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第395話.追い続けるために

 礼服ではなく、革装備を身に着けた俺は宮殿を出て馬車に乗った。そして御者に命じて、馬車を警備隊本部に向かわせた。5月8日の朝のことだ。


「ふむ」


 馬車の窓を通じて外を眺めると、中央広場を行き来する市民たちの姿が視野に入った。昨年、俺が初めて王都に来た時より通行人が多い。経済が回復しつつあるためか、それとも単に春だからかは分からないが……賑わっている街の風景を見ていると楽しい。


 やがて馬車が警備隊本部についた。俺が馬車から降りると、本部の正門を守っていた警備隊が頭を下げる。


「伯爵様のご来訪です!」


 正門が開かれ、俺は中に入った。すると黒色の軍事要塞が見えた。あれが警備隊本部本館だ。そして本館の周りには、広い空き地があり……数十人の兵士たちがそこで訓練を行っている。2人1組になって練習対決したり、訓練用のかかしに向かって木剣を振るったりと……みんななかなか頑張っている。


「へっ」


 大の男たちが一生懸命に汗を流している風景……俺としては、華麗な宮殿よりもこっちの方が落ち着く。


 俺は訓練している兵士たちに近づいた。兵士たちは俺の姿を見て頭を下げた後、訓練を再開する。


「伯爵様!」


 長身の兵士が俺に近寄る。部隊長の1人であるジャックだ。


「朝から訓練していたのか、ジャック?」


「はい」


 ジャックが額の汗を手で拭いた。


「俺も、いいえ、自分も部隊長としてもっとしっかりしたいと思いまして」


「いいことだ」


 俺は笑顔で頷いた。


「そう言えば、お前……先日の戦闘で結構活躍したそうだな」


「ありがとうございます」


 ジャックは笑顔を見せたが、その顔はどこか寂しく見えた。


「先日の戦闘で……自分は部下たちを率いて敵の猛攻から戦線を守りました。苦戦でしたが、伯爵様が来てくださったおかげで勝利することが出来ました。でも……その過程で数人の部下を失いました」


「……そうだったのか」


 ジャックは激情な性格だ。初めての実戦で部下を失ったことに……深く悲しんだんだろう。


「自分がもっとしっかりしていたら……部下を失わずに済んだかもしれません。死んだ部下たちのために出来ることなんてありませんけど……もう少し強くなりたいです」


「その気持ちなら、俺も分かる。責任感というものさ」


「責任感……」


 ジャックが視線を落とす。


「自分は……昔から責任という言葉が大嫌いでした」


「何かあったのか?」


「弟が……いました」


 ジャックは少し間を置いてから、話を始める。


「子供の頃、親が病で死んで……自分は弟と2人で暮らすことになりました。自分は生計を維持するためにいろいろしましたが……いつからか弟のことを面倒くさいと思い始めました」


「仕方無いさ」


 俺は首を横に振った。


「お前だって子供だったし、『灰色の区画』に住んでいたからな。子供が責任を負うにはあまりにも過酷な環境だ」


「ありがとうございます……」


 ジャックは頭を下げてから、話を続ける。


「伯爵様が王都を統治なさる前には、税率が上がるばかりで……みんな本当に辛い思いをしていました。自分も弟と疎遠になって……希望もなく、ただただ毎日生き残るために必死でした」


 ジャックの顔が暗くなる。


「そして昨年、『灰色の区画』で一部の人が集まって……高い税率に対して正式に抗議しました。抗議といっても、別に騒ぎを起こしたわけではありません。ただ……少しでも税率を下げてください、と声を上げただけです。でも……官吏たちは抗議に参加した人々に対して『普段から反逆を企んでいた連中だ』と宣言し……全員処刑しました」


「あの事件か……」


「処刑された人々の中には……自分の弟もいました」


 ジャックの瞳に涙が溜まる。


「弟が命を落としてから、自分はやっと分かりました。弟は……自分に残った唯一の家族であり、かけがえのない存在だったと。そんな弟が反逆罪で処刑され、死んだ後も侮辱されているのを見て……自分は絶望しました。もう失うものも何も残っていない、と」


「理解出来る」


「ですが、今の自分には……部下たちがいます」


 ジャックが顔を上げて俺を見つめる。


「『赤竜の軍隊』の部隊長として、百人の部下を率いています。彼らの存在が、今の自分の存在意義です。まだ自分には足りないところが多くて、数人の部下を失いましたが……それでもいつかは、伯爵様のような上官になりたいです」


