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第369話.化け物と人間

 薄暗い天幕を出ると、眩しい太陽が迎えてくれた。人間の争いをも包んでくれるような……温かい太陽だ。


 天幕の外には、相変わらずアルデイラ公爵軍の兵士たちが並んでいる。もしアルデイラ公爵が一言命令すれば……こいつらは俺の命を奪うためにかかってくるだろう。しかし……結局そういうことは起こらなかった。そして俺は堂々と歩いて、アルデイラ公爵軍の陣から抜け出した。


「レッドさん!」


 俺の姿を見て、ハリス男爵が駆けつけてくる。


「ご無事ですか!?」


「ああ、見ての通りだ。心配してくれてありがとう」


 俺はケールに乗り、ハリス男爵も自分の軍馬に乗った。そして俺たちは森林偵察隊を率いてその場を離れた。王都へ帰還する時間だ。


 帰還の途中……俺は周りの風景を楽しんだ。果てしない平原、遠くに見える『守護の壁』や『外側の村』、青い空と温かい太陽……単調だが美しい風景だ。


「あの……レッドさん」


「ん?」


「それで……結局アルデイラ公爵はどういう人でしたか?」


 ハリス男爵が好奇の眼差しで聞いてきた。俺はニヤリとした。


「そうだな……一言で言えば『恐ろしいやつ』だ」


「恐ろしい、ですか?」


「ああ」


 俺はゆっくりと頷いた。


「やつは自分の行動の全てが正当だと思う人間だった。残酷な虐殺を行ったり、一般市民を犠牲にしたり、家族を騙したりしても……罪悪感を覚えたことが無いらしい」


「それは……」


 ハリス男爵が眉をひそめる。


「もちろん貴族社会には、悪質な陰謀を企む人が多いです。でも……いくら残酷な人間でも、少しは罪悪感を覚えるのが普通です。その罪悪感を払うために宗教を信じる人も多いです」


「そうだな」


「でも……少しも罪悪感を覚えることなく、反省も後悔もしないとなると……人々から批判されても仕方ありませんね」


「やつはそんな批判など少しも気にしていないさ」


 俺は笑った。


「『私を批判するのは、私の合理性が理解出来ない愚かなやつらだ』……アルデイラ公爵はそう考えている」


「そんな……」


 ハリス男爵が冷や汗をかく。


「まさか『3公爵』の1人がそんな人だなんて……この王国にとって不幸極まり無いことですね」


「まあな」


「王国の未来のためにも、市民たちのためにも……アルデイラ公爵が頂点になることだけは避けるべきだと思います。彼こそ……私たちが倒すべき化け物かもしれません」


「……いや」


 俺は首を横に振った。


「確かに化け物に見えるけど、やつも結局1人の人間だ」


「はい……?」


 ハリス男爵が目を丸くする。


「それはどういう意味ですか?」


「やつは……アルデイラ公爵は、『対等な理解者』を求めているのさ」


「理解者?」


「ああ」


 俺は青空を見上げた。


「アルデイラ公爵は全ての他人を見下している。でも……心のどこかでは、自分のことを理解してくれる他人を求めている。だから俺を懐柔しようとしたんだ」


「レッドさんを……?」


「『レッドなら私と対等な立場で、私の行動や思想を理解してくれるはずだ』……やつはそう思っていた。『君なら私のことを理解出来るはずだ』……ずっと俺にそう言っていた」


「それってつまり……」


 ハリス男爵が驚いた顔で口を開く。


「つまり……アルデイラ公爵はレッドさんと友人になろうとしたのですか?」


「そうとも言える。だがそんなことは不可能だ。やつは自分の行いが正当だと強く信じているからな。たとえ友達になっても……いつかは俺を裏切るだろう」


「何か……可哀想な気がしました」


「可哀想かもしれない。だが……やつは死ぬまで他人を騙し、利用し、傷つけるはずだ。そんな道しか知らない人間だからな」


「……可哀想ではなくなりました」


「へっ」


 俺は笑ってから、ゆっくりと口を開いた。


「正直に言えば……期待外れだ」


「はい?」


「最後の敵は……やっぱり本物の化け物だろうと期待していた。しかし俺を待っていたのは……結局人間だったわけだ」


 俺は手を伸ばして、ケールの頭を撫でた。ケールは気持ち良さそうに頭を振った。


---


 俺とアルデイラ公爵が会談を行ったことは、噂になって瞬く間に王都内に広がった。人々は会談の内容についていろんな推測をしたが……その真相に気づいた者は、誰1人もいない。


