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第377話.闘志と勇気

 翌日の朝……俺は宮殿を出て、裏庭園に向かった。


 宮殿の裏側の散歩道を数分歩けば、裏庭園に辿り着く。広くて静粛な雰囲気の庭園だ。所々に長椅子もあって、1人で静かに休憩するには最適の空間と言える。


 しかし今日の裏庭園には先客がいる。それは6人の筋肉質の男たち……つまり『レッドの組織』のみんだ。彼らは1列に並んで、裏庭園の中を精一杯走っている。朝の鍛錬だ。


「リック、もっと速度を上げろ!」


 先頭で走っているレイモンが叫ぶと、最後方のリックが「はい!」と答える。そして組織員たちはもっと速度を上げて、裏庭園の中を1周する。


 俺は組織員たちが走り終えるまで待った。彼らは広い裏庭園の中を3周してから、俺の前で足を止める。


「ボス!」


 組織員たちが俺に向かって明るい笑顔を見せる。俺も彼らに笑顔を見せた。


「お前たちの朝の走りも久しぶりだな。これから練習対決か?」


「はい」


 レイモンが答えた。俺は頷いた。


「じゃ、久しぶりに俺も混ぜてくれ」


「もちろんです!」


 俺たち7人は裏庭園の真ん中まで行った。冷たい朝の空気が気持ちいい。


「いつも通り2人1組で練習対決をする。しかし今日はボスもいるから、組み合わせは……そうだな……」


 レイモンが顎に手を当てて考え込むと、ゲッリトが素早く手を挙げる。


「はいはい! 今日はもちろんボスとレイモンさんの対決から始めるべきだと思います!」


「こいつ……」


 レイモンは苦笑いしてから、俺の方を見つめる。


「じゃ、ボスと自分の対決から始めようと思いますが……どうでしょうか?」


「俺もそれがいいと思う」


「はい」


 俺とレイモンは、一緒に笑みを浮かべた。そしてその直後……互いに向かい合い、同時に戦闘態勢に入った。他の組織員たちは素早く後ろに下がって、対決のための空間を作る。


「おお、これは見物だな!」


 ゲッリトが歓声を挙げる。いや、喜んでいるのはゲッリトだけではない。みんな期待の眼差しで俺とレイモンを見つめている。


「お前との対決も……本当に久しぶりだな、レイモン」


「はい」


 レイモンの構えには隙が無い。それを見ていると……格闘場の選手だった頃を思い出す。あの頃も……レイモンは俺にとって最強の相手だった。


「全力で行きます、ボス」


「もちろんだ。遠慮なんか要らない」


 俺がそう答えると、レイモンが平穏な顔のまま突進してくる!


「はっ!」


 レイモンは俺の側面に大きく踏み込んできて、上段回し蹴りを放つ。武装兵士すら1撃で倒せるほどの蹴りだが……これはあくまでも陽動だ。本命は……更に踏み込んでからの正拳だ!


「うおおおお!」


 レイモンの正拳に合わせて、俺も正拳を放った。全力の拳に全力の拳で反撃したのだ。それで互いの拳の威力は倍になる。これを食らったら……俺やレイモンすらただでは済まない。


 俺とレイモンの拳が交差する瞬間……周りの全てが遅くなる。精神を極限まで集中したせいだ。1頭の蝶が俺とレイモンの間を横切るが……その羽ばたきすら、今は止まっているかのように遅く見える!


 そんな遅い世界の中で……俺の拳が先にレイモンの体に届く。ほんの少しだけ、俺の反撃の方が速かったのだ。しかしレイモンは……やられる寸前、一瞬だけ速くなって俺の拳をかわす。


