表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
420/602

第386話.春の日差しの下で

 4月10日の午前、俺は宮殿を出て馬車に乗った。長身の美人……義姉である白猫と一緒に。


 馬車は道を進んで中央広場に向かう。すると馬車の窓を通じて気持ちいい風が流れてくる。


「久しぶりに2人きりの外出だね」


 俺の向かい席に座って、白猫が妖艶な笑顔を見せる。


「このまま愛の逃避でもする? 誰も知らないところへ」


「遠慮だ。1人で行ってくれ」


「ちぇっ」


 白猫は唇を尖らせる。


「こんな美人の誘いを断るなんてね。レッド君もまだまだ未熟だわ」


「戯言はほどほどにしておけ。これはあくまでも任務だぞ」


「分かっているわよ。警備隊に扮して、孤児院をこっそり観察するわけでしょう?」


「一応任務の内容は覚えているようだな」


 俺は軽くため息をついた。


 白猫の言葉通り、現在俺と彼女は警備隊に扮している。兜と鎧を装備して、腰に剣を帯びているわけだ。俺の方は覆面で顔も完全に隠しているし、今乗っている馬車も貴族用ではなく普通の荷馬車だ。


「孤児院の状態をこの目で確かめたいけど……俺が公式に訪問すると、『ありのままの姿』が見られないだろうからな」


「『ロウェイン伯爵様がご訪問なさいますから、子供たちはみんな笑顔をしていなさい』とか言うかもね」


「ああ、俺はそんなものが見たいわけではない」


 窓越しに外を眺めながら、俺は腕を組んだ。


「子供たちが普段からどんな生活をしているのか、それを確かめたいんだ。報告書だけでは分からないこともあるからな」


「確かに」


 少し間を置いてから、白猫が俺の顔を凝視する。


「昨日、黒猫と話してみたんだけど……あの子、本当に明るくなった」


「そうか」


「うん、タリアちゃんに振り回されていたけどね」


「黒猫とタリアが仲良くしているのか。良かったな」


 俺は頷いた。


「ケント伯爵領にいた時は、タリアが共演で忙しかったからな」


「歳も近いし、意外に気が合うかも」


 白猫がニヤニヤする。


 黒猫の周りの大人は、みんなあの子に対して優しい。でもそれだけでは足りない。黒猫には同年代の友達が必要だ。タリアなら自分から黒猫に近づいて、明るく接してくれるだろう。明るすぎて面倒くさいところもあるけど。


 俺たちを乗せた馬車は中央広場を経由して東南に向かい、橋を渡った。すると広大な農地が視野に入ってくる。ここからは農民たちが住んでいる『緑色の区画』だ。


「馬車を止めてくれ」


 俺が言うと、御者が「はっ」と答えて馬車を止める。俺と白猫は馬車から降りて、農地を横切る道路を歩いた。


「いい天気」


 白猫が空に向かって背伸びする。俺も軽く頷いた。温かい日差しと涼しい風のおかげで、自然と爽快な気分になる。


「ここはいつ見ても広いわね」


「王都で1番広い区画だからな」


 『緑色の区画』は、王都の各区画の中でも1番広大だ。王都の食糧供給を担っているから当然だ。多数の水路を通じて『デイオニア川』の水が農地や畜舎に流れ、農民たちが勤勉に働いて作物と家畜を育てる。国王も貴族も平民も……この区画に頼っているのだ。


 道を歩いていると、畑仕事をしていた農民たちがこちらに視線を投げてくる。『こんな時間に警備隊が見回りをしているなんて、何かあったのか?』と思っているんだろう。俺と白猫は人々を驚かさないようにゆっくりと歩いた。


「レッド君、あれあれ」


「ああ、俺も見た」


 30分くらい歩いた時、広い農地の向こうから1つの建物が見えてきた。低い木の塀に囲まれている、普通の農家に見えるが……規模が結構大きい。あれが女神教の運営している孤児院だ。


 俺たちは孤児院に近づいた。すると子供たちのはしゃぎ声が聞こえてくる。塀越しにそっと覗くと……畑仕事をしている修道女と、子供たちの姿が見える。


「ミミズだ! でかいミミズ捕まった!」


「嫌だ! こっち来ないで!」


 どうやら子供たちは、修道女の畑仕事を手伝っているようだ。いや、手伝っていると言っても半分遊びだ。小さな男の子がミミズを手に持って走ると、他の子供たちが悲鳴を上げながら逃げ出す。