 そして3月になり、宮殿で大掃除が始まった。とてつもなく広い宮殿を隅から隅まで掃除するわけだから、結構な大行事だ。


「さあ、皆さん! 始めるわよ!」


 シェラが指揮を取り、宮殿のメイドたちは全員掃除道具を手にして戦いを始める。その勢いと気迫は、戦場に立つ兵士とそう変わらない。


 俺も何か手伝おうとしたが、すぐシェラに『レッドは引っ込んでなさい!』と言われた。まあ、王都の統治者が掃除を手伝うのもちょっとあれだし……他人の仕事を奪うのも良くない。結局俺は小さな応接間に逃げ込んだ。


「……しばらくはここで過ごすとするか」


「はい、その方が良さそうです」


 ハリス男爵が笑顔を見せる。彼も俺と同じく、大掃除から逃げてきたのだ。俺たちは2人とも結構な権力者なのに……何か今日ははぐれ者になった気持ちだ。


「まあ、たまにはこういうのも悪くないさ」


「はい」


 俺とハリス男爵は一緒にテーブルに座って、掃除の音を聞きながらお茶を飲んだ。そして他愛の無い話をした。仕事や戦争とは関係の無い、本当に他愛の無い話を。


「レッドさん、実は……」


「ん? どうしたんだ?」


「実は……『美声のルーク』がレッドさんに関する本を出版したら、私が真っ先に大量に購買することにしました!」


 その言葉を聞いて、俺は飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。


「ど、どうしてあれを大量に買うんだ?」


「もちろん我が領地の人々にも読ませるためです!」


 ハリス男爵は気持ち良さそうな笑顔になる。


「この王国の救世主の記録ですからね! それを読むのは王国市民の義務ですよ、義務!」


「いや、そんなことはないと思うけど……」


「しかも、細やかながら私の活躍も書かれているらしいですからね! ハリス男爵家の家宝にするべきです!」


「いや、そうしたいんなら止めはしないけど……」


 俺は苦笑いした。ハリス男爵は俺よりずっと年長者だけど、いつも俺のことを純粋に褒めてくれる。そのことがもちろん嬉しいけど……少し恥ずかしいのも事実だ。


 俺とハリス男爵は、しばらくルークの本を話題にして盛り上がった。ハリス男爵は本当にあの本を期待しているみたいだ。そしてお茶を飲み終えた時……ハリス男爵が真剣に顔になる。


「レッドさん」


「ああ」


「私と森林偵察隊は、今週中にハリス男爵領に戻る予定です。申し訳ございません」


「いや、謝る必要は無いんだ」


 俺は強く首を振った。


 俺を支援するために王都に来ているけど、ハリス男爵には領主として自分の領地を管理する権利と義務がある。アップトン女伯爵の協力を得たとはいえ、流石に春になったら自分の領地に戻るべきだ。


「数ヶ月も俺に協力してくれたこと、本当に感謝する。あんたがいてくれて……俺の戦いが順調に進んだ」


「レッドさんのお力になれたのなら幸いです!」


 ハリス男爵は満面に笑みを浮かべる。このパン屋の店主みたいな人は……俺が見てきた領主の中で1番の人格者であり、1番信用出来る人だ。


「ハリス男爵」


「はい」


「1つお願いがある」


「何でしょうか?」


「今度王都に来る時……あんたの木造彫刻を持ってきてくれないか?」


「私の彫刻を、ですか?」


 ハリス男爵が驚いた顔になる。


「どうしてあれを……?」


「俺はあんたの木造彫刻が好きなんだ。見ていると心が温かくなる」


 ハリス男爵は、領主になる前には木造彫刻を売って生計を立てていた。そして領主になった後も、時間がある度に彫刻を作り……彼の城は彼の作品でいっぱいだ。


 ハリス男爵の城に訪ねた時、俺は素直に感心した。彼の木造彫刻は、決して派手ではないが……温かさを持っていた。城下町の風景、はしゃいでいる子供たち、収穫後の耕地と農家……どれも人間の温かさに溢れていた。


「この宮殿には巨匠の彫刻や絵画がたくさんあるけど、やっぱり俺はあんたの木造彫刻を飾っておきたい。特にこの応接間にはとても似合うと思う。お茶を飲みながら彫刻を見ていたい」


「レッドさん……」


 ハリス男爵が瞳が涙で潤む。


「まさか私の作り物なんかを褒めてくださるなんて……」


「俺は素晴らしい彫刻だと思う。どんな巨匠の作品にも遅れを取らないはずだ」


「……分かりました!」


 ハリス男爵は手で涙を拭いてから、声を上げる。


「領地に戻ったら、命を掛けて最高の彫刻を作ります! どうかご期待ください!」


「……いや、領主としての義務を優先してくれ」


 俺は苦笑いしたが、ハリス男爵は「わははは!」と笑うだけだった。

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