第329話.流れは…
少し休憩を取ってから、俺と白猫と鳩さんは『立会人』の本拠地を出た。そして西への道を歩いた。ビンスの話によると……貧民たちの集会の場所は西にある。
「それにしても……本当に長い1日だわ」
道の途中、ふと白猫が言った。
「レッド君と一緒に王都に潜入して、情報を集めて、吟遊詩人を懲らしめて、鳩お姉さんと再会して、犯罪組織の本拠地に踏み込んで……最後は秘密集会の場所にまで行くことになるなんて」
「いや、これが最後になるかどうかはまだ分からない」
俺がそう答えると、白猫がペロッと舌を出す。
「流石に勘弁して欲しいわ。『夜の狩人』が暗殺組織だった頃も、ここまで厳しい日程は無かったのよ」
「でもおかげでどうにかできたさ」
俺は『銅色の区画』の風景をちらっと見た。まだ午後3時くらいなのに通行人が少ない。朝の勢いはどこかに消えてしまったのだ。確かにこれは……大都市にしてはあまりにも閑散だ。
「……あの4人組、つまり『青髪の幽霊』を撃滅することはできなかった。でもやつらの雇い主である『首謀者』の陰謀を暴くことはできた。そしてまだ機会があることも分かった」
俺は視線を正面に戻した。
「貧民たちの暴動を止めて、『首謀者』の陰謀を阻止する。俺たちには……まだ機会がある」
「でも……本当に止められるのかな? 暴動を」
白猫が小さな声で言った。
「貧民たちって、仲間が無実の罪を着せられて処刑されたんでしょう? そんな彼らの怒りを鎮めることは……流石のレッド君にも難しいと思うけど」
「怒りを鎮めることは、俺にも不可能さ」
「え……?」
白猫が目を見開く。
「じゃ、どうやって……?」
「心配するな」
俺はニヤリとした。
「怒りを鎮めることは不可能でも、流れを変えることは可能さ」
俺の言葉を聞いて、白猫がふふっと笑う。
「不思議だよね。どんなに悪い状況になっても、レッド君ならどうにかしてくれそうだわ」
「ああ、任せろ」
俺も笑顔を見せた。
やがて俺たちは『銅色の区画』から離れて、もっと西へ……巨大な『守護の壁』の下に辿り着いた。
「暗いな」
ここは巨大な防壁のせいで日当たりが悪く、昼にも暗い。しかしここにも建物が並んでいる。主に小さな倉庫や、誰も住んでいない民家だ。
そして1軒の民家の前に……若い男が立っている。棍棒を携帯している男だ。『立会人』の組織員に違いない。
俺たちが近づくと、若い組織員が緊張した顔で話しかけてくる。
「あ、あの……ロウェイン伯爵様でいらっしゃいますか?」
「ああ、俺がレッドだ」
俺が覆面をしたまま答えると、若い組織員は急いで頭を下げる。
「うちのボスから話は聞いております! では……ご案内致します!」
「ありがとう」
若い組織員は注意深く周りを確認してから、後ろの民家に入る。俺たちも彼を追って民家に入った。
何の特徴も無い、ただの民家……しかし床の隅に、錆びた鉄板の扉がある。
「ここです」
若い組織員が鉄板の扉を開く。
「この下は……単なる地下室ではありません。秘密の……地下礼拝堂です」
「地下礼拝堂か……」
俺は小さく呟いた。
今から約100年前、『女神教』が弾圧を受けていた頃……女神教の信者たちは、密かに地下礼拝堂を作って自らの信仰を守った。そしてもちろん女神教の総本山であるこの王都にも……地下礼拝堂があるのだ。
ビンスの率いる『立会人』はこの地下礼拝堂を偶然見つけて、秘密倉庫として使ってきたらしい。そして現在は……貧民たちが集会の場所として使っているわけだ。
「自分が地下礼拝堂までご案内致しますが……注意してください。この下にいる連中は……危険です」
若い組織員が強張った顔で言った。
「分かった。では、案内を続けてくれ」
「はい」
若い組織員はランタンを手にして地下への入り口に入る。俺たちも1列に並んで、暗い入り口に入った。
しばらく階段を降りると、広い地下通路が現れる。南の都市の隠し通路とほぼ同じだが……いくつか別れ道がある。
「ここで道に迷ったら大変です」
若い組織員が言った。たぶんこの地下通路は、王都のあらゆるところに繋がっていて、最終的には地下礼拝堂に集まるんだろう。
真っ暗な通路を15分くらい歩いて、俺たちは大きな扉の前に辿り着いた。