 俺と白猫は、しばらく修道女と子供たちの様子を伺った。


「……どうだ、白猫? 異常が見えるか?」


「ううん」


 白猫が首を横に振る。


「みんな普通の農家の子供に見える」


「虐待されているような様子は?」


「全然」


「そうか」


 俺は頷いた。そして俺と白猫は同時に後ろを振り向いた。人の気配がしたからだ。


 北の道から、1人の修道女がこちらに向かって歩いていた。孤児院で働いている修道女なんだろう。俺たちは彼女に近づいた。


「あ、あの……」


 俺たちを見て、修道女が目を丸くする。


「警備隊の方がどういうご要件でここに……」


「ご安心ください」


 白猫が修道女に向かって笑顔を見せる。


「私たちはロウェイン伯爵様の命を受けて、女神教の施設の現状を調べているところです」


「ロウェイン伯爵様の……?」


「はい、この孤児院で働いていらっしゃいますか?」


「そうですが……」


 修道女は戸惑いながらも、素直に答えた。白猫はそれを見逃さず、笑顔で話を進める。


「お手数ですが、いくつか質問に答えて頂ければ幸いです」


「は、はい……」


「この孤児院には子供が何人いますか?」


「12人です」


 修道女が答えた。報告書の数……そして俺が直接見た数と同じだ。


「子供たちの健康に異常はありませんか?」


「1人が風邪気味ですが、それ以外は……」


 それからしばらく白猫と修道女の問答が続いた。どうやら……女神教の報告書に嘘は無いみたいだ。


「俺もいくつか聞きたいことがある」


 俺が口を挟むと、修道女は少し驚いた顔で「はい……」と答えた。


「子供たちは、どういう経緯でここに来るようになったんだ?」


「それは……」


 修道女の顔が暗くなる。


「ご存知のはずですが……ここ数年、戦乱のせいで経済が悪化して……倒産した店や農家が多数あります。それで……家庭を捨てて逃亡したり、自ら命を断ったりする人々が出てきて……」


「その人々の子供ということか」


「はい、身寄りがなければ……ここで預かるようになります」


「そうか」


 俺は頷いてから、もう1つ質問をした。


「子供たちは、いくつまでここにいるんだ?」


「16歳までです」


「じゃ、16歳になった子供はどうなるんだ?」


「女神教の施設や、ここら辺の農家、または銅色の区画の店で働くようになります。あ……兵士になった子もいます」


「兵士?」


「昨年、ロウェイン伯爵様が新兵を募集した時……入隊したようです」


「そうか」


 俺の新兵の中には、緑色の区画で働いていた人々もいる。たぶんその中の1人だろう。


「分かった。答えてくれてありがとう」


「は、はい……」


「ご協力、ありがとうございます」


 白猫が笑顔で挨拶した。そして俺と白猫は孤児院から離れて、帰路についた。


「……レッド君ってさ、警備隊を演じる気ある?」


「へっ」


 俺は笑ってしまった。


「すまない。どうも潜入ってのは、俺向きではない」


「『夜の狩人』の頭領のくせにね」


 白猫がため息をついた。


「でも……ちゃんとしているみたいだね、女神教の孤児院」


「ああ、予算に余裕が無いのは事実みたいだけど……深刻な問題は見えない」


 女神教の孤児院は、基本的に寄付金に頼っている。しかし王都の経済の悪化につれて、当然寄付金も減ってしまった。余裕が無いのは仕方無い。それでも子供たちは明るく過ごしている。


「平民の子供のための週末教室、そして孤児院……この2つの施設はちゃんと運営されているみたいだ」


「良かったわね。運営に問題があったら、支援しても意味が無いからね」


 白猫が頷いてから、俺を見つめる。


「そういえばさ、昨年もレッド君と私が一緒に孤児院を訪ねたでしょう?」


「ああ、確か……『フィンデン』の村だったけ?」


 俺は記憶を振り返った。昨年のちょうどこの頃……フィンデンの村に寄った時、俺と白猫は一緒に女神教の教会を訪ねた。その教会は孤児院も兼ねていた。


「あの時、修道女さんが言ってたよね。人を助けることこそが、自分の心を助ける方法だと。それが女神の教えであると」


「そう言ってたな」


「それ……本当なのかな?」


「分からない」


 俺は微かに笑った。


「自分の心を助けるとか、女神の教えとか……俺には正直分からない。俺は……自分のやりたいことをやっているだけだ」


「これまでも、これからも、でしょう?」


 白猫が笑顔で言った。その通りだ。


---


 宮殿に戻った俺は、普段着に着替えて会議室に向かった。会議室では参謀のエミルが俺を待っていた。


「総大将」


 俺を見て、エミルが近づいてくる。


「どうした? 新しい情報が入ったのか?」


「はい」


 エミルが1通の手紙を俺に渡した。その手紙にはたった1行の文章が書いてある。


「北の軍隊に……動きあり?」


「ついさっき、ウェンデルの公爵領の要員から届いた手紙です。もっと正確な報告は明日になりますが……」


「……やっぱり反旗を翻したか」


 俺は手紙をエミルに返した。


「アルデイラ公爵領の一部の貴族が、主の方針に不満を持って反旗を翻した。それでアルデイラ公爵、いや、彼の後継者であるオフィーリアが反乱を鎮圧するために軍を動かしたんだろう」


「これでしばらく北からの支援、そして経済交流は期待出来ません」


「ああ、嫌になるほど予測通りだ」


 俺は苦笑いした。


「手の届かない場所のことは仕方無い。まずは……目の前の問題から解決するべきだ」


「どうなさいますか?」


「トムを呼び出してくれ」


「はっ」


 エミルが外で待機している衛兵に指示を出した。すると衛兵が急ぎ足で階段を降りて、約1分後、トムと一緒に戻ってきた。


「お呼びですか、総大将?」


 副官のトムが誠実な顔で聞いてきた。俺は「ああ」と頷いた。


「もうすぐ公爵たちの軍隊が動き出すはずだ。それに合わせて、俺たちも動く必要がある」


「はっ」


「偵察隊の編成を増やしておけ。連中の動きを……見逃すな」


「かしこまりました」


 トムが素早く会議室を出る。俺は自分の席に座って、テーブルの上で手を組んだ。後は敵の動きを待つだけだ。


 そして3日後……アルデイラ公爵軍とコリント女公爵軍の本隊が、各々の駐屯地から出陣した。この王都を完全に封鎖するために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