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第353話.目標はまだ遠い

 側近たちが頑張ってくれているおかげで、俺の王都統治は順調だ。いや……順調過ぎる。


 俺は会議室のテーブルに座って、警備隊隊長のガビンが作成した報告書を読んだ。そして思わず「ふむ」と呟いた。


「どうなさいましたか、レッド様?」


 隣からシルヴィアが話しかけてきた。


「何かありましたか?」


「いや……思ったよりも王都統治が順調だから、少し驚いただけだ」


 俺は報告書をテーブルの上に置いた。


「去年のこの時期に比べて、王都の治安はよくなっているみたいだ」


「それはいいことなのでは?」


「もちろんそうだけど……」


 俺は腕を組んだ。


「俺が王都の統治者になってから、まだ1ヶ月しか経っていない。つまり王都はまだ『急な統治者の交代による混乱期』のはずだ。それなのに治安がよくなっているって……ちょっと不思議だ」


「それは……」


 シルヴィアが笑顔を見せる。


「たぶんレッド様が市民たちから尊敬されているからだと存じます」


「『尊敬されている』……というより、『畏怖されている』だろう?」


 俺はニヤリとした。


「俺の悪名が怖くて、裏社会の人間や小悪党などは下手な真似が出来ないはずだ。そのせいで治安がよくなった可能性が高いな」


 俺がそう言うと、シルヴィアが「ふふっ」と笑う。


「いつも思いますが……レッド様はご自身に対して厳しいですね」


「それが師匠の教えさ」


 俺も笑った。


「『自分が強者だからって、油断するやつは殺されても文句言えない』……俺の師匠はいつもそう言っていた」


「レッド様のお師匠である『鼠の爺』様のことですね」


 シルヴィアが頷く。


「私はあのお方とはお会いしたことがありません。とても残念です」


「鼠の爺は、俺がシルヴィアに出会う前に旅立ったからな」


 シルヴィアに出会ったのも、あれこれ2年近く経ったのだ。


「……俺の戦い方や戦略戦術は、ほとんどが鼠の爺から教えてもらったものだ」


「とても素晴らしいお師匠様なんですね」


「ああ、彼は間違いなく最強の戦士だ」


 俺は頷いた。


「鼠の爺は、今も俺の前に立っている。俺はあの背中を超えなければならない。毎日毎時間……強くなり続けなければならない」


「レッド様の力はもう王国最強、いいえ、大陸最強と言われているのに……更に強くなろうとしていらっしゃるなんて」


「悪いか?」


「いいえ、とても素敵だと存じます」


「へっ」


 俺が笑うと、シルヴィアも笑った。


「最強じゃないからこそ、まだ強くなれるのさ。俺はその事実が嬉しい」


「じゃ、レッド様がお師匠様を超えて……本当に最強になった時は、どうなさるおつもりですか?」


「それは……」


 俺が答えに迷っていた時、誰かが急ぎ足で会議室に入ってきた。俺の副官であるトムだ。


「総大将!」


「どうした、トム? 何かあったのか?」


「はい、それが……」


 トムは息を整えてから、説明を始める。


「外側の村である『グレイリバー』の村長が、総大将に面会を要請しました」


「外側の村の村長……?」


 俺とシルヴィアは互いを見つめた。


 この王都は、『守護の壁』と呼ばれている巨大な防壁によって守られている。しかし……実は『守護の壁』の外にも村が存在していて、これを『外側の村』と呼んでいる。この王都地域には、外側の村が10箇所以上ある。


「『グレイリバー』か……確か東に位置する村だったな」


「どうなさいますか?」


「外側の村の村長がここまで来たってことは、何か大変なことがあったんだろう。ここに連れてこい」


「はっ!」


 トムが素早く動いて、1人の中年男性を連れてきた。


「お、お初にお目にかかります、ロウェイン伯爵様!」


 俺を見て、中年男性が深々と頭を下げる。


「自分は『トッド』と申します! 『グレイリバー』の村長を務めております!」


「そうか」


 俺はトッドさんの姿を注視した。みすぼらしい服装と疲れた印象の中年男性だ。


「で……俺に何の用だ、トッドさん?」


「それが……」


 トッドさんは緊張で冷や汗をかきながら話を始める。


「グレイリバーが……自分たちの村が……狼の群れによって被害を受けています」


「狼の群れ?」


「はい!」


 トッドさんの顔が暗くなる。


「数日前のことでした。東北方面から何十匹の狼が現れて、村を攻撃しています。もう家畜がたくさん殺されて……負傷者も出ました。自分たちだけでは……対処出来ません」


「東北方面か……」


「ど、どうか……お助けください、伯爵様! 自分たちには……他に頼れるところがありません!」


 トッドさんは涙目になってそう言った。


 『グレイリバー』は王都地域の東部に位置する村であって……どの公爵の庇護も受けていない。だからトッドさんはここまで来たのだ。『赤い化け物』を頼って。


 俺はトムを見つめた。


「トム」


「はっ」


「至急、歩兵隊と弓兵隊を編成しろ。そしてトッドさんと協力して、グレイリバーの狼の群れを退治してこい」


「はっ!」


 トムが頭を下げた。トッドさんは驚いた顔で俺を見つめている。


「トッドさん」


「は、はい!」


「俺の副官に道案内をしてくれ。狼くらいはすぐ解決出来るはずだ」


 俺の言葉を聞いて、トッドさんは涙を流した。


「あ、ありがとうございます、伯爵様! ありがとうございます!」


 何度も頭を下げてから、トッドさんはトムと一緒に会議室を出た。


「すぐ対処出来て、幸いですね」


 シルヴィアがそう言った。俺は頷いたが……明るい気持ちにはなれなかった。


「どうなさいましたか? 何かレッド様のお気に触ることがあるのですか?」


「……狼の群れが東北方面から現れたのは、たぶん偶然じゃない」


 テーブルを見つめながら、俺は説明を始めた。


「俺はこの王国の西南部を制覇して、中央部の王都に進出した。王国の西南部と中央部の治安を安定させて、どうにか秩序を維持することに成功したのだ」


「そうですね」


「しかし……まだ俺の手が届いていない王国の東北部は、まさに生き地獄のような状況らしい。弱小領主たちの間に紛争が起こり、その隙に盗賊の群れが現れて、多くの村が燃やされたそうだ」


「私も……そういったお話を聞いたことがございます」


 シルヴィアの顔が暗くなる。


「この戦乱による難民の数は……もう数万以上だとお聞きしました」


「ああ」


 俺は頷いた。


「狼の群れが東北方面から現れたのも、偶然なんかではない。東北部は秩序が崩れているから、狼が群れを成しても放っておくしかなかったんだろう」


 俺は拳を握りしめた。


「早く王都地域を制覇して、東北部に進出するべきだ。しかし……公爵たちは未だに強敵だ」


「そうですね。でも……」


「分かっている。焦ってはいけない」


 物事には順序がある。焦ったら逆効果をもたらすだけだ。俺は師匠の教えをもう1度肝に銘じた。

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