「ここが地下礼拝堂です。ここで……集会を開いています」
若い組織員が強張って顔で言った。
扉の向こうから、人の話し声が聞こえてくる。俺はそっと扉を開いて地下礼拝堂に入った。
地下礼拝堂は……相当広かった。数百人を収容できる空間が地下にあったのだ。そして壁には松明やランタンが掛けられていて、割りと明るい。
その広い空間の中央に、約100人が集まっている。ほとんどが若い男たちだ。彼らは……真ん中の壇上に立っている、長身の男を見つめている。
「……俺たちの決起の時が近い!」
長身の男が叫んだ。
「俺たちは反撃するんだ! 腐った官吏たちに……貴族共に!」
長身の男の言葉に、周りの人々が呼応する。
「殺せ! 殺せ!」
「仇を取ってやる! 仲間の仇を!」
貧民たちは怒りに満ちて大声を出す。今すぐにでも暴動を起こす勢いだ。
たぶん壇上の上の男が『ジャック』なんだろう。貧民でありながら、人々を集める力を持っている人間だ。
「俺たちはずっと耐えてきた! 軽蔑の眼差しにも、重い税金にも!」
ジャックが拳を掲げて演説を続ける。
「しかし官吏の野郎共は、そんな俺たちから奪い続けた! 俺たちが黙って従っているから、好き勝手に何もかも奪いやがった!」
ジャックの顔も、他の皆の顔も怒りに満ちている。
「俺たちの仲間は、官吏たちに平和的に抗議した。でもその結果は何だ!? みんな処刑されて、今も彼らの死体が塔にぶら下がっている!」
ジャックの声が少し震える。たぶん……彼の親友も殺されたんだろう。
「俺たちにはもう何も失うものがない! だからこそ行動しなければならない! 官吏共と、その犬の警備隊のやつらを……1人でも多く道連れにしなければならない!」
ジャックが更に激昂する。
「貴族共が俺たちを反逆者扱いするんなら、反逆者になってやる! この腐った王都を破壊して、俺たちの意地を見せてやる! それこそが……俺たちに残った最後の手段だ!」
ジャックの演説が貧民たちの怒りに火を付ける。ある意味……貧民のままにしておくには惜しい人材だ。
「これは……本当にやばいわね」
白猫が呟いた。
「たとえここにいる全員が逮捕されても……更に大きな暴動を誘発するだけ。これは……もう止める術が無いのかもしれない」
「心配するな、と言っただろう?」
俺はニヤリと笑った。
「2人はここで待っていてくれ」
白猫と鳩さんを残して、俺は1人で貧民たちの群れに向かった。そして……壇上に上がった。
「な、何だ……貴様は!?」
『覆面で顔を隠している巨漢』の出現に、ジャックが驚く。
「どうやってここまで来た!? ここは貴様みたいなやつが…」
慌てているジャックを見つめながら、俺は無言で覆面を外した。
「あ、あ、あんたは……」
俺の素顔を見て、ジャックが驚愕する。ジャックだけではなく、周りの貧民たちも言葉を失う。
「まさか……レッド……」
「そう、俺がレッド・ロウェイン……『赤い化け物』だ」
俺が自己紹介すると、貧民たちがざわめく。
「どうしてあんたが、こんなところに……まさか……」
ジャックは敵意の眼差しで俺を見つめる。
「あんたも貴族の1人だから……俺たちの集会を潰しに来たんだろう!?」
「へっ」
俺は失笑してから、ジャックの肩を掴んだ。
「俺の顔をよく見ろ、ジャック。俺が……普通の貴族に見えるか?」
「うっ……」
ジャックは俺の気迫に圧倒され、黙り込んでしまう。
俺はジャックの肩を放して、周りを見渡した。貧民たちは全員息を殺して、俺を見つめている。
「よく聞け」
俺は声を上げた。
「お前たちの怒りは……正当だ」
その言葉を聞いて、貧民たちはもう1度驚愕する。まさか伯爵の俺からそう言われるとは、思ってもいなかったんだろう。
「お前たちはずっと苦しんできた。力を持っている連中からずっと奪われてきた。その痛みと怒り……俺は分かっている。貧民だった頃、俺もずっと味わった気持ちだ」
ジャックと貧民たちは、驚いた顔で俺の声に集中する。
「市民たちに税金を納める義務があるように、官吏たちには市民を保護する義務がある。しかし官吏たちは、お前たちの苦しみなんか少しも考えていない。何故か分かるか? お前たちが黙って従ってきたからだ」
