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第363話.頼り頼られ

 翌日の午前、俺は宮殿の大宴会場に入った。


 大宴会場は、主に王室の行事や貴族層のパーティーに使われる場所だ。しかし俺が今日ここに来たのは、 行事やパーティーのためではない。鍛錬のためだ。


「この大宴会場で武術を鍛錬するなんて」


 俺の隣からデイナがニヤニヤとする。


「そういう統治者は、長い王国の歴史の中でもたぶんレッド様だけですよ」


「だろうな」


 俺は軽く頷いてから、デイナの側に立っている黒猫の頭を撫でた。黒猫は満足げな顔を見せる。


 俺とデイナと黒猫は大宴会場の真ん中まで行った。ちょうど俺が新年パーティーでデイナと一緒に踊った場所だ。


「始めようか」


 俺が黒猫の方に向けて木剣を構えると、黒猫も俺の方に向けて木の棒を構える。黒猫の背より長い木の棒だ。デイナは少し離れたところのソファーに座って、俺たちを見つめる。


「黒猫」


「はい、頭領様」


「制圧術の目的は何だ? 言ってみろ」


「相手を殺さずに、戦闘力だけを奪うことです」


 黒猫が真面目な顔で答えた。俺は「そうだ」と頷いた。


「戦闘力だけを奪うためには、どこを狙うべきだ?」


「相手の武器や手足を狙うべきです」


「正解だ」


 俺はもう1度頷いた。


「人間は頭や首、腹部などがやられたら高確率で死んでしまう。でも手足ならまだ生き残る可能性がある」


「はい」


「これから俺は防御に専念する。俺の手足を狙って攻撃してみろ。全力で」


「はい」


 黒猫はまず「ふう」と深呼吸する。そして次の瞬間……地面を強く蹴って俺に突撃する。


「っ……!」


 小さい気合と共に、黒猫の木の棒が俺の右手を狙って走る。俺の木剣を落とさせる算段だ。なかなかの攻撃だが……率直過ぎる。


「……っ!」


 俺が木剣で攻撃を軽く受け止めると、黒猫は木の棒を大きく振るって俺の左足を狙う。俺は素早く移動してその攻撃を避けた。


 それから同じような攻防が繰り返された。黒猫は諦めずに俺の木剣や手足を狙って攻撃を繰り返し、俺は防御に徹した。そして30分後……黒猫の呼吸が荒くなる。


「よし、一旦ここまでだ」


「は、はい」


 黒猫は戦闘態勢を解除して深呼吸する。


「いい攻撃だった。前より強くなったな」


 俺が笑顔で言うと、黒猫は頬を赤らめて「ありがとうございます、頭領様」と答える。


「しかし……前から思ったけど、お前の戦い方は率直過ぎるな」


「率直、ですか?」


「ああ、たぶん白猫との連携を想定した戦い方だ」


 俺は木剣を腰に差して、説明を続けた。


「白猫が絢爛な動きで敵を惑わせたら、お前が率直な攻撃で敵を倒す。最初からそういう連携を前提にして鍛錬したんだろう。簡単だが強力な連携だ。でも白猫が一緒じゃないと、お前の率直な攻撃だけでは限界がある。格下の相手ならまだしも……強敵には通用しない」


「私は……」


 黒猫が暗い顔になる。


「お姉ちゃんと一緒に戦うのが好きです。でも……これからは1人でも任務を遂行出来るようになりたいです」


「そうだな」


 俺は黒猫に近づいた。


「解決方法は2つある。1つは、弱点を補うための変則的な戦い方を学ぶことだ」


「変則的な戦い方、ですか?」


「ああ、白猫を見れば分かるだろう? 動作、視線、呼吸、間隙などを巧妙に扱って……相手を惑わす戦い方だ」


「それは……」


 黒猫の顔が更に暗くなる。俺はそんな黒猫の頭を優しく撫でた。


「分かっている。こういうのはお前には合わないだろう。だから……弱点を補うんじゃなくて、長所を伸ばすのだ」


「長所……」


「お前は自分の体格を超える怪力を持っている。その怪力を生かして、率直な戦い方を極めれば……1人でも十分に戦える」


 黒猫が目を丸くして、俺を見上げる。


「本当に……出来るでしょうか?」


「もちろんだ」


 俺が強く頷くと、黒猫の顔が明るくなる。


 俺と黒猫は鍛錬を再開した。今度は黒猫が1人で木の棒を振るって、俺は側でそれを観察した。そしてある程度の観察が終わった後、黒猫がもっと効率的に戦えるように姿勢や動作を正した。


