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第383話.未来のための準備

 4月6日の朝……俺はシェラと一緒に馬車に乗って中央広場に向かった。


 王都の真ん中に位置する中央広場は、名称通り大きな広場だ。でも周辺部には所々に建物もある。今日の目的地はその1つである『女神教の大礼拝堂』だ。


 女神教の総本山である『大教会』は『緑色の区画』にあるが、ここは聖職者以外の出入りが制限されている。よって一般の信者が礼拝をするためには、各区画にある礼拝堂を訪ねるしかない。そして礼拝堂の中にも1番大きいのが、中央広場の大礼拝堂というわけだ。


 衛兵に囲まれて、馬車が中央広場の道路をゆっくりと進む。俺とシェラは馬車の窓を通じて中央広場の風景を眺めた。数人の子供がはしゃいで走り回っている。


「子供たちが楽しくはしゃいでいるのは、いつ見ても微笑ましいね」


 シェラがそう呟いた。


「戦乱が終われば……もっと多くの子供が安心して遊べるはずだよね」


「……そう願いたい」


 俺は小さな声で答えた。


 やがて馬車が中央広場の東南の大きな建物の前に辿り着いた。この茶色の建物が大礼拝堂だ。入り口の上に女神の木像がついていて、ここが女神教の建物であることを示している。


 俺とシェラが馬車から降りると、大礼拝堂の前に立っていた中年男性が俺に近寄る。


「お初にお目にかかります、ロウェイン伯爵様」


 中年男性は丁寧に頭を下げた。


「自分はこの大礼拝堂を管理しております、『テレンス』と申します」


 修道士のテレンスさんは、人の良さそうな笑顔で自己紹介をした。俺とシェラは彼の案内に従い、大礼拝堂に入った。


 大礼拝堂の天井がとても高くて、厳粛な雰囲気の建物だ。広い空間の1番奥には女神の銅像があり、それに向かって長椅子が4列に多数並んでいる。


「この大礼拝堂は約150年前に建てられたものであり、千以上の信者が同時に礼拝出来ます」


 テレンスさんが説明した。


「月、水、金曜日に定期礼拝をして……週末には子供たちのための週末教室を開いております」


「週末教室もこの空間で開かれるのか?」


「いいえ、別の部屋を使っております」


 俺たちは大礼拝堂の隅に近づいた。そこには3つの扉がついていた。扉を開けると、そこそこ広い部屋が見えた。


「この3つの部屋で、約80人の子供に文字を教えております」


「そうか」


 俺は頷いた。思ったよりもちゃんとしているみたいだ。


「じゃ、教材は女神教の経典を使っているのか?」


「主に経典であります。童話や小説を教材にする場合もありますが……どうも値段が高くて」


「そうだろうな」


 本は基本的に貴重なものだ。文字が読めなくては、その価値が分からないけど。


「教師は修道女さんが努めているんだろう?」


「はい、大教会から学問に造詣の深い修道女の方を派遣して頂いています」


 テレンスさんがそう答えた。


 平民のほとんどは、学問を磨けるほどの余裕が無い。だからといって貴族が好き好んで平民の子供に文字を教えるはずがない。つまり聖職者が教師を務めるのが1番現実的な方法だ。


「教材と教師を確保すれば、もっと多くの子供に文字を教えることが出来るだろうな」


「はい、仰る通りであります」


「分かった。案内、ありがとう」


 俺とシェラはテレンスさんと分かれて、大礼拝堂を出た。そして馬車に乗って宮殿への帰路についた。


「……貴族たちの寄付金で、週末教室の規模を大きくするのよね?」


 帰路の途中、シェラがそう聞いてきた。俺は「ああ」と頷いた。


「エルデ伯爵夫人の努力のおかげで、王都の貴族たちが寄付金を集めて女神教に渡した。女神教の代表であるロジーさんは、そのお金でまず『灰色の区画』の道路や水路を整備することにした」


「あの修道女さん、相当まともな人だよね」


「貧民救済は女神教の役割の1つであり……俺が監視しているからな」


 俺は腕を組んだ。


「そして余りのお金は、俺の提案で週末教室の運営に使うことになる。俺も女神教の財務報告書を読んだけど……週末教室って、基本的に赤字だからな」


「子供に文字を教えても、すぐにお金になるわけではないからね」


「ああ。しかしこれは……未来のための投資だ。それに……俺の願望でもある」


 俺の言葉を聞いて、シェラが笑顔を見せる。


「レッドって、意外にまともな指導者なんだから」


「意外って何だよ、意外って」


 俺とシェラは一緒に笑った。


「私もレッドのやろうとしていることが素敵だと思う」


 シェラが真面目な表情で言った。


「私は……父さんがお金持ちだし、家庭教師から学問を教えてもらったけど……ほとんどの平民の子供には難しいよね」


「ああ、女神教の週末教室で文字の読み書きを教えてもらえばいいけど……それすら出来ない子供がたくさんいる」


 俺の育った貧民街は……教会すら潰れてしまったため、孤児を養う施設が存在しなかった。基本的な教育なんてもちろん期待も出来ない。おかげで孤児のほとんどは……悲惨に死ぬか、犯罪者になるか、そのどちらかだ。


