可愛いお子様ですね」
食事の途中、エルデ伯爵夫人が目を輝かせた。彼女は母親に抱かれているエイミを眺めていた。エイミは豪華な料理よりも銀のスプーンに興味を示している。
俺とエルデ伯爵は、いつも通り軍隊について語り合った。俺が実際に経験した戦闘について話すと、エルデ伯爵は「おお、素晴らしいです!」と感嘆し続けた。
「実は、ここにいる『レッドの組織』の6人は……もうすぐ騎士になる予定だ」
「それはおめでたいことですね! 皆さんの活躍なら私も聞き及んでおります!」
エルデ伯爵が上気した顔を見せる。
「『南の都市』で、ロウェイン伯爵様と皆さんがたった7人で100人を倒したと聞きました!」
「その話も知っていたのか……」
俺は苦笑した。俺の戦いに関する噂は、もう王国の隅々まで広がっているのだ。流石に詳細まで知っているのは少数だけど。
約1時間後、食事が終わり……俺たちはすぐ近くの大応接間に移動した。そこには甘い香りのお茶と焼き立てのクッキーが用意されていた。俺たちはソファーに座って、食事後のお茶を楽しんだ。
「皆様のご存知のはずですが……」
エルデ伯爵夫人が応接間の真ん中に立ってみんなの顔を見渡した。
「ロウェイン伯爵様のご提案で、今日は特別な座興を用意しております」
エルデ伯爵夫人が笑顔で宣言すると、楽器を持っている人々が入ってきた。礼服姿の楽団だ。
「では、歌の大会を開催させて頂きます。この大会には最近大人気の吟遊詩人、『美声のルークさん』と彼の弟子も特別参加します。参加者と勝者のために細やかながら賞品も用意しております」
俺たちは拍手を送った。そして事前に大会参加を申請した人々が席から立ち上がった。その中には……。
「トム、お前も……?」
俺は驚いて、いつも誠実な副官を見つめた。トムは強く頷いた。
「はい、いつか総大将が仰った通り……全力で楽しむ所存です!」
トムはいとも真面目な顔だ。こいつ、俺の言葉をまるで神のお告げみたいに思っている。
結局俺たちの中で大会の参加するのは……白猫、エイブ、ミアさん、トムの4人だ。この4人とルークとタリアが競うことになったのだ。
大会の審査員は……エルデ伯爵、カレン、ガビン、エリザさんの4人だ。この4人が大会参加者の歌に点数を付けて、最も高い点数を取った人が今日の勝者となる。
「では、自分から行きます!」
最初に歌うのは……トムだ。トムが真剣な顔で前に出ると、楽団が楽しい旋律を奏で始める。
「手紙が届いて……僕は街の中を走り出す……」
大応接間の中に、トムの歌声が響き渡る。それは……お世辞にも上手いとはいえない。しかしトムがあまりにも真面目に歌っているから、俺たちの気持ちも自然と楽しくなってきた。
「夏の太陽が見ている中で……僕は君に向かって……」
やがてトムが歌い終えた。俺たちは拍手を送り、トムは「ありがとうございます!」と頭を下げてから満足気な顔で席に戻る。
「次は私が歌おうかな」
トムの次は、俺の義姉である白猫だ。白猫が妖艶な仕草で前に出ると、楽団が新たな旋律を奏でる。それは静かで悲しい曲だ。
「この思いを彼方へ……今は会えない貴方の元へ……」
白猫の美しい歌声に、俺たちは息を殺した。白猫はいつも明るく振る舞っているのに、歌う時はいつも悲しい曲だ。まるで別人になったみたいだが……彼女の歌には人の心を掴む力がある。
「貴方が見えない時にも……私の思いだけは……」
白猫の歌が終わると、みんな拍手を送った。白猫は笑顔で「ありがとうございます!」と言ってから、席に戻った。
「では、俺の番ですね」
エイブが席から立って、前に出た。彼は『レッドの組織』の中でも1番歌が上手くて、吟遊詩人にも劣らないくらいだ。激しい戦闘があった日の夜は、エイブが歌で兵士たちの心を癒やしたりする。
「この道を進めば……君が俺を待っている……」
それは戦争から生還した兵士が、故郷の恋人に会いに行く歌だ。再会の嬉しさと恋人への愛情が上手く表現されていて、兵士の間では1番人気のある歌らしい。俺も何度か聞いたことがある。
「もう1度、君の声を聴いていたい……もう1度、君の笑顔を見ていたい……」
エイブの歌が終わり、彼は強い拍手の音に包まれながら席に戻った。
「次は……私です」
ミアさんが恥ずかしそうな笑顔で席から立ち上がった。彼女はジョージの恋人で、赤髪の可憐な美人だ。
「何度も誓います、私の気持ちと一緒に……」
ミアさんが歌い始めた時、俺は少し驚いた。彼女の歌を聞くのはこれが初めてだけど、相当な腕前だ。白猫やエイブに遅れを取らない。
「この愛情、何度でも誓います……」
女性が恋人の側で愛を誓う歌だ。ミアさんの甘い歌声と旋律が重なって、自然とドキドキしてしまう。彼女の歌が終わった時、俺たちは甘い空気の中で拍手を送った。
ミアさんが席に戻ると、長身の男と小柄の少女が入ってきた。今日の特別参加者、美声のルークとタリアだ。2人は俺たちに向かって深くお辞儀した。
「このタリア、皆様にこの歌を捧げます!」
先に歌うのはタリアの方だ。タリアはいつもとは違う真面目な態度でリュートを手にして、小柄の少女とは思えない声量で歌い始める。
「空の向こうまで……小鳥たちは羽ばたき……」
たぶんこれは……タリアの新曲だ。未来への希望を表現している。今日のために作曲してきたんだろう。
「小さながらも……風を切って羽ばたき……」
流石タリアの歌は一味違う。白猫、エイブ、ミアさんの歌も素晴らしかったけど……タリアの声量調節や人の感情を揺さぶる力は、もう圧倒的としか言えない。
タリアは最後まで全神経を集中して歌い、俺たちは強い拍手を送った。
「では……このルークが皆様の心に1曲を差し上げましょう」
そして最後の参加者であり、最近大人気の吟遊詩人……ルークが歌う番になった。ルークは笑顔でリュートを手にして、旋律を奏でながら歌を始める。
「たとえ運命が貴方を騙そうとしても……青い空の向こうには……」
この曲は……俺も聞いたことがある。ルークが酒場で公演する時、いつも歌う曲だ。新曲を持ってきた弟子に対して、師匠は1番自信のある曲を持ってきたのだ。
「1人に見えても……貴方の側にはいつも明るい太陽が……」
傷ついた人々のための、生きる希望を与える歌……タリアの新曲に似ているが、どこか違う。人生の辛さや重さを感じさせながらも、更に笑顔を見せる歌だ。普段のルークは、ただの軽薄なやつなのに……彼の歌声には深い思量が込められている。どうしてそんなことが出来るんだ?