 馬鹿な……と俺は内心呟いた。人間なら今の反撃にやられて当然だ。レイモンの動きは……一瞬だけだけど、明らかに人間の限界を超えている。


「はあっ!」


 レイモンが俺の横腹を狙って蹴りを入れる。まるで斧を振るうような強烈な蹴りだ。俺は膝を上げてその蹴りを受け止めたが、衝撃が骨まで染み込む。


「ぐおおおお!」


 しかしこれでレイモンの動きが止まった。俺の機会を逃さずに、迷いなく拳を振るった。


「くっ!?」


 レイモンは腕を上げて、ぎりぎり俺の攻撃を受け止めるが……衝撃で数歩後ずさる。


「……ふう」


 距離が離れると、俺とレイモンは同時に深呼吸をした。たった数秒の攻防で……相手の強さが分かった。


「な、何だよ……今のは?」


 少し離れたところから、ゲッリトが呟いた。


「ボスもそうだけど……レイモンさん……あんなに強かったの?」


 ゲッリトだけじゃない。他の組織員もみんな驚愕している。


「へっ」


 俺は理解した。レイモンは……普段は全力を出さなかったのだ。この平穏な印象の戦士は……全力を出さなくても、他のみんなを圧倒していたのだ。


「誤算だったな」


 ついさっきまで、俺はレイモンの実力をジョージと同格くらいだと思っていた。しかしそれは完全に誤算だった。俺たちの中で唯一の妻子持ちであるこの男は……いつの間にか俺の首元まで来ている!


 最も恐ろしいことは、レイモンの気迫には少しも殺気が無いってことだ。殺気が無いのにこんなに強いなんて、今まで見たことが無い。


「今度は俺の方から行く」


 思わぬ強い相手の登場に、俺は自分の体が熱くなるのを感じた。そう、強者との戦いが……俺の生き甲斐だ!


「うおおおお!」


 俺は瞬時に突進して、レイモンの全身を狙って連続攻撃を放った。爆風が吹きすさぶように、俺の全身が凶器となってレイモンを襲う。


「うっ……!」


 レイモンはそんな俺の攻撃にぎりぎり対応する。俺の拳を受け止めて、肘を避けて、蹴りを蹴りで止める。そして俺の連続攻撃に合わせて、反撃までしてくる!


「はあああっ!」


 あっという間に無数の攻防が交差する。俺とレイモンは、今まで積み上げてきた武を互いに向かって遠慮なく披露した。そうしていると……互いの感情が互いにはっきりと伝わる。まるで対話をしているように。


 俺は『楽しさ』、レイモンは『闘志』だ。お互い、それ以外の感情は存在しない。戦争、政治、謀略……そんなものは、今はどうでもいい。全てを忘れて、ただ目の前の相手に集中するだけだ!


「はっ!」


 俺の拳がレイモンの肩をかする。レイモンの蹴りが俺の横腹をかする。必殺の攻撃が何度も失敗する。2人の攻撃と防御が完璧過ぎて、勝負がつかない。


「うっ……!」


 一瞬、俺は自分の体が更に熱くなるのを感じた。同時に体の底から理解出来ないほどの力が湧いてきた。俺自身が……太陽になった感覚だ。そして目の前のレイモンは……いつの間にか巨大な樹木になっている。


「へっ」


 相手の実体が見えた。俺は燃え上がる熱で巨大な樹木を攻撃した。樹木はとてつもない生命力で抵抗を続けるが……やがて枯れ始める。


「くっ……!」


 全ての抵抗を捻じ伏せて、完璧な防御を貫いて、やっと俺の拳がレイモンの本質に届く。全力で楽しんでいる今、この1撃が当たればレイモンの命が危ない。俺は……自分の拳がレイモンの頭部を強打する寸前、ぎりぎり手を止めた。


 勝負はついた。でも俺とレイモンはしばらく動かなかった。対決を見ている組織員たちもまた、誰も動かなかった。


「あ、あの……」


 やっと口を開いたのは、ゲッリトだった。


「ボス……それにレイモンさん。これ……朝の練習対決ですけど」


 その言葉に、俺とレイモンは同時に笑った。そして戦闘態勢を解除した。


「つい夢中になってしまったな、レイモン」


「はい。僕も……こういう感覚は始めてです」


 レイモンが俺に頭を下げる。


「全力のつもりでしたが、やっぱりボスには遠く及びませんでした」


「いや、俺の方こそ驚いたよ」


 俺はニヤリとした。


「今のお前なら……ケント伯爵にも勝てるだろう」


「ありがとうございます」


 もう1度俺に頭を下げてから、レイモンは他の組織員たちを見つめる。


「みんな、何をぼーっとしているんだ? 次はジョージとゲッリトだ。さっさと対決を始めろ」


 その指示に従って、今度はジョージとゲッリトが対決を始める。俺は後ろに下がって組織員たちの戦いを眺めた。俺としては……本当に楽しい朝の日課だった。


---


 やがて朝の練習対決が全て終わると、組織員たちは各々各自の鍛錬を始めた。走り、腕立て伏せ、技の練習……こういう日々の鍛錬があるからこそ、彼らは王国屈指の親衛隊になったわけだ。