「……俺は、ジャックたちの怒りが理解出来る」


「ん? どういうこと?」


「ジャックたちが暴動を起こそうとした理由の1つは……『同じ人間として認められないから』だ」


 俺は子供の頃を思い出した。


「俺もそうだったし、貧民街の孤児たちはみんなそうだった。ゴミクズを見るような目で俺たちを眺める大人たちが嫌いだった。だから……いつかは全部ぶっ壊してやると、何度も心に誓った。そんな怒りに満ちていたのは、俺だけではなく……貧民街の孤児たちはみんなそうだったのだ」


 俺はそっと拳を握りしめた。


「俺が現実に怒りを覚えて、この王国を滅ぼそうと考えたのは……ある意味当然の流れだったわけだ」


「でも……そんなレッドが今は破滅ではなく、未来を考えている。本当に……多くの人々が救われたのね」


 シェラの言葉に、俺は何も答えなかった。


---


 宮殿に戻った俺たちは、各々の職場に向かった。シェラはメイド長との会議のために3階に登り、俺は2階の会議室に入った。


「ふう」


 真ん中の席に座って、テーブルの上に置かれている書類を読み始める。俺の日常が始まったわけだ。


「伯爵様」


 仕事を始めてから1時間くらい経った時、1人の衛兵が会議室に入ってきた。


「軍事要塞『カルテア』から軍士官が到着致しました。カレンと名乗っております」


「来たか。彼女をここに案内せよ」


「はっ」


 しばらく後、1人の女性が現れた。素晴らしい筋肉の女戦士……俺の歩兵指揮官であり、『錆びない剣の傭兵団』の副団長である『カレン』だ。


 普通、女兵士は弓兵や補給兵を務める場合が多い。でもたまには男性以上の筋力を持っている女兵士もいて、歩兵や騎兵として素晴らしい活躍をする。そしてこのカレンの場合は……俺の親衛隊である『レッドの組織』に匹敵するほど強い。いや、戦争経験なら彼らよりも上だ。


「団長のお呼びに従い、ここに参りました」


 カレンが無愛想な表情で頭を下げた。


「久しぶりだな、カレン」


「はい」


「カルテアの方はどうだ?」


「異常ありません」


「そうか」


 俺は頷いた。


「実は……こうしてお前に来てもらったのは、作戦に関して話しておきたいことがあるからだ」


「話しておきたいこと……ですか?」


「ああ」


 しばらく間を置いてから、俺は口を開いた。


「現在、俺たちはアルデイラ公爵軍とコリント女公爵軍を警戒して部隊を配置している」


「はい、敵がいつ動くか分からないですから」


「しかし……今からは北も警戒するべきだ」


「北……ウェンデル公爵軍を、ですか?」


「そうだ」


 俺は腕を組んだ。


「お前も知っている通り……ウェンデル公爵領の貴族たちは、統治者のウェンデル公爵に不満を持っている。そしてウェンデル公爵が俺と手を組んだことにより、その不満が可視化した」


「ウェンデル公爵は……先週、辛うじて仕事に復帰したと聞きましたが」


「それでも彼の影響力の低下は否めない。後継者のオフィリーアも頑張っているだろうけど……彼女は俺を積極的に支援しているからな。不満は高まるばかりだろう」


 平民上がりの『赤い化け物』に主導権を握らせてはいけない……ウェンデル公爵領の貴族はそう考えているみたいだ。それで『赤い化け物との同盟を破棄するべき』と主張している者も多いらしい。


「俺の予想通りなら……不満を持っている貴族の連中は、アルデイラ公爵の支援を受けて本格的に反旗を翻すはずだ」


「つまり……ウェンデル公爵軍の一部が敵になってしまう恐れがある、ということですね」


「ああ、その通りだ」


「なるほど」


 カレンが深刻な顔になる。味方だと信じていた軍隊の裏切り……戦争では最も致命的な事態だ。


「北への警戒を強化するべきですね」


「味方を疑うような真似はしたくないが、事態がここまで来たら気を抜くわけにはいかない。カルテアに戻ったら、くれぐれも用心してくれ」


「かしこまりました」


 カレンが強く頷いた。厳しい状況ではあるが、彼女なら上手く対応してくれるだろう。


「では……団長、自分は早速カルテアに戻ります」


「いや、その前に……法務部の資料室に行って、エミルと話してくれ」


「参謀殿と……?」


 カレンが目を丸くする。


「どうして参謀殿と話す必要が……」


「それは本人から聞いてくれ。カレンに話したいことがあるそうだ」


「……かしこまりました」


 カレンは釈然としない顔のまま、会議室を出た。これで後は……エミル次第だ。俺は軽くため息をついた。

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