第390話.連戦
4月16日の夜、俺たちは静かに王都に帰還した。
苦戦の末、大勝利を掴んだ俺らだが……市民たちの歓声も、凱旋式も、戦勝パーティーも無い。今回の奇襲戦は秘密裏に行ったから当然だ。ほとんどの人は『西へ出陣したロウェイン伯爵は代役だ』という事実すら未だに知らない。
しかし……アルデイラ公爵軍が代役作戦について気づくのはもう時間の問題だ。敵の対応が速かったせいで、4つ目の敵別働隊を全滅させられなかったのだ。別働隊の生き残りが『私たちを襲撃したのは本物のロウェイン伯爵です』と報告するだろう。
西に陣取っている敵本隊は、もうすぐ『こちらにいるレッドの代役だ。本物が戻る前に攻撃するべきだ』と判断するはずだ。8千対3千……いくら俺の軍隊が強軍でも、正面からぶつかっては勝算が低い。味方が危機に陥る前に一刻も早く駆けつけるべきだ。
俺はみんなを連れて王都警備隊の本部に戻るや否や、また出陣する準備に入った。士官用の浴室で体を洗い、服を着替えてから再び軍馬に乗った。そんな俺にゲッリトとリックが近寄る。
ゲッリトはまだ大丈夫そうだ。でもリックの肩の傷は浅くない。
「リック、お前は負傷者たちと一緒に傷を治療してもらえ」
「ボス、自分はまだ……」
「これは命令だ」
「……かしこまりました」
残念そうな顔でリックが頷くと、ゲッリトが笑顔を見せる。
「心配するな、リック。俺がお前の分まで戦ってやるよ」
「分かりました。頼みます、ゲッリトさん」
リックも笑顔で頷いた。
それで俺とゲッリト、そしてまだ戦える2百の精鋭騎兵隊は再び出陣した。王都の街が静けさに包まれている夜12時……俺たちは西の城門を潜り抜けて、また広大な平原を疾走した。
「……それにしても、みんな本当に強いな」
軍馬に乗って走りながら、ふと俺はそう呟いた。
「通常ではあり得ない、厳しい日程の作戦なのに……過半数以上がついてくるなんて」
「何言ってるんですか、ボス?」
隣からゲッリトが笑った。
「俺たちを率いているのは、地上最強の指揮官なんです。俺たちはただ……その背中を必死に追っているだけですよ」
「……ありがとう」
俺はゆっくりと頷いた。そして俺たちは眩しい月明かりに照らされながら、沈黙の中で走り続けた。
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短い休憩と疾走を繰り返している間に、いつの間にか俺たちは西のクレイン地方の近くまで来た。4月18日の正午のことだ。
「ボス、前方から……!」
「ああ、聞こえている」
前方から金属音と掛け声が聞こえる。微かだけど……これは戦闘の音に違いない。
「敵の方が1歩速かったか」
俺がいないことに気づいて、敵本隊が攻撃を仕掛けてきたんだろう。
「ゲッリト」
「はい!」
「このまま敵を叩くぞ」
「もちろんです!」
ゲッリトが笑顔で答えた。この3日間、十分に休めずに戦っているのに……本当に超人的な精神力と体力だ。
戦闘の音に導かれて、俺たちは全速力で走った。するとすぐ戦場の姿が視野に入ってきた。『赤竜の旗』を掲げている味方の野営地が、敵の大軍に攻め込まれている……!
「半包囲か」
敵軍は2つに分かれて、味方野営地の左右に猛攻を仕掛けている。数的有利を活かせた半包囲戦法だ。味方の兵士たちは必死に対抗しているが……あのままではいずれ戦線が崩れてしまう。
俺は味方を助けるために走りながら、敵の戦力と動きを見極めた。敵の主力は……味方野営地の左側を攻撃している。まずあれの勢いを潰すべきだ。
「赤い化け物は本当にいないのか!?」
敵の主力を率いているのは、真っ暗な鎧を着ている巨漢だ。やつは巨大な軍馬に乗って、大声で叫んでいる。
「わしは『黒豹団』の団長、クレイグだ! 出てこい、赤い化け物! このクレイグ様が首を取ってやる!」
あのクレイグという傭兵団長は、俺を倒して自分の名声を上げたいようだ。実に分かりやすいやつだ。
味方が崩れる前に戦場に辿り着いた俺は、まず騎兵隊の統率をゲッリトに任せた。そして巨漢の傭兵団長に向かって一直線で突撃した。
「あん……?」
俺の登場に、クレイグが目を見開く。同時に『黒豹団』の傭兵たちが剣や斧で俺を攻撃する。
「ぐおおおお!」
軍馬の上から、俺は大斧で大きな円を描いた。戦場慣れした熟練の傭兵たちが……その一撃で首を失う。
「本物だ! 本物の赤い化け物だ!」
クレイグが大声を出す。それは『驚愕の声』ではない。『喜びの声』だ。
「やっぱり野営地のやつは偽者だったか! これはちょうどいい……!」
クレイグの髭だらけの顔に笑みが浮かぶ。
「誰も手を出すな! 赤い化け物はわしの獲物だ!」
「へっ」
俺は苦笑した。俺の前にもとうとうこんなやつらが現れたのだ。
この傭兵たちにとって、大義や王国の命運などはどうでもいい。ただ自分の欲望を満たすために戦争に参加している。最も純粋に戦争を楽しんでいるわけだ。ある意味……俺と通じるところがある。
「おりゃあぁ!」
クレイグが巨大な戦鎚を持って俺に突撃してくる。一対一の決闘に相当自信があるみたいだ。
「死ね、化け物!」
クレイグの戦鎚が俺の頭を狙って走る。俺は大斧でその激しい一撃を受け止めた。鋭い金属音が響いて、火花が飛び散る。
「ちっ!」
腕が痺れてくる。クレイグの腕力は予想以上だ。決してケント伯爵やハーヴィーに劣らない。
「どうした、赤い化け物!? 噂と違うじゃないか!」
クレイグの戦鎚が猛攻を続ける。空気が切り裂かれる音が続き、重たい鉄の塊が俺の命を奪うために飛んでくる。普通の人間の体なら、一撃で粉々に出来る威力だ。
「へっ」
疲労が蓄積された状態で、強敵との真剣勝負……予想出来なかった絶体絶命の瞬間だ。しかし……俺にはこの瞬間が楽しすぎる……!
