第374話.闘志と理性
翌日の朝、俺たちは王都への進軍を再開した。俺はケールに乗って行列の先頭で歩き、ジョージとゲッリトとトム、そして50人の精鋭騎兵隊が俺の後ろを歩いた。
「……にしても、最初は本当に驚きました」
ふとゲッリトが言った。俺は首を傾げた。
「ん? 何が?」
「ボスがお1人で王都を占領したことです」
ゲッリトが笑顔を見せる。
「まさか王都ほどの大都市を1人で占領するなんて! 流石ボスです!」
「いやいやいやいや……」
俺は失笑した。
「常識的に考えて、1人で占領したはずがないじゃないか」
「でも……ボスって奇跡を起こす力があるじゃないですか。もう常識では測れないんですよ」
「俺にそんな便利な力は無いさ」
俺が笑顔で否定すると、今度はゲッリトが首を傾げる。
「じゃ、昨日はどうやって俺たちの危機に現れたんですか? あれはどう考えても奇跡でしょう?」
「あれは……運良く予感が当たっただけだ」
「ほら、結局奇跡でしょう?」
「違うって」
俺は笑った。
遠くに見える巨大な防壁、『守護の壁』に向かって進み続けた。そしてちょうど正午になった時、城門に辿り着いた。この城門を潜り抜けば王都だ。
「王都も本当に久しぶりですね」
ゲッリトの言葉に、俺は頷いた。
「そう言えば……お前たちは王都を訪ねたことがあったな」
「はい。3年前だったけ……? エミルのやつを護衛して王都を訪ねました」
ゲッリトはニヤニヤしながら答えた。
3年前……まだ何の役職も持っていなかった俺は、エミルを王都に派遣して外交を行った。それで俺は『南の都市守備軍司令官』になり、本格的な王国征服を始めた。
「エミルのやつとも、もう3年前からの付き合いですが……今まで1度もちゃんと話したことがありません。こちらから話しかけても無視されるだけです」
「まあな」
「始めて会った時1発殴っておくべきでした」
「へっ」
俺は笑った。エミルと始めて会った時……ゲッリトはエミルの無礼な言葉に怒って、彼の胸ぐらを掴んだ。幸い暴力沙汰にはならなかったけど。
「あいつの頭がいいのは分かっていますよ。でもあいつは自分から人に歩み寄ろうとしません。周りを見下しているからです」
「見下している……とはちょっと違うさ」
俺は首を横に振った。
「あいつは人間嫌いだ。他人と絡むこと自体を嫌っている」
「人間嫌いって……やつ自身も人間だろうに」
「ああ、だからエミルは自分自身のことも嫌っている」
その言葉を聞いて、ゲッリトは眉をひそめる。
「俺にはどうも理解できません。俺の頭が良くないからかもしれませんが」
「他人の立場を理解するのは、誰にだって難しいことさ」
「ボスにもですか?」
「もちろんだ。俺だって分からないものだらけだ」
ゲッリトは首を傾げて俺を見つめる。
「……たまに思いますが、ボスって意外と謙遜ですよね」
「俺が謙遜なわけがあるか。事実を言っただけだ」
俺はニヤリと笑った。
やがて俺たちは城門を潜り抜けて、王都に進入した。すると城門の近くに集まっていた市民たちが、俺の姿を見て歓声を上げる。
「伯爵様だ!」
「伯爵様がお戻りになられた!」
市民たちの熱狂的な歓迎を見て、ジョージとゲッリトが戸惑う。
「ボ、ボス……いつもこんな調子なんですか?」
「仕方無いさ」
ジョージの質問に、俺は笑ってしまった。
「つい先日、俺が王都の税率を下げたんだ。だから……しばらくは、どこ行ってもこの調子だろう」
「なるほど……」
ジョージが何度も頷いた。
俺たちは東の城門から中央広場に移動して、まず精鋭騎兵隊を警備隊本部に駐屯させた。そして北の 『金色の区画』……つまり国王の宮殿に向かった。
派手で巨大な宮殿を前にして、ジョージとゲッリトは凍りついてしまう。
「ボ、ボス……」
「またどうした、ジョージ?」
「俺たちも……本当に……今日からここで暮らすのですか?」
「当然だろう?」
俺は笑った。
「お前たちは俺の親衛隊だ。王都の統治者の親衛隊だ。当然宮殿で暮らすさ」
「そ、そうですよね……」
ジョージが固唾を呑んだ。ゲッリトの方は……袖で目を拭う。
「やべ、俺……何か目が痛くなった」
手で目を覆い、ゲッリトは必死に涙を隠す。
ジョージとゲッリトは、『レッドの組織』の一員の中でも特に貧困な人生を送ってきた。子供の頃は必死に物乞いをして生き残ったらしい。ま、俺もそうだったけど。
そんな2人だからこそ、今の現実が信じられないんだろう。俺はケールをトムに任せてから、2人を連れて宮殿に入った。
「な、何だここは……?」
宮殿に1歩入った瞬間、ゲッリトが目を見開いて呟く。黄金の獅子像、銀の蜀台、巨大なシャンデリア、巨匠の絵画、女神の銅像、猛獣の剥製……いつ見ても派手な風景だ。
「ここは一体……」
宮殿の派手さに直撃され、ジョージとゲッリトはまた凍りついてしまう。そして彼らが正気になるよりも早く、宮殿のメイドたちが現れて頭を下げる。
「お帰りなさいませ、伯爵様」
メイドたちの優雅な挨拶に、ジョージは更に凍りついてしまうが……ゲッリトは鼻の下を伸ばす。
「おい、ゲッリト。余計なことするなよ」
「わ、分かってますよ……へへ」
