第328話.大きな流れ
「ふう……」
隣から白猫がため息をつく。
「悔しいわね……あの連中をやっつける機会だったのに」
「まあな」
俺は軽く頷いた。
「俺も悔しい気持ちは同じだ。でも過ぎたことは仕方ない。目の前のことに集中しよう」
「うん、そうだね」
白猫も頷く。
俺たちは暗殺者の遺体に近づいて、調査を始めた。何か手がかりが得られるかもしれない。
暗殺者の所持品は……どれもありふれたものだ。覆面も、黒ずくめの服も、長剣も短剣も……出処の特定が出来ない、安物ばかりだ。こんな凄腕の暗殺者が、こんな安物ばかり使っているなんて……本当に周到なやつらだ。
「……これだけじゃ何も分からないわ」
白猫がそう言うと、鳩さんも首を横に振った。彼女たちの知識を持ってしても、何の手がかりも見つからないのだ。
「なら……」
なら覆面の中の素顔を確認するしかない。俺は手を伸ばして、暗殺者の覆面を外した。
「……若いな」
覆面の中の素顔は……若かった。せいぜい20代前半……ちょうど白猫と同年代の男だ。
痩せた顔と短い黒髪の若い男。別に目立つ特徴も無く、普通の青年に見える。
「どうだ、見覚えがあるか?」
俺が聞くと、白猫と鳩さんが同時に首を振った。
「そうか……仕方ないな」
4人組の暗殺者は、自分たちの正体を徹底的に隠している。顔を知っている人は……たぶんいないだろう。
「……ん?」
暗殺者の顔を眺めている途中、ふと小さな違和感を覚えた。違和感は……暗殺者の髪の毛からした。一見普通の黒髪に見えるけど、奥には……。
「青髪?」
暗殺者の黒髪の奥には……青色の髪の毛がある。数本だけだけど、本当に青色だ。
「かつらでもないのに、青髪だなんて……初めて見たな」
「青髪……じゃ、もしかして……」
鳩さんが小さな声で呟いた。俺は鳩さんの方を振り向いた。
「何か知っているのか? 鳩さん」
「知っている、というほどではありませんが……心当たりがあります」
鳩さんが視線を落とす。記憶を思い出そうとしているようだ。
「以前、聞いたことがあります。『青髪の幽霊』について」
「『青髪の幽霊』?」
俺が反問した時、周りから大量の足音が聞こえてきた。そして数秒後……屈強な男たちが現れて、俺たちを包囲する。
「『立会人』の組織員たちか」
騒動に気づいて、本拠地内の組織員たちが集まったんだろう。彼らは全員険悪な顔をしている。
「おい、あんたら」
『立会人』の1人が口を開いた。
「俺たちのボスに何をした?」
組織員たちはもう喧嘩腰だ。これは……面倒くさくなった。
「困ったわね」
白猫も苦笑いする。
「ビンスをやったのはイアンだけど、信じてもらえそうにないわ」
「仕方ないさ。強行突破する」
「はい、はい」
今はこいつらに構っている暇はない。すぐ片付けてやる。
『立会人』の組織員たちが棍棒を構えて、俺たちも戦闘態勢に入った。鳩さんも護身用の細剣を構える。
「待て、こらぁ!」
しかし両者が激突しようとする瞬間、誰かが怒鳴った。
「ボ、ボス……」
『立会人』の組織員たちが驚いて動きを止める。怒鳴ったのは、彼らのボスであるビンスだったのだ。
「ロウェイン伯爵様は俺の恩人の方だ! 無礼な真似するやつは許さんぞ!」
ビンスは布で横腹の傷口を抑えたまま、険悪な顔で怒鳴った。それで『立会人』の全員が武器を下ろす。
「イアンの野郎が裏切った! 早くやつを探し出せ!」
「ふ、副ボスが……?」
「さっさと動け! 何やってるんだ!?」
「は……はい!」
ビンスの指示を受けて、『立会人』の全員が動き出す。暗殺者の遺体も、彼らが片付ける。ビンスは……それなりに指導力のあるボスのようだ。
「ロウェイン伯爵様」
ビンスが俺に近づいて頭を下げる。