巨漢の傭兵団長の攻撃に耐えながら、俺は少しずつ集中力を上げた。すると体の底から燃えるような力が湧いてきて、周りの全てがどんどん遅くなる。激しく動いてるクレイグの戦鎚も……いつの間にか止まっているかのように見える!
「うおおおお!」
空高く登っている太陽と、自分自身が一体化したような感覚に包まれ……俺は右手で大斧を振るい、クレイグの戦鎚を弾いた。
「うっ……!?」
クレイグの自信満々な顔が、ゆっくりと驚愕に変わる。まさか自分の怪力を片手で弾き返す存在がいるとは、思ってもいなかったんだろう。
「この野郎おおぉ!」
クレイグは激怒して、全力で戦鎚を振るう。威力も速度も、とっくに人間の限界を超えた攻撃だ。だが俺には……巨大な戦鎚の軌道がはっきりと見える!
「はあああっ!」
避けることも出来る。しかし俺は真っ向勝負を選んだ。巨大な戦鎚と大斧がもう1度激突し、周りの騒音を圧倒する金属音が鳴り響く。
「あ……!」
クレイグは最後まで自分の戦鎚を手放さなかった。それでやつは……腕の骨が粉々になる。俺の大斧は一瞬の迷いもなく曲線を描いて、無防備になった強敵の首を切り飛ばした。
「だ、団長!」
クレイグの体が鮮血を吹き出しながら軍馬から崩れ落ちる。『黒豹団』の傭兵たちはその光景を見て驚愕する。
「団長の仇……!」
数人の傭兵が俺に向かって突撃してくる。流石戦争の熟練者たちだ。
「うおおおお!」
雄叫びを上げて、俺は向かってくる傭兵を次々と両断した。しかしそれでも『黒豹団』は退かない。敵ながら素晴らしい闘志だ。
「ボス!」
ゲッリトが駆けつけてきた。いや、ゲッリトだけではない。レイモン、ジョージ、カールトン、エイブ……『レッドの組織』のみんなが、俺が敵陣の中で孤立しているのを見て助けにきてくれた。
「くっ……退却、退却だ!」
『レッドの組織』の奮戦に、『黒豹団』も結局退却する。すると他の敵傭兵団も慌てて逃げ出す。これで味方野営地の左側は安全になった。
「みんな、このまま反対側の敵を叩くぞ!」
俺は『レッドの組織』を率いて、味方野営地の右側に向かって疾走した。しかし右側の戦線は……もう勝負が終わっていた。いきなり現れた歩兵隊が敵傭兵団に猛攻をかけていたのだ。
「錆びない剣に栄光を!」
その歩兵隊は『赤い剣の旗』を掲げている。そして歩兵隊の先頭には筋肉の女戦士が大剣を振るっている。カレンの率いる『錆びない剣の傭兵団』だ。
「来てくれたか」
俺は安堵した。
数日前まで、カレンは北の軍事要塞『カルテア』を守っていた。俺は代役作戦を開始する前に『北の戦線が安全だと判断したら、援軍を送ってくれ』と彼女に連絡した。少しでも兵力の差を埋めるための指示だったが……幸いカレンは来てくれたのだ。
俺の登場とクレイグの戦死、そしてカレンの援軍によって……敵の半包囲作戦は崩れてしまった。このまま戦っても損するだけ……と判断した敵軍は退却を開始した。
「勝った! 勝った!」
「俺たちの勝利だ!」
味方の兵士たちが勝利の歓声を上げる。特に新兵たちは……初めて経験する実戦に勝って、涙を流しながら喜んでいる。
「ボス」
ゲッリトが俺に近寄った。
「あまり1人で行かないでください。俺、部隊の統率には自信がありませんから」
「すまない」
俺は笑ってから、仲間たちの顔を見渡した。
「でも……お前たちが来てくれることはもう分かっていた。いつものことだしな」
『レッドの組織』のみんなが笑顔を見せる。
「さあ、帰還しよう。今日は俺たちの勝ちだが、まだ敵本隊は健在だ」
俺はみんなと一緒に味方本陣に帰還した。カレンも『錆びない剣の傭兵団』を率いて合流した。これで王都地域を巡った戦いも、後半に入り始めた。




