第338話.伯爵夫婦
翌日の午後……俺は宮殿の衣装室で服の寸法を測った。新しい礼服を裁断するためだ。
現在、俺は宮殿に保管されていた礼服の中で1番大きなものを着ている。しかしこれすら俺にはちょっと小さい。これから礼服を着ることが多いだろうし、俺用の礼服を複数用意しておくべきだ。
メイド長が見ている中、数人のメイドが木製定規で俺の体のあちこちを測る。俺は彼女たちが作業を終えるまで静かに待った。
「お待たせしました、伯爵様」
数分後、メイド長がそう言った。やっと測り終わったのだ。
「伯爵様の新しい礼服の裁断には、2週かかると存じます」
「2週もかかるのか」
「はい、最高級シルクで裁断しなければなりませんから」
俺としては別に最高級じゃなくても構わないけど……まあ、仕方ない。
「分かった、頼む」
俺は衣装室を出て会議室に向かった。会議室では2人の女性が俺を待っていた。白猫と鳩さんだ。
「もう任務を終えたのか?」
俺が聞くと、白猫が首を横に振る。
「ううん、中間報告に来ただけよ」
「じゃ、何か情報を掴んだのか?」
「情報というか……噂を掴んだわ」
白猫が笑顔で説明を始める。
「私たちは密かに活動中の情報屋と連絡を取って、エルデ伯爵夫人に関するいろんな話を聞いたの。その中にちょっと気になる噂があってね」
「どういう噂だ?」
「エルデ伯爵夫人と、彼女の父親であるアルデイラ公爵の不仲説よ」
その言葉を聞いて、俺は少し驚いた。
「父親との不仲説か……」
「うん」
白猫が鋭い目つきで話を続ける。
「周知の通り……王都の貴族層は中立の立場を保っていて、どの公爵の味方もしていないわ。でも戦乱が長引くに連れて、一部の貴族がこう主張したみたい。『1日でも早く戦乱を終わらせるためには、中立を捨てて誰かの味方をするべき』とね」
「なるほど」
「それで貴族の間に口論が起きると、みんなエルデ伯爵夫人に注目したらしい。何しろ彼女が貴族層の代表的な人物だし……アルデイラ公爵の長女だから」
白猫がニヤリとする。
「貴族たちは、『エルデ伯爵夫人は父親のアルデイラ公爵の味方をしようとするはずだ』と予想した。でも実際は違ったの。昨年、彼女はあるパーティーで『中立を貫くべき』と強く主張したわ。それで王都の貴族層は中立のままになったわけ」
「……なるほど、だから不仲説があるのか」
俺は頷いた。
「確かに妙な話だな。エルデ伯爵夫人はその気になれば……貴族層を動かせて、父親のアルデイラ公爵を支援することだって出来たはずだ。それなのに彼女は中立を強く主張したのか」
「本当に不仲かどうかは分からないけどね。何か企んでいるのかもしれないし」
「じゃ、そこからは俺が直接調べよう」
俺がそう言うと、白猫が首を傾げる。
「レッド君が直接?」
「ああ、実は……今日の夕食は、エルデ伯爵夫人と一緒に食べることにしたんだ」
俺は招待状のことを白猫と鳩さんに話した。
「この折に招待って……罠なんじゃない?」
「確かにその可能性はある」
俺は素直に認めた。
「もしかしたら、エルデ伯爵夫人が例の『青髪の幽霊』の雇い主かもしれないしな」
「本当にそうだったら危ないわよ。私と鳩お姉さんが一緒に行った方が……」
「いや、ここは俺1人でいいんだ」
俺は首を横に振った。
「たぶんエルデ伯爵夫人は、俺のことを1対1で観察するつもりだ。俺がどういう人間なのか知りたいんだろう。しかし逆に言えば、俺も彼女を1対1で観察できる。何を企んでいるのか探ってやるさ」
「……本当にレッド君は無謀というか、無茶だよね」
白猫がため息をつくと、鳩さんが口を開く。
「では、私と白猫がエルデ伯爵夫人の屋敷の周りを監視します。もし頭領様に何かあったら、すぐ援護できるように」
「分かった」
俺は鳩さんの提案に頷いた。これで今日の作戦が決まった。
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時間が経過し、窓の外が暗くなる。夕食の時間……いや、作戦の時間だ。
俺は書類仕事を終えて、会議室を出た。そして広い階段を降りて、宮殿を出た。
「伯爵様」
