第352話.小さな応接間で
「ふう」
ハリス男爵がため息をついて、俺に近寄る。
「ご苦労様でした、レッドさん。これで血を見ること無く決闘が終わりましたね」
「ああ」
俺はニヤリとした。
「厳しい戦いだったけど、楽しませてもらったよ。こんな感覚は久しぶりだ」
「レッドさんには負けましたが、やっぱりハーヴィー卿も強かった。見ている私の方がヒヤッとしました」
ハリス男爵の額に汗が流れている。俺とハーヴィーの決闘を見て、相当緊張していたようだ。
「しかし、どうやらハーヴィー卿は……最初から死ぬつもりだったみたいですね」
「そうだな」
俺はゆっくりと頷いた。
「ウェンデル公爵家の騎士たちは、俺の王都統治に反感を持っているんだろう。『王都はウェンデル公爵様の領地だ。レッドに渡すわけにいかない』とな。しかし今の状況で俺との同盟を切ることも出来ないから……不満だけ強まっているに違いない。その不満を鎮めるために、ハーヴィーは『わしがレッドとの決闘で死ねば、お前らもレッドのことを認めろ』と騎士たちに話したんだろう」
「自分の命を捧げて、ウェンデル公爵家を団結させようとしたんですね。北国の騎士たちは忠誠心が素晴らしいと聞いていましたが……ここまでとは」
ハリス男爵がしんみりした顔になる。
「それに……たぶんレッドさんとの決闘で死ぬことは、彼にとって本望だったと思います。武人として、最期は最強の相手との決闘で飾りたかったのでしょう」
「残念だが、あの老人の本望を叶えてやるわけにもいかない。これからも彼の力が必要だし、ウェンデル公爵やオフィーリアが悲しむだろうからな」
俺は人形みたいな美しい少女の顔を思い浮かべた。オフィーリアも今頃自分なりの戦いをしているはずだ。ウェンデル公爵家を束ねるために、必死に悩んで必死に行動しているはずだ。
---
翌日の午後……書類仕事を終えた俺は、静かにお茶でも飲むことにした。それで1人で応接間に向かった。
本来はハリス男爵と一緒に飲もうと思ったけど、彼は自分の部屋で昼寝をしていた。疲れているんだろう。そっとしておいた方が良さそうだ。
宮殿の3階の隅に位置する、小さな応接間。その部屋には黄金の彫刻も、銀の装飾品も、宝石の付いた鏡も無い。メイド長に指示して、1枚の風景画以外は全部他の部屋に移したのだ。おかげでこの小さな応接間は地味だ。地味で落ち着ける場所だ。
応接間に入って、ソファーに座ると目の前に風景画が見える。秋の畑が描かれている風景画だ。収穫期の畑の真ん中には、1人の女性が立っていて……彼女の側には小さな子供がいる。母子なんだろう。母子は互いを見つめながら笑っている。美しくも……微笑ましい風景画だ。
「伯爵様」
メイドがお茶を運んできてくれた。俺は「ありがとう」と答えてから、1人でお茶を飲み始めた。壁付暖炉から温かい空気が流れてきて、身も心も温かくなる。静かで……平穏な時間だ。
「あ……レッド」
その時、応接間の扉が開かれて3人が入ってきた。それは……俺の婚約者であるシェラとシルヴィア、そしてデイナだった。
「1人でお茶を飲んでいたの?」
「まあな」
シェラの質問に、俺は笑顔で答えた。
「ハリス男爵が昼寝をしていてな。でもたまには1人もいいさ」
「じゃ、私たちが邪魔したんだ?」
「いや、そうでもない。座ってくれ」
シェラとシルヴィアとデイナもソファーに座った。そしてしばらく後、当番のメイドが3人分のお茶を持ってきてくれた。
「やっぱりこの部屋が落ち着くんだよね」
お茶を1口飲んでから、シェラが言った。
「他の部屋は派手過ぎてちょっとね。私が平民の出だからかな?」
「さあな」