 俺はしばらく組織員たちの姿を眺めてから、こっそりリックに近づいた。


「おい、リック」


「はい、ボス」


 腕立て伏せをしていたリックが、素早く立ち上がる。


「何かご用ですか?」


 リックが誠実な表情で俺を見つめる。俺たちの中では小柄な方だし、優しい性格のリックだが……立派な戦士だ。


「お前に話したいことがある。これは……誰にも言うな」


「は、はい」


 リックは驚きながらも、素直に頷いた。


「実は……アンナさんが大変なことに巻き込まれた」


「アンナさんが……?」


 リックが目を丸くする。トムの姉であるアンナさんは、リックの恋人なのだ。


 俺は小さな声でリックに説明した。アンナさんが友人に手紙を送っていたこと、その手紙を敵の情報員がこっそり覗いたこと、それでこちらの情報が敵に流されたこと……。


「そんな……!」


 リックがつい声を上げる。


「ボ、ボス……アンナさんは、決して意図的にそんなことをやったわけでは……!」


「心配するな、俺も分かっている」


 俺はリックを安心させた。


「罰金として、トムに半年減給の処分を下した。それ以上追及するつもりは無い」


「ありがとうございます……」


 リックが安堵の表情を浮かべる。俺はそんなリックをじっと見つめた。


「お前……アンナさんとはあまり進展が無いようだな」


「はい」


 リックの顔が少し暗くなる。


「その……私もアンナさんに婚約を申し込もうとしました。ジョージがミアさんにそうしたように……」


「で、どうして婚約しなかった?」


「それが……急に怖くなりまして」


 リックが視線を落とす。


「私は……どこまでもボスの後ろについて行くつもりです。それが私の生きる意味です。しかし私は……他のみんなのように強くありません」


「強くない、だと?」


「はい。レイモンさんのような強者も、戦場で深い傷を負ったりします。私もいつかはそうなるかもしれません」


 リックが軽くため息をつく。


「傷を負うこと自体は、怖くありません。それはもう覚悟済みです。しかし……アンナさんが凄く悲しむはずです。いや、もしかしたら一生私の看病をすることになるかもしれません。私のせいで自分の幸せを諦めるかもしれません。そう思ったら、婚約を申し込むのが怖くなって……」


「なるほど」


 俺は頷いた。


「リック、お前……優しすぎるな」


「ボス……」


「相手を配慮しようとするのはいいことだ。しかし……アンナさんの強さを舐めてはいかない」


「アンナさんの強さ……ですか?」


「ああ」


 俺は腕を組んだ。


「弟のトム、そして恋人のお前……アンナさんは2人の戦士を見守っている。つまり彼女はもう覚悟している。たとえトムやお前に何が起きても、ずっと大事にするという覚悟を」


「それは……」


「アンナさんは決して自分の幸せを諦めるような人ではない。お前と一緒にいる方が幸せだから、ずっと一緒にいようとしているのだ。お前が一方的に彼女を心配する必要は無い。2人が力を合わせて、幸せを掴むべきだ」


 俺はリックの肩を掴んだ。


「だが今……彼女は自分の過ちに衝撃を受けている。今こそ……お前が彼女を支えるべきだ。そうだろう?」


「それは……仰る通りです」


 リックが強く頷いた。


「確かに……ボスの仰る通りです。私が……もっと、もっとアンナさんを信じるべきでした」


 リックが後悔の表情を浮かべる。


「もっと勇気を出すべきでした。怖気づかずに、もっと勇気を出して……相手を信じるべきでした」


「今からでも遅くない。訓練が終わったら、アンナさんの部屋に行け。お前は……決して弱くないぞ。俺の自慢の親衛隊だからな」


「はい!」


 リックは瞳に強い意思が宿る。自分よりずっと大きな敵も恐れない勇気だ。それがある限り、リックはどんな激しい戦いの中でも活路を見出すだろう。俺はそう思った。

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