宮殿の外には、十数人の衛兵と高級な馬車が待機していた。俺が馬車に乗ると、馬車の御者が手綱を操る。それで馬車は走り出し、東に向かう。
宮殿の位置する『金色の区画』の東には、『白色の区画』がある。ここは貴族たちの屋敷が並んでいる区画だ。屋敷はどれも巨大で、頑丈な壁によって守られている。
俺は馬車の窓を通じて『白色の区画』を眺めた。通行人はほとんどいない。貴族たちの私兵が見回りをしているだけだ。街は綺麗で広くて……『灰色の区画』の貧民街とは真逆だ。
やがて馬車がある屋敷の前で止まった。俺は馬車から降りて屋敷を見つめた。まるで小さな要塞みたいに大きな屋敷だ。鉄格子の正門の向こうには、美しい庭園が広がっている。
シェラの父親であるロベルトの屋敷もこんな感じだった。しかしロベルトの屋敷と比べても、こちらの方が格段に大きい。
俺が正門に近づくと、私兵たちが丁寧に頭を下げて門を開ける。俺はそのまま正門を通って、屋敷の庭園に向かった。
「ロウェイン伯爵様」
前方から青色のドレスを着ている女性が現れて、深々と頭を下げる。黒髪の妖艶な美人……この屋敷の主であるエルデ伯爵夫人が、直接迎えに来たのだ。
「この屋敷にご訪問頂き、感謝致します」
エルデ伯爵夫人は笑顔でそう言った。
「細やかですが、お食事を用意しております。どうぞこちらへ」
「ああ」
俺はエルデ伯爵夫人の案内従い、庭園を抜け出して屋敷の内部に入った。
屋敷の内部は真っ白だ。壁も床も白くて綺麗だ。所々に大理石の彫刻などが置いてあるけど、貴族の屋敷としては素朴な方だ。
俺はエルデ伯爵夫人と一緒に真っ白な廊下を歩いた。数人のメイドたちが俺たちの後ろを歩く。
「実は……」
ふとエルデ伯爵夫人が口を開いた。
「今日のお食事会で、私はロウェイン伯爵様と2人で相談したいと思っておりました。しかし私の夫が、どうしても自分も参加したいと言い出しまして」
「エルデ伯爵が?」
「はい。大変失礼ですが、夫を参加させてもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ」
俺は軽く頷いた。今日はエルデ伯爵夫人を観察するつもりだったけど……夫のエルデ伯爵について知っておくのもいいだろう。
やがて俺とエルデ伯爵夫人は広い食堂に入った。食堂の中には大きなテーブルがあり、テーブルの上には多数のロウソクが光っていた。
「どうぞお座りになってください」
「ああ」
俺が真ん中の席に座った時、誰かが食堂に入ってきた。それは……体格のいい使用人だ。しかもその使用人は……若い男を背負っている。
「ロウェイン伯爵様。こちらが私の夫、エルデ伯爵です」
エルデ伯爵夫人が、使用人に背負われている若い男を指した。すると若い男が笑顔を見せる。
「申し訳ございません、ロウェイン伯爵様。私は両足が使えなくて、移動する時はこうして背負われています」
背負われている若い男……エルデ伯爵がそう言った。
エルデ伯爵は俺に向かってペコリと頭を下げてから、使用人に指示を出す。
「私をロウェイン伯爵様の向かい席に座らせてくれ」
使用人が指示に従って、エルデ伯爵を席に座らせる。エルデ伯爵夫人も夫の隣の席に座る。
「ご訪問頂いて、本当にありがとうございます。ロウェイン伯爵様」
エルデ伯爵は嬉しそうな笑顔で言った。
「招待してくれてありがとう。それに……同じ伯爵だから、気軽に話してくれ」
「いえいえ」
エルデ伯爵は笑顔のまま首を横に振る。
「私は伯爵といえど、名ばかりです。それに対してロウェイン伯爵様は王都の統治者であり……英雄ですから」
「英雄? 俺が?」
「はい!」
エルデ伯爵は強く頷いた。
「実は、結構以前からロウェイン伯爵様に関する噂をお聞きしまして……その、本当に驚きました! こういう英雄が私と同じ時代に生きているなんて!」
エルデ伯爵が目を輝かせる。ちょっと面白い人だな、と俺は内心思った。
俺はもう1度エルデ伯爵夫婦を眺めた。まるで少年みたいに、嬉しい笑顔を見せているエルデ伯爵と……隙の無い妖艶な美人のエルデ伯爵夫人。夫婦なのに雰囲気がまるで違う。
食堂の扉が開かれ、メイドたちが食べ物を運んできた。それで俺とエルデ伯爵夫婦の食事会が始まった。




