第344話.やっぱりそうだったのか
11月16日の正午……俺は宮殿の客室で、ハリス男爵と一緒に昼食を食べた。
ハリス男爵は相変わらず太った体型だが、前に比べると少し痩せている。ここ数日、宮殿の警備のために休まず仕事をしたからだろう。
「今日は男2人で腹一杯食べようじゃないか、ハリス男爵」
「はい、喜んで」
俺とハリス男爵は一緒にテーブルに座って、メイドたちが運んできた食べ物を楽しんだ。野菜スープ、豚肉ステーキ、ローストチキン、新鮮なサラダ……食後のデザートは高級ケーキだ。
「どれも本当に美味しいです」
ハリス男爵が甘いケーキを一口食べて、満足げな顔で言った。
「我が城のシェフも凄腕ですが、やはり宮殿のシェフは一味違いますな。この宮殿の主がレッドさんじゃなかったら、私が引き抜きしたかもしれません」
「そいつは困るな」
俺とハリス男爵は一緒に笑った。
「それに……この宮殿は、本当に派手です」
ハリス男爵が顔を上げて、客室の中を見回す。
「領主として働いてもう30年……いろいろな城を訪問しましたが、この宮殿の派手さには本当に驚かされました」
「同意する」
俺は頷いた。俺も領主になってからいろんな城を訪ねたが、この宮殿は桁違いだ。
「自分の泊まっている部屋にも、巨匠の名画が飾られています。ああいう名画がたくさん見られるなんて、嬉しい限りです。ただ……」
ハリス男爵の顔が少し暗くなる。
「この美しい宮殿の裏には、高官たちの腐敗と欺瞞があったと思うと……心が重くなるのも事実です」
「それも同意する」
「レッドさんがいなかったら、王都はまさに生き地獄になったはずです」
俺がいなかったら……ジャックの率いる貧民たちが暴動を起こし、警備隊と衝突しただろう。それに呼応して他の市民たちの怒りも爆発し、王都は混乱状態になったはずだ。
しかし混乱を収拾するべき財務官と法務官は、来年の春になると計画通りに海外に逃走してしまう。王都行政部はそのまま破産して……経済は崩壊する。それで市民たちの反乱は本格的になり、王都は文字通り炎に包まれる。
そしてこの一連の事件を計画した『首謀者』が、軍隊を動員して王都を制圧する。その過程で多くの市民が命を落とすだろうけど……当然『首謀者』は気にもしない。極めて冷酷なやつだ。
俺が『首謀者』について考えていると、ハリス男爵が俺の顔を注視する。
「レッドさんはこの王都の、いいえ、この王国の救世主です。私はそんなレッドさんの姿からいろいろなことを教えて頂いています」
「……教えてもらっているのは、むしろ俺の方だ」
俺は微かな笑顔で言った。
「あんたは領主になってから30年も経ったのに……今も誠実に働いている。自惚れることも無く、自分の義務を全うしている」
「私はただ……」
「財務官や法務官とはまるで違う。あんたは素晴らしい指導者だ。俺はそんなあんたを尊敬して、見習っているさ」
ハリス男爵は一瞬目を大きくしたが、その直後、豪快に笑う。
「伝説の英雄であるレッドさんからそう言われるなんて、光栄の限りです!」
「伝説の英雄ってのは、流石に買いかぶり過ぎじゃないか?」
豪快に笑うハリス男爵を見つめながら、俺も笑った。
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その日の午後、俺は王都の東南部に向かった。
王都の東南部には広大な農地がある。並大抵の都市よりも広いこの農地は『緑色の区画』と呼ばれていて、多くの農民がここで働きながら生活している。
『緑色の区画』はデイオニア川から水路で水を供給され、毎年莫大な量の農産物を生産する。その農産物は王都の人々の命綱だ。
今から80年くらい前……記録的な旱魃のせいで『緑色の区画』が機能を停止し、王都全体が食糧難に陥ったことがある。当然他の地方も同じ状況だから食糧を収入することも出来ず、数百人が餓死してしまったらしい。
あれ以来、水路の再整備などの旱魃対策が施された。しかしそれももう80年前のことだ。俺が統治者になったからには、もう1度しっかりと旱魃の対策を立てておくべきだ。
そんなことを考えながら、俺は広大な農地の見つめた。今は11月だし、ほとんどの農地は収穫済みだ。たまにブロッコリーなどの秋植えの野菜が見えるだけだ。
『緑色の区画』を通って更に東に行くと、遠くから巨大な建物が見えてくる。まるで城みたいに頑丈で、真っ暗な建物……あれが女神教の『大教会』だ。