俺は肩をすくめてから、デイナの方を見つめた。
「デイナはどうだ? 大貴族の長女として、この部屋は地味過ぎるか?」
俺の質問に、デイナは部屋の中を見回してから首を横に振る。
「いいえ、いい雰囲気の部屋だと思います」
「そうか」
「はい」
デイナが微かに笑う。
「もちろん貴族やお金持ちの中には、盲目的に『派手なほどいい』と言う人もいますが……私からすれば、逆に浅薄です。ああいうのは」
「なるほどね」
俺は笑った。
「じゃ、派手さと浅薄さの違いは何だ?」
「均衡と調和です」
デイナが迷いなく答えてから、目の前の風景画を指差す。
「例えばあの絵画は、この小さな応接間の雰囲気に似合っている。もしここに黄金の獅子像なんかがあったら、浮いたはずです」
「なるほど」
「逆に広い宴会場には、あの絵画は似合わない。派手なシャンデリアや銀の燭台が似合うでしょう」
「流石大貴族の長女だな」
「こんなこと、誰でも言えますよ」
俺の褒め言葉に、デイナは鼻で笑った。
「あ、そう言えば……」
ずっと黙っていたシルヴィアが口を開いた。
「もうすぐ新年パーティーが開かれますが、宴会場の内装を決めることに困っています。デイナさんのご協力があれば本当に助かると思います」
「もちろん協力出来ますよ。しかし……」
デイナが俺の方をちらっと見る。
「最近、私は少し忙しいです。レッド様の代わりに、1日に3回くらいお茶会やパーティーに参加していますから」
「へっ」
俺は苦笑いした。
「1日に3回か……そりゃ大変だな」
「王都の貴族層は、みんな知りたがっています。レッド様がどういう人物なのか。だから私にしつこく質問してくるのです」
「で、どう答えたんだ?」
「私は……こう答えました。『レッド様は領民には寛大で、敵には無慈悲な人です』と」
「なるほどね」
俺はもう1度苦笑いした。
「確かにそれは俺の方針だ。その答えでいい」
「はい」
「エルデ伯爵夫人とは会ったのか?」
「もちろんです。本当に隙の無いお方でした」
デイナは楽しそうな顔になる。
「あのお方は王国と王都の情勢について恐ろしいほど正確に掴んでいます」
「そうか」
「でも……何か悩みを抱えている様子でした。言葉には出さなかったけど」
「ほぉ」
俺は素直に感心した。
「よくも分かったな。彼女は……夫のことを心配している」
「夫? エルデ伯爵を?」
「ああ」
俺はお茶を少し飲んで、話を続けた。
「エルデ伯爵夫人は、俺に協力的な態度を見せている。しかし俺を心の底から支持しているわけではない。あくまでも……自分の夫の安全を守るための行動だ」
「なるほど……」
デイナが腕を組む。
「言われてみれば、確かにそういう意志を持っているようでした。大事な誰かを守りたいという……強い意志を」
「だからこそ、エルデ伯爵夫人は悩みを抱えている。もし俺が王国の頂点になった時……自分自身と自分の夫が俺に粛清されるかもしれないと」
「新しい権力者による、旧権力層の粛清……よくあることですね」
デイナが意味深に笑う。
「それで、エルデ伯爵夫婦を粛清するおつもりですか?」
「いや」
俺は首を横に振った。
「別に誰かの子息だからといって粛清するつもりは無い。俺の敵は、あくまでも俺の道を阻む者だけだ」
「……分かりました」
デイナが頷いた。
「では、エルデ伯爵夫人を説得することも出来そうですね」
「説得出来ればいいけど……まあ、仕事の話はここまでだ」
それから俺は、3人の女の子と他愛のない話をした。シェラと礼服の話をしたり、シルヴィアと庭園の話をしたり、3人の話を静かに聞いたりと……厳しい戦いから離れて、平穏な時間を楽しんだ。