「申し訳ございません! 部下たちがまた失礼なことをしてしまいました!」
「別にいいんだ」
俺は苦笑いした。
「しかし……大丈夫か? 傷が浅くないみたいだが」
「大丈夫です! 私は頑丈な体が売りですから!」
ビンスは笑顔で言ったが、その直後、「痛たたた……」と小さな悲鳴を上げる。
「私が手当てします」
鳩さんが言った。
「部屋を貸して頂けますでしょうか?」
「あ、はい!」
ビンスが慌てて頷いた。美人には弱いようだ。
「じゃ、俺が肩を貸してやる」
俺はビンスに近寄って、彼を支えた。
「あ……ありがとうございます! 伯爵様!」
ビンスは驚いた顔になる。
「伯爵様は……普通の貴族とは違いますね」
「俺が普通の貴族に見えるか?」
俺はニヤリと笑った。
「それに、感謝される筋合いは無い。あんたにはまだいろいろと聞きたいことがあるだけだ」
「はい、分かりました」
ビンスもニヤリと笑った。そして俺たちは一緒に歩いてその場を去った。
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『立会人』の本拠地の隅には、広いベッド室がある。ボスであるビンスのベッド室だ。俺たちはそこに入って、ビンスをベッドの上に寝かせた。
「では手当てを始めます。少し我慢してください」
鳩さんは上着のポケットから薬と包帯を取り出して、慣れた手つきで手当てを始める。まるで医者や看護師みたいだ。
「ありがとうございます」
手当てが終わると、ビンスが笑顔を見せる。
「こんな美人の方に治療してもらえるなんて、今日は運がいいのか悪いのか……」
「たぶん悪い方だと思います。命に別条はありませんが、しばらくは注意してください」
鳩さんも笑顔で答えた。
俺は鳩さんに近づいた。
「鳩さん」
「はい、頭領様」
「さっき『青髪の幽霊』と言ったな。それについて説明してくれ」
「かしこまりました」
鳩さんは頷いてから、説明を始める。
「数年前……私は『ルケリア王国』から来た行商人と話したことがあります。
「『ルケリア王国』か」
『ルケリア王国』は、ここ『ウルペリア王国』の東に位置する国だ。昔から軍事強国として有名で……17年前にはこの王国に戦争を仕掛けてきて、約1年間激しく戦ったこともある。
「あの行商人から、ルケリア王国に流れている密かな噂をいろいろ聞きました。その中の1つが……『青髪の幽霊』でした」
俺と白猫、そしてビンスも鳩さんの柔らかい声に耳を傾ける。
「30年くらい前、ルケリア王国では高官が暗殺されることが多発しました。しかしいくら調査しても犯人を特定することができず、人々は『幽霊の仕業だ』と噂するようになりました」
鳩さんは少し間を置いて、話を再開する。
「ところで……ある王族の暗殺の現場から、偶然にも手がかりが見つかったのです。それは……1本の青色の髪の毛でした」
「なるほど、だから『青髪の幽霊』と呼ばれるようになったのか」
「はい」
鳩さんが頷いた。
「それからも『青髪の幽霊』の仕業に見える事件が起こりましたが……結局彼らの実体を掴むことはできなかったそうです。だから、もしルケリア王国で髪の毛の青い人に出会ったら……注意した方がいいと、行商人は言いました」
「面白い話だな」
俺は腕を組んだ。
「つまり……やつらは『伝説の暗殺組織』ということだな? まるで……」
「まるで私たちみたいだね」
白猫が口を挟んだ。
俺は内心頷いた。今はビンスが聞いているから、『夜の狩人』という名は出さなかったけど……本当に似ている。『青髪の幽霊』と『夜の狩人』は。
実体の掴めない、伝説の暗殺組織……そんなものが隣の国にもあったのか。
「確かにあの4人組……いや、もう3人組か。あいつらがその『青髪の幽霊』である可能性はあるな」
