第39話.ただ気に入らないからだ
南の都市の大通りを歩いていると、自然に港とその向こうの海が見えてくる。
ふと海を初めて見た少女の明るい笑顔が思い出されて、俺も笑顔になる。あの笑顔はたぶん一生忘れられないだろう。
やがて俺は大通りの西側へ足を運び、大きな建物に入った。
「レッドさん」
テーブルに座っていた男たちが俺を見て立ち上がった。俺はフードを外した。
「ボスから話は聞きました。真ん中の部屋で医者が待っています」
「分かった」
俺は廊下を歩いて真ん中の部屋まで行った。扉を開くと薬剤の匂いが漂う空間、そしてガラスの瓶を持っている中年の男が見えた。
「あんたは……」
中年の男が俺を振り向く。
「なるほど、あんたが噂の『赤い化け物』だな」
中年の男は、疲れが見える顔に笑みを浮かべた。
「私は医者のグレッグだ」
「俺はレッドだ」
俺はグレッグと握手した。
「この都市の医者たちはあんたのことをよく知っているさ」
グレッグがニヤリと口元を歪ませる。
「あんたのおかげで患者が激増して、仕事も激増したからな」
「どういたしまして」
「感謝していない! おかげでこっちは過労死しそうなんだ!」
俺は苦笑した。
「そんなことより、デリックはどこだ?」
「案内してやる。ついてこい」
俺はグレッグと一緒に部屋を出て、廊下を歩いた。
ここはロベルトが経営している診療所だ。負傷した格闘場の選手たちはここで治療を受ける。もちろんデリックもここにいて……俺は彼から情報を聞くために来たわけだ。
「……デリックは本当に長生きできないのか?」
「ああ、そうだ」
グレッグが頷く。
「できるだけの措置を施したが……そもそも薬物のおかげで内臓がイカれている」
「じゃ、後どれくらい生きられるんだ?」
「それは私にも断言できない。明日死ぬかもしれないし、半年後に死ぬかもしれない」
長くても半年ということか……。
俺たちは診療所の東側まで行き、そこの部屋に入った。綺麗に掃除されている部屋だ。一人の男がベッドに寝ていた。
「あ……」
男が上半身を起こした。俺の11戦目の相手……デリックだ。
「じゃ、会話を楽しんでくれ」
グレッグが部屋を出た。それで俺はデリックと二人っきりになった。
俺はベッドの近くの椅子に座って口を開いた。
「俺がここに来た理由が分かるか?」
「……はい」
デリックが静かな声で答えた。試合場では強敵だったのに、こう見ると普通の青年だ。
「私が使っていた薬物……その売人の情報が欲しいんでしょう?」
「ああ」
俺が頷くと、デリックは俺の顔を凝視する。
「……それを知ってどうする気ですか?」
「もちろん叩き潰す」
「何故……?」
デリックが眉をひそめる。
「まさか正義の味方のつもりですか?」
「いや、そんなわけがあるか」
思わず苦笑いしてしまった。
「気に入らないから叩き潰すだけだ。それ以上の理由はない」
デリックは口を黙って、俺をじっと見つめた。
「……不思議だ。嘘をついているようには見えない」
「嘘ではないからな」
「ただ気に入らないからって、危険な人々と戦うつもりですか?」
俺とデリックの視線が交差した。
「俺は生まれてこの方、気に入らないものがいっぱいだ。いつかは全部叩き潰してやるつもりさ。薬物の売人なんて……その一つに過ぎない」
「……噂以上の化け物だな、あなたは」
デリックの顔に笑みが浮かぶ。
「分かりました、売人の情報を教えます」
デリックは俺にある建物の位置を教えてくれた。
「そこに行けば、売人とその手下たちに会えるはずです」
「もう一つ教えてくれないか」
「何を?」
「お前は何故薬物中毒になったんだ?」
その質問に、デリックは少し間を置いてから答える。
「……最初はお金のためでした。新しい薬物の実験に参加すれば、大きなお金を稼げると聞いて……」
「実験か……」
やつらは薬物の流通だけではなく、開発もしているのか。
「それで気が付いたら中毒に……ということか?」
「はい、やつらの言いなりになるしかありませんでした」
デリックはもう死を覚悟した顔だった。
「格闘場で戦ったのも、薬物の効能を試す実験の一環でした」
「なるほど」
俺は頷いてから、もう一つ質問をした。
「デリック、お前はこれからどうするつもりだ?」
「どうするも何も……」
デリックが乾いた笑顔になる。
「もう私には何もありません。道端で死を待つだけです」
「じゃ、これを受け取れ」
俺は手持ちのお金を全部デリックに渡した。
「この都市の出身じゃないだろう? 馬車に乗って、故郷に戻れ」
「あなたは……」
「最後は故郷がいいはずだ」
「……ありがとうございます」
デリックが涙を流した。俺は立ち上がって部屋を出た。