 ジャックは強い責任感を持って部隊長を努めている。まだ足りないところがあるかもしれないが……こいつならいつか素晴らしい指揮官になれるはずだ。俺はそう思った。


---


 兵士たちの生活を視察してから、俺は宮殿に戻った。そして昼食を取った後、衛兵に指示して1人の人間を連れてこさせた。


 それから約1時間、会議室で書類仕事をしていたら……衛兵が長身の男性を連れてきた。


「は、伯爵様」


 男性は怖がる表情で俺に頭を下げる。


「再びお目にかかれて、誠に光栄に存じます!」


「久しぶりだな、ルーク」


 俺は笑顔を見せた。道化師のようなまだらな服と背中のリュート……こいつは吟遊詩人の『美声のルーク』だ。


「本日はどのようなご要件でしょうか……?」


 ルークが汗をかきながら言った。ルークは以前、勝手に俺の旧友を自称した件で俺に脅されたことがある。あれ以来、俺を見る度に恐怖に震える。


「実はお前に会いたい人がいてな」


「私に……会いたい人、ですか?」


「ああ、もうすぐ来る」


 俺がそう言った直後、会議室の扉が開かれて1人の少女が入ってきた。ルークと同じく、まだらな服を着て背中にリュートを背負っている少女……つまりタリアだ。


「お、お前は……タリア!」


「師匠!」


 ルークとタリアが互いを見て目を丸くする。そして次の瞬間、互いに向かって走り出す。長年離れていた、師匠と弟子の感動の再会……に見えるが、その直後、ルークとタリアは互いの胸ぐらを掴む。


「こいつ……私を置き去りにして!」


「師匠こそ……いきなりいなくなったくせに!」


 長身の男性と小柄の少女が、互いの胸ぐらを掴んだまま啀み合う。


「お前に所持金を全部持っていかれて、私がどんな目に遭ったか知っているか!?」


「師匠がいなくなって私は1人で旅したんです! 無責任にもほどがあります!」


 2人の喧嘩は終わりそうにない。俺はため息をついた。


「2人とも……ここで喧嘩するのは止めろ」


 それでやっとルークとタリアは互いの胸ぐらを手放す。吟遊詩人ってどうしてこんなやつらばかりなんだ?


「ルーク」


「は、はい。伯爵様」


「お前は俺に関する本を執筆しているんだろう?」


「はい……『赤い肌の救世主』という、伯爵様のご活躍を集大成した本を執筆しております。今年中に発表する予定です」


「それなんだけど……実はお前の弟子のタリアも、俺に関する小説を書いているんだ」


「はい?」


 ルークが眉をひそめて、タリアを凝視する。


「お前も……伯爵様に関する作品を?」


「はい!」


 タリアが両手を高く上げる。


「伯爵様を主人公とした作品を最初に発表して、1人前の吟遊詩人になるつもりです! だから師匠、私に機会を譲ってください!」


「いやいやいや……」


 ルークが人差し指を立てて左右に振る。


「こんな大儲けの機会、弟子だからって私が譲ると思うのか? 甘すぎるんだよ!」


「師匠……!」


「よく聞け、タリア。吟遊詩人の世界は……早い物勝ちが基本だ!」


 師匠の冷たい言葉に、タリアが涙目になる。


「私の作品、まだ半分くらいしか完成されていませんけど……」


「はっはっはっ! 一歩遅かったな、タリア! やっぱりお前ではこの『美声のルーク』の相手にならない!」


 ルークは小柄の弟子に勝ったことがとても嬉しいみたいだ。こいつ……。


「ルーク」


「はい、伯爵様」


「そこまで自信があるのなら、タリアと勝負するのはどうだ?」


「勝負……ですか?」


「ああ」


 俺は頷いた。


「5月15日に、エルデ伯爵の屋敷で食事会が開かれる予定だ。その場でお前とタリアが各々の歌を披露するんだ。それでもっと高い評価をもらった方が、先に作品を発表する……これでどうだ?」


「なるほど……」


 ルークが何度も頷いた。


「かしこまりました、伯爵様。この『美声のルーク』の歌、皆様に差し上げましょう」


 ルークは意外と素直に勝負を受け入れた。よほど自信があるみたいだ。


「わ、私も絶対負けません!」


 タリアが声を上げる。


「絶対に師匠に勝って、堂々と小説を発表してみせます!」


「ふっふっふっ……お前にはまだ無理だよ」


 硬い決意を見せるタリアに対して、ルークは嘲笑を浮かべた。とにかく、これで師匠と弟子の対決が成立したわけだ。


 まあ、俺に出来るのはここまでだ。後は……タリア次第だ。

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