第342話.王都アカデミー
王都の東部には、巨大な川が流れている。この王国の中央を北から南に通る『デイオニア川』だ。このデイオニア川のおかげで、王都とその周辺の都市は昔から水運が発達している。
近年の戦乱によって、デイオニア川の水運の規模は著しく低下している。しかしそれでも水運は王都の経済に大きな影響を与えている。
11月15日の朝、俺はデイオニア川の河川港を視察した。視察といっても、別に大したことをやるわけではない。ただ統治者として、河川港からいろんな品物が運ばれることを直接見ておきたいのだ。
貿易船がデイオニア川を進んで王都に接近すると、まず警備隊に厳重な検問を受ける。検問を通過したら『守護の壁』についている水門が開かれて、貿易船を王都の内部に招き入れる。
やがて貿易船が河川港に辿り着くと、労働者たちが急いで貨物を下ろす。そして貨物は小舟や荷馬車に載せられて、王都の各区画まで移送されるわけだ。
「貨物が多そうに見えますが……数年前と比べると3分の1にも及びません」
中年の労働者が俺に説明してくれた。
「その……伯爵様が戦乱を終わらせてくださると、みんな信じています」
労働者は俺の顔色を伺いながらそう言った。俺は頷いた。
「心配するな。俺が必ず終わらせる」
「ありがとうございます!」
労働者が何度も頭を下げる。
たくさんの人々が俺に希望を託している。『赤い化け物』が武力で混乱を鎮めてくれると、期待しているのだ。俺はそのことを改めて実感した。
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午後になり……俺は『祝福の橋』を歩いた。
『祝福の橋』は、デイオニア川を渡るために建設された巨大なアーチ状の橋だ。長さが200メートルを超えて、幅も15メートルを超える王国最大の橋でもある。
数百年前に建設されたとは信じられない頑丈な橋……本で読んだことはあるが、実際に歩いてみるとその偉容に感動してしまう。
『祝福の橋』を渡って王都の最東端に行くと、『黒色の区画』に辿り着く。ここは『王都アカデミー』が位置している区画だ。
「おい、あれを見ろ」
「まさか……」
俺が護衛を連れて歩いていると、黒服を着ている若者たちが視線を送ってくる。彼らは王都アカデミーの生徒たちだ。そもそもここが『黒色の区画』と呼ばれているのは、王都アカデミーの制式服装が黒色だからだ。
美しい公園を通って奥に進んだら、象牙色の4階建の建物が見える。あれが王都アカデミーの本館だ。本館の玄関の前には、白髪の老人が俺を待っていた。
「ロウェイン伯爵様」
老人が俺に向かって丁寧に挨拶した。この学者風の老人こそが、王都アカデミーの総長である『コリンズ』さんだ。
「王都アカデミーにご訪問頂き、誠に感謝致します。まさか伯爵様が馬車ではなく徒歩でここまでいらっしゃるとは……少々驚きました」
「祝福の橋を自分の足で歩いてみたかったのさ。それに……約束の時間には間に合っただろう?」
「はい」
コリンズさんが頷いた。
コリンズさんと一緒にアカデミーの本館に入ると、象牙色の壁に包まれた広い空間が見えた。華麗な装飾品などは一切無く、黒服の生徒たちが静かに行き来しているだけだ。まるで教会のように厳粛な雰囲気だ。
「どうぞこちらへ」
「ああ」
俺はコリンズさんの案内に従って奥に進んだ。アカデミーの生徒たちは俺の姿を見て立ち止まり、息を殺して注視してくる。噂の『赤い化け物』の姿に驚いているようだ。
ところで、その時……1人の若い生徒が俺に向かって大声で叫んだ。
「平民の成り上がりのくせに偉そうだな!」
その一言に、コリンズさんの顔から血の気が引く。いや、コリンズさんだけではない。他の生徒たちも顔を青ざめる。
俺に向かって叫んだ若い生徒は、周りの反応に慌てる。自分がそう叫ぶと、周りが呼応してくれると思っていたんだろう。俺は苦笑してから……若い生徒に近づいた。
「お前、名前は何だ?」
「ぼ、僕は……『ジェフリー』だ」
若い生徒が震える声で答えた。俺は「なるほど」と頷いた。
「お前、ゲイル男爵家の一員だな?」
「どうしてそれを……」
