第362話.宿敵、か
2月7日の午後……俺は会議室のテーブルに座って、王都法務部の報告書を読んでいた。
法務部の報告書は、ほとんどが裁判に関するものだ。この王都は人口が多いから、当然揉め事も多くて……裁判も多い。
統治者の俺が小さな裁判まで一々担当するわけにもいかないから、大体は官吏たちに任せている。でも最終責任者として、俺は裁判の結果をちゃんと確認しておくべきだ。そうしないと、官吏たちが勝手に判決を下す恐れがある。
1時間くらい報告書を読んでいると、シルヴィアが会議室に入ってきた。彼女は俺の邪魔にならないように、静かに歩いて会議室の隅までいく。
「……ん?」
俺は首を傾げた。シルヴィアが会議室の窓際に小さな植木鉢を置いて、ガラスの水差しで水やりをしているのだ。シルヴィアは植物好きだから、別にそれは珍しい光景ではないけど……問題はその植木鉢に植えられている植物だ。
俺はそっと席から立って、シルヴィアの後ろに近づいた。そして彼女の肩越しに植木鉢を見つめた。何だ、この怪異な形の植物は……?
「……シルヴィア」
「キャー!」
俺が声をかけると、シルヴィアがびっくりする。どうやら俺の接近に気づいていなかったようだ。
「すまない、びっくりさせてしまって」
「いいえ。私の方こそ、つい夢中になっていました」
シルヴィアは笑顔で答えてから、怪異な形の植物にまた水やりをする。
「一体……何なんだ? その不思議な植物は」
「ああ、これは『サボテン』です」
「サボテン……?」
「はい、南方大陸の砂漠から由来した植物です」
シルヴィアが嬉しい笑顔で説明する。
「気温差の激しい砂漠でも生き残るほど、暑さにも寒さにも強い子です。それに水やりも1ヶ月に1回くらいで十分です」
「へぇ……」
俺はその『サボテン』とやらを注意深く見つめた。トゲトゲの姿が本当に不思議だ。
「南方大陸には、不思議な動物や植物がいっぱいあると聞いたけど……」
「この王国とは環境や気候が大分違うらしいですね」
「でも……こいつは……」
俺は腕を組んだ。
「このサボテンというやつは……何か俺みたいだな」
「レッド様みたい、ですか?」
「ああ、暑さに寒さにも強くて……どこでも生き残れそうだからな。しかも見た目が……他の植物とは違って、何か化け物みたいだし」
「ふふふ」
シルヴィアが笑った。
「私はとても可愛いと思いますが」
「可愛い? このサボテンが……?」
「はい。トゲトゲしい姿がとても可愛いです」
「……女の子の言う『可愛い』は、たまに理解出来ない」
俺がゆっくりと首を横に振った時、会議室に誰かが入ってきた。振り向くとそれは小柄の少年……俺の副官であるトムだ。
「お邪魔致しました、総大将」
「別にいいんだ。それより……どうした、トム?」
「総大将の指示通り、皆さんに招集をかけました。もうすぐ到着します」
「もうそんな時間か」
俺は頷いて、会議室の真ん中の大きなテーブルに座った。すると俺の側近たちが次々と会議室に入ってくる。シェラ、ハリス男爵、ガビン、そしてデイナ。任務に出ている猫姉妹と鳩さんを除いて、全員集まったのだ。
「みんな座ってくれ」
俺が言うと、側近たちもテーブルに座る。
「どういうことなの? 何かあった?」
側近たちを代表して、シェラが聞いてきた。俺はデイナの方を見つめた。
「デイナ、まずあの話をみんなに伝えてくれ」
「はい」
デイナが頷くと、みんなの視線が彼女に集まる。
「皆さんもご存知通り、レッド様に処刑された王都財務官と法務官の本家……つまりフィンリー伯爵家とアロン男爵家は、レッド様の王都統治に反対する声明を出しました」
デイナは冷静な顔で説明を続ける。
「そしてこの声明に呼応して、アルデイラ公爵とコリント女公爵も声明を出しました。『レッド・ロウェイン伯爵の統治は不当である』という声明を。つい昨日のことです」
その説明を聞いて、シェラが首を傾げる。
「でも……もう私たちと2人の公爵は敵同士でしょう? その声明にどんな意味があるのですか?」
「2つの意味があります」
デイナは微かな笑顔で答える。
「1つは……2人の公爵はまだ諦めていない、ということです。昨年の戦闘でレッド様に大敗しましたが、それでも2人の公爵に和平の意志は無い。あくまでもレッド様を倒すつもりなのです」
「なるほど、そういうことですね」
「それに……この声明で、王都の貴族層の世論を揺さぶるつもりでしょう」
デイナが腕を組む。
「王都の平民層は、レッド様の統治に満足しています。税率の削減が発表されれば、もう皆レッド様を強く支持するでしょう。しかし……貴族層はそうでもありません」
デイナがいたずらっぽい笑顔になる。
「現在、王都の貴族層はみんなレッド様を支持していますが……それはあくまでも表面的なことです。彼らの中には、アルデイラ公爵やコリント女公爵と親交のある人も多いのです」