この王都の所々には、小さな教会や礼拝党がいくつもある。しかしあれらはあくまでも支部に過ぎない。この大教会こそが……女神教の本部なのだ。
俺は護衛を連れてゆっくりと歩いて、大教会の前まで行った。そしてその巨大な建物を見上げた。
「本当に城みたいだな」
高い壁に包まれていて、監視塔みたいなものまで付いている。軍事拠点としても申し分ない構造だ。
一説によると、数百年前にこの大教会が建てられた時……女神が直接ここに降臨したという。しかし女神の顔は眩しく光っていて、誰も直視出来なかったらしい。
やがて俺は大教会の正門に近づいた。すると正門を守っていた女兵士が巨大な鉄の扉を開ける。
「ロウェイン伯爵様」
開いた扉から小柄の中年女性が出てきて、俺に挨拶する。この人が女神教の修道女長である『ロジー』さんだ。
「ご訪問頂き、ありがとうございます。では、こちらへどうぞ」
ロジーさんが笑顔で言った。しかし……彼女は明らかに俺のことを怖がっている。
もちろん俺は『赤い化け物』と呼ばれているし、人々が俺を怖がるのは普通のことだ。しかしロジーさんの恐怖は、他の人とは少し違う。俺を心の底から恐ろしいと思っているに違いない。まるで……オフィーリア・ウェンデルのように。
まさかロジーさんも俺のことを悪夢の中で見たんじゃないだろうな……と、俺は内心苦笑した。
俺はロジーさんの案内に従って、大教会に入った。そして少し驚いた。大教会の内部は……生活感に溢れていたのだ。
素朴な修道女服を着ている女性たちが、大教会の内部を忙しく行き来している。しかも彼女たちは洗濯物や食料などを運んでいる。まるで宮殿のメイドたちを見ているようだ。
ちょっと不思議な感じだ。王都アカデミーは、まるで教会みたいに厳粛な雰囲気だったのに……大教会は活気や生活感に溢れているなんて。
「申し訳ございません、伯爵様」
ロジーさんが頭を下げる。
「ここはいつも人手不足で、みんな忙しく働いております。あまり落ち着ける雰囲気ではありません」
「別にいいんだ」
俺は頷いた。
「これは俺の個人的な訪問だからな。教会のありのままの姿が見られるだけでいいんだ」
「ありがとうございます」
俺はロジーさんと一緒に教会の階段を登った。修道女たちが驚いた顔で俺の方を見つめる。それはアカデミーと同じだ。
「……この教会には、女性しかいないんだろう?」
「はい」
ロジーさんが頷く。
「支部には修道士もいますが、ここには修道女しか住んでおりません」
女神教は基本的に女性中心の宗教だ。男性の修道士もいないわけではないが、極めて少数に過ぎない。教会を守っている兵士も、全員女性だ。
普通なら……たとえ貴族でも、男性はこの大教会に個人的に訪問することは不可能だ。俺は王都の統治者だから例外だけど。
やがて俺とロジーさんは3階の中央の部屋に入った。ここがロジーさんの事務室なんだろう。部屋の壁には当然にも大きな女神の絵画が飾られていて、本棚には古い経典などがたくさん並んでいる。
俺とロジーさんは一緒にテーブルに座った。しかし……俺の巨体には、椅子が小さい。
「申し訳ございません、椅子が小さくて……」
「いいんだ」
俺は内心苦笑した。巨体の男がこの事務室に訪ねたことなど無いはずだから、仕方無い。
若い修道女が部屋に入ってきて、俺とロジーさんの前にティーカップを置く。そして俺の方をちらっと見てから、ティーカップに紅茶を注ぐ。
俺は紅茶を一口飲んだ。アカデミーのものよりも渋い。修道女たちは毎日こんな渋い紅茶を飲んでいるんだろうか。
若い修道女が部屋を出ると、ロジーさんが口を開く。
「我々女神教の教会は、ロウェイン伯爵様の統治に逆らうつもりは毛頭ございません」
俺の顔色を伺いながら、ロジーさんは緊張した声でそう言った。俺のことが本当に怖いみたいだ。
「俺も別に女神教を弾圧するつもりは無い。問題を起こさなければな」
「はい……」
「教会の財政状態はどうだ? あまり余裕は無さそうだが」
「仰る通りでございます」
ロジーさんは渋い紅茶を少し飲んで、話を続ける。
「寄付以外の直接的な収入はほとんどありません。週末教室を運営していますが、そちらも赤字になることが多いです。ただ……この教会の周辺の農地が我々の所有なので、農業をして生活を維持しています」
「修道女たちが農業もしているのか?」
「はい」
ロジーさんが恥ずかしそうに笑った。
「みんな勤勉な働き手です。私も……こう見えてももう20年以上農業に励んでおります」