やがてルークの歌が終わった時、しばらく沈黙が流れた。ルークが深くお辞儀すると、みんなはっと気がついて強い拍手を送った。それほどルークの歌声は人々の心に染み込んでいた。
「では……審査員の皆様の意見を集めて、この大会の勝者を決めさせて頂きます」
エルデ伯爵夫人が優雅な笑顔で宣言し、4人の審査員から点数表を受け取った。
「勝者は……流石ですね。特別参加者、美声のルークさんです!」
勝者の発表を聞いて、ルークはもう1度深くお辞儀した。俺たちはもう1度彼に強い拍手を送った。ある意味予想通りの結果だ。『王都一の吟遊詩人』ってのは、伊達ではなかったわけだ。
それから俺たちはルークの公演を楽しみながら、お茶を飲んで夜遅くまで話し合った。
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夜が深まった頃……俺はこっそりと応接間を出た。そして冷たい夜の空気を肌で感じながら、庭園に向かった。
春の庭園が月明かりに照らされ、神秘的な雰囲気を作っている。まるで異国のような風景だ。その風景の隅には2人の少女がいる。タリアと黒猫だ。
タリアと黒猫は一緒に長椅子に座って、肩を寄せている。俺は2人に近づいた。
「うっ……ううっ……」
タリアは項垂れて泣いていた。いつもは明るすぎる少女なのに……今はひたすら泣き続けている。
「タリア」
「は、伯爵様……」
俺の呼び声に、タリアは涙に濡れた顔で俺を見上げる。
「私……私……負けてしまいました……ううっ……」
「ああ、俺も見たよ」
俺は黒猫の隣に座った。タリアは涙を流しながら話を続ける。
「最善を尽くしたのに……新曲も作ったのに……負けてしまいました……」
「お前の師匠が強かったからな」
俺は明るい月を見上げた。
「ルークのやつは……普段は軽薄だけど、吟遊詩人としては間違いなく1流だ。酒場で公演する時も、やつは一瞬で客たちの心を虜にした」
「私には……師匠みたいな才能がないんでしょうか……」
「いや」
俺は首を横に振った。
「あれは才能という言葉だけで説明できるものではない。ルークは……ああ見えても、吟遊詩人という道に命をかけているんだ。人々から嘲笑われようが、皿洗いや畜舎掃除をしていようが……やつは必死に考えてきたんだ。どうすればもっと素晴らしい吟遊詩人になれるかを」
「素晴らしい吟遊詩人……」
「成功するかどうかの問題ではない。それは時の運だ。しかしルークの吟遊詩人としての実力は……長年蓄積してきた本物なのだ」
「私は……」
タリアが泣き止んで、ゆっくりと口を開く。
「私は……師匠に到底及びません」
「それでいいじゃないか」
俺はニヤリとした。
「お前も知っている通り、俺にも師匠がいる」
「鼠の爺……ですね」
「実は俺も……今まで1度も師匠に勝ったことがない」
「はい……?」
タリアが目を丸くする。
「伯爵様が……勝ったことがない……?」
「ああ、師匠が強すぎてな。最後に対決した時は、ボロボロに殴られて気を失ってしまった」
あれももう3年前だ。今まで何度も強敵と戦ってきたけど……気を失ったのはあの時だけだ。
「でも俺は、師匠が俺より強くて逆に安心した。俺もまだまだ強くなれるって話だからな」
「そんな……伯爵様はもう無敵なのに……」
「俺は無敵でも最強でもないさ」
俺はタリアを見つめた。
「正直に言って、俺は吟遊詩人についてはよく分からない。だが吟遊詩人の道ってのも、簡単に最強になれるほど甘くはないんだろう?」
「は、はい……」
「じゃ、これからどんどん強くなっていけばいいじゃないか」
俺は拳を握りしめた。
「今はまだ弱くてもいい。どんどん強くなって、少しずつでも前へ進む。それが俺には楽しいんだ」
「楽しい……」
タリアが自分の両手を見つめる。
「私も……楽しく……強くなりたいです。でも……」
タリアの瞳から涙が零れ落ちる。
「もう自分の歌に……自信が無くなって……」
その時、黒猫がそっと手を伸ばしてタリアの手を掴んだ。
「タリアさん」
「黒猫ちゃん……?」
「私は……タリアさんの歌が好きです」
その言葉を聞いて、タリアは黒猫を抱きしめて泣いた。俺は安堵のため息をついて、2人の少女の側で夜の庭園を眺めた。