ゲッリトがニヤニヤする。俺は内心舌打ちした。ゲッリトのやつ……いつもの癖でメイドを口説こうとして、また振られるだろうな。
俺たちは2階に上がり、会議室に入った。会議室には『レッドの組織』のみんなと、参謀のエミルがテーブルに座っていた。
「ボス」
レイモンが席から立ち上がると、他のみんなも立ち上がる。俺は彼らを見て頷いた。
「みんな、よくぞ王都に来てくれた。大変だっただろう?」
「いいえ」
レイモンがみんなを代表して答える。
「昨日の戦闘以外は、大変と言うほどのことはありませんでした」
「確かにあれは大変だったけど、お前たちと一緒に戦えて楽しかったよ」
「はい」
俺と『レッドの組織』のみんなは一緒に笑顔になった。久しぶりに会っても、すぐ互いの気持ちに同調する。俺たちにとって、もう当たり前のことだ。
俺がテーブルに座ると、他のみんなも座った。そして俺たちはメイドが運んできてくれたお茶を飲みながら、話を始めた。
「みんな知っている通り……昨年の11月から、俺は王都の統治者になった」
俺はティーカップをテーブルの上に置いた。
「現状は悪くない。俺は王都の貴族や市民たちの支持を得た。だが……まだ敵が残っているし、王都の問題も完全に解決されていない。だからこそ……お前たちの力が必要だ」
みんなの顔を見渡してから、俺はまた口を開いた。
「『レッドの組織』は敵の撃破に、エミルは王都の統治に力を貸してくれ」
その言葉に、みんなが口を揃えた「はっ」と答えた。
「レイモン」
「はい、ボス」
「みんなの家族にも異常は無いだろう?」
「はい」
レイモンが誠実な顔で頷く。
「自分の妻と娘、ジョージの婚約者のミアさん、トム君の姉のアンナさん……みんな元気です」
「良かったな」
俺は満足げに頷いた。
「お前たちはこれからこの宮殿で生活することになる。いろいろ大変だろうけど、早く慣れることを願う」
俺が笑顔で言うと『レッドの組織』のみんなも笑顔で頷いた。
それから俺たちは、宮殿の生活について簡単に話し合った。何しろ『レッドの組織』は、住み慣れた『南の都市』から離れたのだ。宮殿での生活……慣れるには時間がかかるだろう。
「お前たちがすぐ側にいてくれるなら……心強い」
「はい」
レイモンが真剣な顔で俺を見つめる。
「ボスの戦いは、自分たちの戦い……そしてこの王国を救う戦いです。その戦いの勝利を、身命を賭して切り開いてみせます」
「ありがとう。しかし……命は投げるな」
俺も真剣な顔で答えた。
「俺たちが戦っているのは、死ぬためではない。強く生きるためだ。死んでいった仲間たちのためにも……俺たちは最後まで生き残るのだ。それを忘れるな」
「はい」
レイモンが頷いた。彼は3年前の『ケント伯爵』との戦いで、大きな負傷をしたことがある。もうそんなことは……ごめんだ。
「……じゃ、今日の話は一旦ここまでにしよう。エミル以外は解散してよし」
俺の宣言に『レッドの組織』は会議室を出た。それで俺はエミルと2人きりになった。
「お前とは本当に久しぶりだな、エミル」
「正確に言えば、8ヶ月ぶりです」
エミルが無表情でそう言った。俺は内心苦笑した。久しぶりに会っても……こいつは何も変わっていない。
「お前、更に痩せたようだな。少し運動をしたらどうだ?」
「その提案はお断りします」
「へっ」
俺は笑ってから、しばらく沈黙した。そして数秒後……俺は真剣な顔でエミルを見つめた。
「エミル、俺が言おうとしていること……分かるか?」
「どこかで情報が漏れている……ということでしょう?」
エミルが凍りつくような冷たい声で答えた。俺はゆっくりと頷いた。
「昨日の戦闘……あれはお前たちの移動を、アルデイラ公爵が事前に知っていてからこそ起きた戦闘だ」
「はい」
エミルが頷く。
「王都に向かって移動する前から、私は情報部に指示して情報操作を行いました。私たちの正確な移動日程は、私たち以外には知る術が無かったはずです」
エミルは俺の参謀として情報部を率いている。かなりの予算を使っているが、情報部の実力は確かだ。いくらアルデイラ公爵だとしても……痕跡も残さずに、こちらの情報を盗むことは不可能だ。普通なら。
「昨日の戦闘で、アルデイラ公爵軍は明らかにお前の乗っている馬車を狙っていた。あれは偶然なんかではない。アルデイラ公爵はこちらの事情を知っているのだ」
「はい」
「つまり……」
「内通者がいると見るのが妥当です」
エミルが冷たく言った。俺は唇を噛んだ。
「俺は……側近たちを疑うような真似はしたくない」
「それは総大将個人の感情に過ぎません。現実を見ないと、問題は解決出来ません」
「……ああ」
ため息をついてから、俺はエミルを凝視した。
「一刻も早く、この件の真相を究明せよ」
「かしこまりました」
「青鼠は今どこにいる?」
「もうすぐ王都に到着します」
「そうか」
俺は頷いた。
『夜の狩人』の前代頭領である青鼠は、伝説的な暗殺者だった。そして今はエミルの情報部に協力している。アルデイラ公爵の企みを破るためには、あの老人の力も必要だ。
俺は腕を組んで、いろんな可能性を考えてみた。