「私は十中八九そうだと思うわ」
白猫がはっきり言った。
「あんな凄い腕の暗殺者は決して多くないわよ。そして凄い腕の暗殺者を専門的に養成する組織も、決して多くない」
「そうだな」
俺は頷いてから、ビンスの方を見つめた。
「ビンス、あんたはあの黒ずくめの男たちについて何か知らないのか?」
「申し訳ございませんが……正直よく知っていません。あの連中はイアンが連れてきましたから……」
ビンスがため息をつく。
「今年の春……イアンが手紙と大金を持ってきました。イアンはそれがウェンデル公爵様からもらったものだと説明しました」
「手紙には『暴動計画』が書かれていたんだな?」
「はい。そして計画を手伝ったら、お前の地位を保証してやると……書かれていました」
ビンスが視線を落とす。
「もちろん王都で暴動が起きたら、大変なことになるかもしれません。でもイアンは『私たちが生き残るためには、計画に従うしかない』と言いました。だから……協力することにしました」
ビンスは顔を上げて俺を見つめる。
「でも……伯爵様は、あの手紙がウェンデル公爵様からのものじゃないとおっしゃいましたよね。一体どういうことですか?」
「その答えは簡単だ」
俺は冷たく言った。
「暴動を起こした罪を、ウェンデル公爵に擦り付けるための下準備だ」
「罪を擦り付ける……?」
「ああ」
俺は腕を組んで説明を続けた。
「暴動が起きたら、あんたはイアンの密告によって警備隊に逮捕されるだろう。そして逮捕されたあんたは裁判でこう証言するはずだ。『暴動はウェンデル公爵様の指示で起こしました』と」
「じゃ……私は最初からイアンに利用されていたんですか?」
「そうだ」
俺が即答すると、ビンスは苦しい顔になる。
「私は……頭があまり良くなくて、イアンに仕事を任せていました。でもまさかこんな形で裏切られるとは……」
「部下を信頼するのはいいけど、ちゃんと確認を取るべきだ」
「はい……」
ビンスは苦悩のため息をついてから、また俺を見つめる。
「でも……何の意味があるんでしょうか? 私を利用して、ウェンデル公爵様に罪を擦り付けることに……何の意味が……?」
「それも簡単だ」
俺はまた即答した。
「この王都は現在、中立の立場だ。どの公爵の味方もしていない。しかし『ウェンデル公爵がわざと暴動を起こした』という噂が広まったら……ウェンデル公爵は王都の敵となる」
白猫と鳩さんとビンスは、声を殺して俺の話を聞く。
「そして暴動計画の『首謀者』は、王都の官吏たちにこう言うだろう。『私がお前たちをウェンデル公爵の魔の手から保護してやる』と。順調に行けば……首謀者は戦闘せずにこの王都を手に入れられる」
「じゃ、やっぱり……」
白猫が俺を直視する。
「『首謀者』は……アルデイラ公爵とコリント女公爵のどちらかなんだね?」
「ああ、そうだ」
俺は皆の顔を見渡した。
「官吏たちの腐敗も、貧民たちの怒りも、犯罪組織の動向も……全て『首謀者』に利用されている。俺たちが暴動を止めなければ……やつの思うがままだ」
「し、しかし……」
ビンスが冷や汗をかきながら口を開く。
「貧民たちの暴動は……もう止められません。あの連中の怒りは……予想以上です。たとえ死んでも……官吏たちを攻撃するつもりです」
「そうだろうな」
俺は頷いた。
「貧民たちのリーダーは誰だ?」
「『ジャック』という男です」
「そいつは今どこにいるんだ?」
「今も……貧民たちを率いて集会を開いているはずです」
「じゃ、集会の場所を教えてくれ」
俺の言葉を聞いて、ビンスは目を丸くする。
「まさか……伯爵様が直接……?」
「ああ、この流れ……俺が変える」
俺は拳を握りしめた。