 更に30分くらい後、流石の黒猫も疲れてしまう。


「今日はここまでだ」


「はい」


「休憩は大事だ。自室で休め」


「それは……」


 黒猫がデイナの方を見つめる。護衛対象のデイナから離れるわけにはいかないと思っているんだろう。


「デイナは俺に任せろ」


「しかし……」


「お前、疲れが溜まっているぞ。夕方までゆっくり休んで来い。これは命令だ」


「……分かりました」


 黒猫は俺とデイナに向かってペコリとお辞儀してから、大宴会場を出た。


「お優しいですね」


 デイナがソファーから立ち上がって、俺に近づいた。


「相手の目線に合わせて物事を教える……レッド様は、意外と教師の資質をお持ちですね」


「こう見えても一応教師だったのさ。格闘技の教師だけど」


 俺はニヤリとした。デイナは少し考えたから口を開く。


「レッド様だけではなく、黒猫さんも意外ですね」


「黒猫も?」


「はい。私は武術については何も知りませんが、そんな私でも1目で分かります。黒猫さん……本当に強かったのですね」


「もちろんだ。ああ見えても、黒猫は『夜の狩人』の戦闘組だ」


「それは以前から知っていましたが、正直なところ、実感が湧かなかったのです」


 デイナが微かに笑う。


「小さな女の子が、そこまで強いはずがない。私の護衛を務めているのも、半分遊びじゃないかな……と」


「黒猫を舐めたら痛い目に遭うぞ。あの子の力は騎士にも劣らない」


「ふふふ……私なんかは一瞬でやられるでしょうね」


 デイナは笑った。しかしその直後、真顔を見せる。


「じゃ、本当に黒猫さんは……暗殺者だったのですか?」


「ああ」


 俺も真顔で答えた。


「『夜の狩人』の前代頭領である青鼠は、黒猫に対してこう言った。『子供の暗殺者は使い勝手がいい』……とな」


「なるほど」


 デイナは目を瞑って頷く。


「子供を利用して、相手を油断させてからの不意打ち……『夜の狩人』の悪名は嘘ではなかったわけですね」


「もう『夜の狩人』は暗殺集団ではない。しかし……黒猫の心が完全に回復するかどうかは、正直俺にも分からない」


「……レッド様ならきっと大丈夫です。だって私も……」


 しばらく沈黙してから、デイナが俺の顔を見つめる。


「黒猫さんのことは、しばらく私にお任せください。護衛を務めて頂く代わりに、貴族社会の教養というものを黒猫さんに伝授致しましょう」


「へっ……頼んだぞ」


 デイナも母親の高圧的な態度のせいで心が病んでいた。そんな彼女なら、黒猫のことを心から理解出来るはずだ。


「でも……」


「ん?」


「護衛を受けるべきなのは、私ではなくレッド様なのでは?」


 デイナが俺を直視する。


「私、考えてみました。アルデイラ公爵の次の狙いは何なのかな、と」


「ほぉ、それで?」


 俺が興味を見せると、デイナは得意げな顔で説明を始める。


「アルデイラ公爵が私のお母様と同格かそれ以上の陰謀家なら……すぐには手を出して来ないはずです。今は私たちも警戒しているし、下手に策を使っても失敗するだけでしょうから」


「ふむ」


「だからこそ、ゆっくりと……まるで蜘蛛が糸を張るように、多数の陰謀を同時に展開するはずです。たとえ陰謀の1つや2つが失敗しても、最終的には目標を達成するために」


「その目標は、俺の命……ということだな」


「はい」


 デイナは自信満々な顔で頷いた。


「言ってしまえば、私たちは寄せ集めの集団です。出身も育ちもそれぞれで、共通点があまり無い。そんな寄せ集めの集団がここまで成長したのは、レッド様の力量のおかげです」


「別に俺1人でやったわけでは……」


「否定しないでください、事実ですから」


 デイナが腕を組んだ。


「しかし、これを言い換えれば……レッド様が命を落としたら私たちは脆くも崩れる、ということです。しかもレッド様には後継者もいない。組織論の観点からすれば、かなり危ない状態なのです」


 俺は口を噤んで、デイナの話を聞いた。


「もちろんレッド様は王国最強と呼ばれているお方。『夜の狩人』も『青髪の幽霊』も暗殺に失敗した。でもそんなレッド様も、結局1人の人間……決して殺せない存在ではないのです」


「……確かにその通りだ」


 俺は素直に認めた。


「化け物とか、悪魔とか、赤竜とか……そう呼ばれているが、俺は人間だ。そして歴史の本には、最強と呼ばれた人間が呆気なく死んだことが多数記録されている。俺もその1人になるかもしれない」


「はい」


「俺は自分の力を過信するつもりはない。だからこそ周りのみんなに頼っている。これまでも、これからも」


 俺はデイナを見つめた。


「お前にも頼るつもりだ。『金の魔女』の長女の実力……期待している」


「ふふふ……分かりました」


 デイナは笑った。妖艶で底の知れない笑顔だ。まるでカーディア女伯爵を見ているようだ。

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