「先日、お前の親から手紙をもらったのさ。その手紙には……『息子のジェフリーがアカデミーに通っております。どうかよろしくお願い致します』と書かれていた」
「そんな……」
ジェフリーが目を丸くする。俺は彼の肩を軽く掴んだ。
「親を悲しませるな、ジェフリー」
そう言い残して、俺はコリンズさんと共にその場を去った。
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総長室に入るやいなや、コリンズさんが俺に何度も頭を下げた。
「どうか生徒のご無礼をお許しください、伯爵様。この件は私の不注意で……」
「別にいいんだ」
俺は笑った。
「確かに軽率な行動だったけど、あれくらいは活気があっていいじゃないか」
「……心遣い、感謝致します」
コリンズさんが冷や汗をかく。生徒の軽率な行動のおかげで、俺に借りができてしまったのだ。ちょっと不憫なことだ。
俺とコリンズさんがテーブルに座ると、使用人が紅茶を持ってきた。俺たちは一緒に紅茶を飲みながら、アカデミーの経営状態について話した。
「現在、このアカデミーは王都の有力者たちの寄付に頼っております。しかし戦乱のせいで寄付も減少しておりまして……」
「アカデミーは5年前の火事で大きな損害を受けたからな。王都行政部が支援したとはいえ、まだまだ厳しい状況なんだろう」
「ご存知ですか?」
コリンズさんが目を丸くした。俺は軽く頷いた。
「過去10年間の税金の流れは、報告書を読んで把握している」
「それは……素晴らしいことですね」
コリンズさんが大きく頷く。まさか『赤い化け物』が誠実に報告書を読んでいたとは、思ってもいなかったんだろう。
「残念だけど、今のどころは俺の方も余裕が無い。王都行政部の財政状態が最悪なのでな。でも……状況が好転したら、来年からは支援を再開出来ると思う」
「誠にありがたきお言葉です」
「アカデミーは王国最大の学術機関だからな。知識は力だし……俺もその重要性は知っているさ」
コリンズさんの顔が明るくなる。
それからしばらく、俺とコリンズさんはアカデミーの歴史や業績などについて話し合った。コリンズさんは堅苦しい態度を崩して、俺との会話を楽しんだ。
「……ところで、コリンズさん」
「はい」
「このアカデミーは、基本的に貴族の子息しか入学出來ないんだろう?」
「はい、その通りです。貴族家の推薦状が無いと入学出来ません」
「じゃ、もし俺が……平民のための教育施設を設立したらどうなると思うんだ?」
「平民のための教育施設ですか……」
コリンズさんはしばらく考えてから口を開く。
「悪くないかもしれません。個人教師を雇えるほどの余裕が無いと、平民は女神教の教会で基本的な教育を受けるしかありませんが……教会の教育は限界がありますからね。平民の人材を養成するためには、もっと専門的な教育施設が必要でしょう」
「そうか」
「しかし……混乱を招く恐れがあると思います。伯爵様の仰った通り、知識は力です。平民が力を付けると、その、社会秩序が乱れる恐れがあります」
「なるほど」
俺は頷いた。
「じゃ、これは個人的な質問だが……『アンセル』という生徒のことを覚えているか?」
「アンセル……」
コリンズさんは顎に手を当ててじっくり考える。そして数秒後、笑顔で手を叩く。
「あ……思い出しました! 5年前に王都から追放された生徒ですね!」
「彼について何か知っているか?」
「いいえ、残念ながら……」
コリンズさんが首を横に振る。
「彼が化学部で危険な実験をしたことが発覚し、追放されたことは存じております。ですが……当時の化学部の担当教授が行方不明になり、火事で関連記録も消失しまして……詳細な報告書も作成されておらず、私も詳細は存じません」
「そうか」
「ただ……1度だけ、彼を大図書館で目撃したことがあります。物静かな雰囲気の生徒でしたが……執念深い目をしていました」
「なるほど」
俺はゆっくりと頷いた。
その後、俺はコリンズさんともう少し話してからアカデミーを出た。コリンズさんの態度からして、アカデミーの方は心配しなくても良さそうだ。