ロジーさんの両手は荒れている。ちょっと不思議なことだ。この王国最大の宗教の代表が、農民たちと一緒に農業をしているなんて。
「……100年前は、国王に対抗出来るほど女神教の勢力が強かったと聞いたが」
「は、はい」
ロジーさんが目を丸くする。俺がいきなり歴史の話をするとは思わなかったんだろう。
「あの頃のことを『女神教の全盛期』と呼んでいる人もいますが……私はそうは思っておりません」
「どうしてだ?」
「権力を欲すると、どんな集団も本質を見失うからです」
そう言った直後、ロジーさんは驚いて自分の口を手で塞ぐ。
「も、申し訳ございません! 今のはロウェイン伯爵様に対する言葉ではなくて……」
「いいんだ。話を続けてくれ」
俺は笑顔を見せたが、どうやら俺の笑顔すらロジーさんには怖く見えるようだ。ロジーさんは少し戸惑ってから、やっと話を続ける。
「約100年前……我々女神教は当時の国王陛下のお怒りを買ってしまい、残酷な罰を受けました。そういう残酷な罰は……賛成しかねますが、ある意味……自業自得だったと思っております」
「自業自得? 弾圧か?」
「ある意味……そうだったのではないでしょうか」
ロジーさんはまた紅茶を少し飲んで、口を開く。
「我々はあくまでも女神の下僕に過ぎません。そんな我々が、女神の教えよりも権力を追求しようとした。だから天罰が下った。私はそう思っております」
「……王都の統治者の前だから、権力に興味が無いふりをしているだけじゃないか?」
「い、いいえ! そんな……毛頭ございません!」
ロジーさんは慌てる。いや、慌てているだけじゃない。俺のことを恐怖の目で見ている。この反応……見覚えがある。
「ロジーさん」
「は、はい!」
「あんた……『赤竜の伝承』について知っているか?」
俺の言葉に、ロジーさんは目を見開いて冷や汗をかく。
「ろ、ロウェイン伯爵様……」
「女神教の異端の伝承だ」
俺は微かに笑った。
「以前、偶然にも異端の人に会ったことがあってな。あの時会った異端の人が、今のあんたとまったく同じ反応を見せたんだ。俺のことを……『赤竜』だと思って怖がっていた」
もう2年前の話だ。異端の人である『ヘレン』さんは……今のロジーさんみたいに、俺のことを心の底から怖がっていた。
「俺は別にあんたを咎めているわけではない。異端の教理や伝承は王国法で禁じられているが……問題さえ起こさなければ、誰が何を信じたって俺にはどうでもいい」
「それは……」
「ただ個人的に興味があって、知りたいんだ。『赤竜の伝承』について」
ロジーさんは口を噤む。そして重々しい沈黙の後……彼女は頭を下げる。
「申し訳ございません、ロウェイン伯爵様。私はそういった話は聞いたことがありません」
「……そうか」
俺は内心苦笑した。ロジーさんは、これが俺の誘導尋問かもしれないと恐れている。真実を話せば、俺に『異端の伝承を信じた罪』を罰せられるかもしれないと恐れているのだ。
これでは話が進まない……そう思った俺は、話題を変えることにした。
「ロジーさん」
「はい」
「教会の週末教室のことなんだが……王都行政部の方から支援したい」
「はい?」
ロジーさんが目を丸くする。
「支援、とおっしゃいますと……」
「平民の子供に文字の読み書きを教えているんだろう? 俺はそれを支援して、もっと規模を大きくしたいんだ」
ロジーさんが疑問の表情を浮かべる。俺はニヤリとした。
「どうした? 俺が週末教室を支援することが理解出来ないのか?」
「い、いいえ……」
ロジーさんは慌てて首を振る。
「支援してくださるのなら、感謝の言葉もございません」
「そうか」
俺は頷いた。
「今すぐとは言えない。俺の方も余裕が無くてな。しかしこれは空約束ではない。俺は平民のための教育施設に興味がある」
「そうですか……」
ロジーさんはまだ驚いている様子だ。『赤い化け物』が教育施設を支援しようとしているなんて、信じられないんだろう。
「週末教室の経営状態について、報告書をまとめて俺に送ってくれ。来年の予算編成の時、可能な限り支援金を出す」
「か、かしこまりました。誠に感謝致します」
戸惑いながらも、ロジーさんは深く頭を下げる。
俺は内心ため息をついた。女神教の教会の方も、俺に逆らったりはしなさそうだ。俺のことが怖くて素直に従うだろう。何しろ修道女長のロジーさんは……俺のことを『赤竜』だと思っているに違いないから。