「確かにそうですね」
「つまりアルデイラ公爵とコリント女公爵は、王都の貴族層に正式に警告したのです。『これ以上レッドに協力するな』と」
「なるほど」
シェラが顎に手を当てる。
「でも……どうしてこの時期に声明を出したのでしょうか? もうレッドが王都を統治してから3ヶ月も経ったのに……」
「それはもうすぐ春が来るからだ」
シェラの質問に、今度は俺が答えた。
「俺に敵対している者たちは、ずっと王都の様子を窺っていた。王都の状態が悪いのは、やつらも知っているからな」
俺はニヤリとした。
「『放っておいても、借金だらけで空っぽ同然の王都を再建させることは無理だろう』……そう思っていたに違いない。しかし俺の統治は、俺が考えても不思議なくらいに上手くいっている。まだ借金だらけだけどな」
「それで2人の公爵は、『もうレッドを放っておくわけにはいかない』と思うようになったのね」
「ああ。そして冬が終わり、春が着たら……本格的な軍事活動が可能になる」
「……また戦争か」
シェラが軽くため息をついた。他の側近たちも、言葉には出さなかったけどシェラと同じ気持ちだろう。
「でも、2人の公爵に勝算は無いんじゃない?」
シェラは俺を見つめる。
「だってそうでしょう? この王都は『守護の壁』によって守られているし、攻め落とすのはとても難しい。しかも私たちと警備隊もいるから、いくら公爵たちでも武力では無理だと思うけど」
「確かにその通りだ。武力では……たとえ何万の軍隊を持ってきても、やつらに勝算は無い」
みんなの視線が俺に集まる。
「散発的な戦闘が起こるかもしれないが、注意するべきなのはそこではない。もっと陰湿な……陰謀の方だ」
「陰謀?」
「ああ」
俺はみんなの顔を見渡した。
「みんなに話しておきたいことがある。俺と……アルデイラ公爵の悪縁についてだ」
それから俺は淡々と説明した。俺が南の都市で倒したアンセルが、アルデイラ公爵の息子だったこと……薬物『天使の涙』が広まっていたのは、アルデイラ公爵の計画だったこと……そしてウェンデル公爵の長男も、その計画によって殺されたことを説明した。
「……王都で暴動を起こそうとしたのも、アルデイラ公爵に違いない。やつは……陰湿な陰謀に関してなら、たぶんこの王国の誰よりも優れている」
「そう言えば……」
シェラが暗い顔で口を開く。
「ウェンデル公爵が戦闘で負けたのも、彼の側近がアルデイラ公爵に寝返ったからでしょう?」
「そうだ。どんな手口を使ったのかは、未だに不明だけどな」
「……恐ろしい人だね」
シェラが俺の顔を見つめる。
「しかも……レッドはずっと以前からそんな恐ろしい人と戦っていたわけだね」
「ああ」
俺は頷いた。
「アルデイラ公爵にとって、俺は王国を手に入れるための最大の敵であり……息子の仇でもある。もう俺と彼の間に和平は存在出来ないのさ。どちらかが滅ぶまで……戦うしかない」
「宿敵……ということかな」
「かもな」
俺はニヤリとした。
「武力では俺たちを倒せないことは、もうアルデイラ公爵も知っているはずだ。だからこそ、あらゆる手段を使ってくるだろう。彼特有の陰湿な手段を」
「注意するべきは、戦場だけではないんだね」
「ああ、でもあまりに疑心暗鬼になる必要は無い。敵を疑心暗鬼にさせて、内部から分裂を誘発するのは陰謀家の常套手段だからな」
俺はもう1度みんなの顔を見渡した。
「何かあったら、決して1人で悩むな。俺に報告して、周りのみんなと相談するんだ。そうすれば俺たちの信頼は揺るがない」
側近たちが一斉に頷いた。
「そして1人での行動はなるべく避けてくれ。アルデイラ公爵は『青髪の幽霊』という凄腕の暗殺者を雇っている。護衛無しで動くのは危険だ」
「そう言うレッドも、あまり1人で動かないでね」
「分かった」
俺は笑顔で頷いた。
「それにしても……」
シェラが慎重な顔になる。
「これらの情報を持ってきたのは、エルデ伯爵夫人なんでしょう? あの人……信用出来るの?」
「俺は信用出来ると思う」
俺は腕を組んで答えた。
「確かにエルデ伯爵夫人はアルデイラ公爵の長女だ。でもさっき話した通り、彼女は夫の事故の件で父親を恨んでいる。エルデ伯爵夫人は夫を深く愛しているし……誠心誠意で協力してくれるはずだ」
「私もそう存じています」
デイナが口を挟んだ。
「エルデ伯爵夫人は、今も貴族層の世論をまとめてレッド様の統治に協力しています。何より、彼女の夫への愛情は本物です。ゆえに私は、エルデ伯爵夫人は信用出来ると存じます」
「レッドとデイナさんがそこまで言うなら、確かだね」
シェラが頷いた。
それから俺たちは、お茶を飲みながら宮殿や王都の情勢について話し合った。互いの情報を共有し、現状に対する理解を深めるためだ。そして何よりも、こうして一緒に時間を過ごすことで俺たちの団結は強まっていくのだ。