俺は貧民たち1人1人の顔を見つめた。
「さっきジャックが言った通りだ。黙って従っていては、いつまでもやられっぱなしだ。反撃しなければ、いつもまでもやられっぱなしだ」
「あんたは一体……」
ジャックが目を丸くする。目の前の光景が信じられないんだろう。
「反撃して、連中に教えてやるべきだ。俺たちも感情を持っているということを、怒りを持っているということを、いつまでも弱者ではないということを。人間として認められるために、力を示すべきなのだ」
地下礼拝堂の中に俺の声が響き渡る。ここにいる全員の目が、俺に釘付けになっている。
「しかし」
俺はもう1度口を開いた。
「お前たちの方法は間違っている」
その言葉に、貧民たちが目を見開く。
「たとえお前たちが暴動を起こしたところで……死ぬのはお前たちと警備隊だけだ。官吏たちの首にまでは届かない。そして官吏たちとしては……貧民や警備隊が何人か死んだところで、痛くも痒くもない。状況は何も変わらない。仲間の仇も取れない」
「それは……仕方ないじゃないか!」
隣からジャックが叫んだ。
「知っているさ、俺たちに力が無いってことくらい……! それでも……仕方がないんだ! 他に方法が無いんだ……!」
「他の方法はある。俺がここに来たのは……そのためだ」
俺はもう1度、貧民たち1人1人の顔を見つめた。
「今日からお前たちは……俺の兵士になれ」
その宣言に、みんなもう1度驚愕する。
「あ、あんたの兵士に……?」
「そうだ、俺の……『ロウェイン伯爵』の兵士になるんだ」
俺はジャックに向かって頷いた。
「俺はこの王都をひっくり返すつもりだ。嫌なやつらをぶっ潰して、戦乱を終わらせて、新たな秩序を立てるつもりだ。その道に……お前たちも力を貸せ」
貧民たちがざわめく。ジャックも信じられないと言わんばかりの顔をしている。
「俺たちが……あんたの兵士に? 正規軍に?」
「そうだ」
俺はニヤリと笑った。
「俺の軍隊は、訓練は厳しいけど待遇がいい。もう貧困な生活に苦しむ必要も無いし、手柄を立てれば出世することもできる」
周りの全員は、驚愕しながらも興奮する。彼らが今まで忘れていた希望が……見えてきたからだ。
「戦いたいなら、『反逆者』として戦うな。『ロウェイン伯爵の正規軍』として戦え。俺と一緒に戦え。そうすれば……この状況を変えられる。仲間の仇も取れる」
「あ、あんたが本当に……やってくれるというのか?」
ジャックが興奮した顔で聞いてきた。俺は笑顔を見せた。
「俺の噂を聞いたこと無いのか? 俺は『赤い化け物』だ。ぶっ潰すと宣言したら、必ずぶっ潰してきた。つい先日の戦闘では、2人の公爵もぶっ潰した」
ジャックはと戸惑いながらも、期待のこもった表情をしている。俺はそんなジャックに1歩近づいた。
「ジャック」
「は……はい」
「お前、文字の読み書きは出来るか?」
「はい……難しい言葉は読めませんが」
「それで十分だ。羽ペンと紙は持っているか?」
「その……ここの倉庫にあるはずです」
「そうか」
俺は頷いた。
「羽ペンと紙を持ってきて、ここにいる全員の名前を記録しろ。そして1番上にはこう書いておけ。『ロウェイン伯爵の兵士名簿』と」
「ほ、本当に……」
「さっさとやれ。お前は今日から部隊長だ」
「……はい!」
ジャックは地下礼拝堂から出て、通路を走る。
「お前たち」
俺は残りの全員を見つめた。
「ジャックが戻ってきたら、彼に名前を言った後……解散しろ。そして明日の朝、もう1度ここに来い。俺がお前たちを……全員連れて行ってやる」
俺の宣言に、貧民たちは「は、はい!」と答えながら頭を下げる。もう彼らは……俺のことを自分たちの総大将だと思っている。
俺は壇上から降りて、白猫と鳩さんに近づいた。
「どうだ、流れが変わっただろう?」
「信じられない……」
白猫が驚いた顔で首を振った。
「レッド君って一体……」
「そんな驚くことはないさ。これが俺の役目だっただけだ」
俺は無表情で言った。
「さて、俺たちも今日はもう休もう。明日も……また一仕事あるからな」
「うん」
俺と白猫と鳩さんは、一緒に地下礼拝堂から出た。




