第375話.各々の事情
『レッドの組織』とエミルが合流してから、王都の統治にも多少余裕が出来た。これなら、交代で休暇を取っても問題無さそうだ。そう判断した俺は、まずシルヴィアを会議室に呼び出した。
「お呼びですか、レッド様」
小柄の少女が会議室に入ってきて、丁寧に頭を下げる。勤勉な働き手でありながら、貴族としての気品も持っている少女……俺の婚約者のシルヴィアだ。
「こっちに座ってくれ、シルヴィア」
「はい」
俺はシルヴィアを隣の席に座らせて、話を始めた。
「今日来てもらったのは、他でもない。シルヴィアの休暇についてだ」
「私の……休暇ですか?」
シルヴィアが目を丸くする。
「そうだ。財務部の仕事は俺とエミルに任せて、1週間休暇を取ってもらう。好きな日程を言ってくれ」
「1週間……」
シルヴィアは戸惑ってから、首を横に振る。
「私は大丈夫です。特に休暇を取る必要はありません」
「大丈夫なわけがあるか」
俺は苦笑いした。
「お前、完全に過労気味だぞ。それ以上は、いくら頑張っても仕事の効率が下がるだけだ」
「それは……」
「しかも目にくまが出来ているじゃないか。せっかくの美貌が台無しだ」
その言葉に、シルヴィアがぷっと笑う。
「レッド様もお世辞が上手くなりましたね」
「いや、俺は本気で言ったんだけどな」
俺は手を伸ばして、シルヴィアの頬を軽く撫でた。シルヴィアは赤面になり、視線を落とす。
「……分かりました。休暇を取らせて頂きます」
「ああ」
それから俺とシルヴィアは、仕事の日程を調整した。シルヴィアは来週から1週間休むことになった。
「よし、これで休暇の件は一段落したな」
「はい」
「ところで……財務官就任については、まだ結論が出なかったのか?」
「……その話は……」
シルヴィアが困った顔をする。俺はそんな彼女をじっと見つめた。
「まさかシェラのことが気になるのか?」
俺の質問に、シルヴィアは何の返事もしなかった。なるほど、と俺は内心頷いた。
シルヴィアは貴族の出だし、経済や会計に関する専門的な知識も持っている。それに何よりも、信頼出来る人だ。だから俺は彼女を王都財務官に就任させようと思った。
しかしシルヴィアが王都財務官に就任したら……彼女は事実上『王都の2番目の権力者』になる。つまり……シェラより上になってしまう。シルヴィアはそれを避けようとしているに違いない。
「……分かった。この件に関しては、また今度話そう」
「レッド様……」
「心配するな。2人が仲良くするのは、俺にとっても大事だから」
「はい」
シルヴィアがゆっくりと頷いた。
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その日の午後……仕事を終えた俺は、書類を整理して会議室を出ようとした。しかしその時、会議室の扉が開いて誰かが入ってきた。それは……華麗な宮殿にはとても似合わない、みすぼらしい姿の老人だった。
「来たか、青鼠」
「久しぶりだな、頭領」
みすぼらしい姿の老人はニヤリと笑ってから、近くの椅子に腰掛ける。鼠みたいな顔と冷酷な気迫……この小柄の老人こそが、『夜の狩人』の前代頭領である青鼠だ。彼はつい最近まで俺の領地である『ケント伯爵領』で防諜活動を行っていたが、俺の指示で王都に来るようになった。
「……大体の話は、白猫から聞いた」
青鼠が微かな笑顔で口を開く。
「ルケリア王国で伝説と呼ばれた暗殺組織……『青髪の幽霊』が現れたって?」
「ああ、その通りだ」
俺は『青髪の幽霊』との戦いについて簡単に説明した。
「やつらはアルデイラ公爵に雇われて、様々な事件を起こした。俺も襲撃されたし、ウェンデル公爵も危うく命を落とすところだった」
「……生意気な連中だな」
青鼠の小さな瞳に殺気がこもる。
「私たち『夜の狩人』を差し置いて、このウルペリア王国で暗殺商売をするなんて……許せない」
青鼠は本気で怒っているみたいだ。俺は内心苦笑した。
「言っておくけど、『夜の狩人』はもう暗殺組織じゃないぞ。防諜機関だ」
「ちっ」
青鼠は舌打ちしてから、俺を見つめる。
「それで……私に指示したいこととは何だ?」
「あんたにはこの王都の裏に関する調査を任せたい」
俺は腕を組んで説明を始めた。
「毎日多くの人がこの王都を出入りしている。おかげで警備隊の目が届かない場所も多い。当然アルデイラ公爵とコリント女公爵の情報員も……どこかに潜入しているはずだ」
「そいつらを探して……殺せばいいんだな?」
「いや、なるべく生け捕りにしてくれ」
俺の言葉を聞いて、青鼠が鼻で笑う。
「もう何度も説明したじゃないか。私は殺しが専門だ。生け捕りに関しては素人なんだよ」
「分かっているさ。だが……あんたももう暗殺者ではない。防諜要員だ」
その言葉に青鼠は不満げな顔をするが、結局頷く。
「……分かった。現頭領のお前がそう言うのなら、従ってやる」
「ああ」
「しかしこれだけは言っておく」
青鼠が俺の顔を直視する。
「レッド、お前は……暗殺組織について誤解している」
「誤解、だと?」
俺が眉をひそめると、青鼠が話を続ける。
「暗殺組織ってのはな、お前が考えているほど悪党じゃないんだよ。あくまでも道具だ」
「……暗殺を依頼した人こそが真の悪党ということか」
「その通りだ」
青鼠が残酷な笑顔を見せる。
「私はな……遺産のために親の暗殺を依頼した人間や、他人の恋人を奪うために暗殺を依頼した人間を何人も見てきた。しかもそいつらは、暗殺が成功した後も善良な市民として生きている」
「なるほど」
「私たちは、暗殺組織は……あくまでも道具として雇われて動いただけだ。他人に殺意を向けるのは、私たちではなく……善良な市民たちなんだよ」
「……あながち間違いではないな」
俺はゆっくりと頷いた。
「道具に罪は無い。扱う人間に罪がある。確かにその通りかもしれない」
「やっと理解したか?」
「だがな」
俺は無表情で青鼠を見つめた。
「道具が近くにあるからこそ、殺意を実行する人が出てくる……それも事実だろう?」
その言葉に、青鼠は答えなかった。
「それに何よりも……毒を使ったり、子供に暗殺をさせたり……俺はそんな方法が嫌いだ」
「へっ」
青鼠は笑ってから、席を立つ。
「王都の裏を調査して、敵の情報員を探し出せばいいんだな?」
「ああ。まず『銅色の区画』に行って『立会人』という組織と接触してくれ。そこのボスのビンスは俺の知り合いだ。協力してくれるはずだ」
「分かった」
青鼠が会議室を出た。俺は軽くため息をついた。




