第325話.大事な情報
俺と白猫は、鳩さんと一緒に彼女の小屋に入った。
小屋は狭いけど綺麗に掃除されていた。ベッド、テーブル、棚、浴槽などなど……生活に必要なものは一通り揃っている。
俺と白猫がテーブルに座ると、鳩さんが薪ストーブでお湯を沸かし、お茶を淹れてきた。
「どうぞお飲みになってください」
「ありがとう」
俺はティーカップを持ってお茶を一口飲んだ。甘くて渋い香りが口の中に広がる。
「どう? 鳩お姉さんの淹れてくれたお茶は? 美味しいでしょう?」
「そうだな」
白猫の質問に、俺は頷いた。派手ではないけど、どこか惹かれる味だ。まるで……目の前の鳩さんのように。
俺は改めて鳩さんの姿を見つめた。平均的な身長の茶髪の女性だ。歳は20代後半くらいだろうか。デイナとかオフィーリアのような『どこにいても目立つ華麗な美人』ではないけど……どこか母性を感じさせる人だ。
なるほど、と俺は内心頷いた。『目立たないけど魅力を持っている』ということは……諜報員として凄い才能だ。どこにでも潜入できるし……どの男もその優しい笑顔で虜にできるだろう。不思議な話だが、俺は軽く戦慄した。
「私がルークさんとの活動を始めたのは、約1年前からです」
鳩さんはお茶を一口飲んでから、話を始める。
「1年前……ロウェイン伯爵様が『夜の狩人』の新しい頭領に就任なさったと聞いて、私は頭領様のために出来ることはないかなと思いました」
俺は鳩さんの柔らかい声に耳を傾けた。
「当時、カーディア女伯爵の大軍を撃破した頭領様のことは、この王都でも大いに話題になりました。ですが……頭領様に関する噂は、あまりいいものではありませんでした」
「そうだっただろうな」
俺はニヤリとした。
俺が挙兵してから、あれこれ3年になるけど……俺の名前が本格的に知れ渡るようになったのは、1年前からのことだ。クレイン地方の盟主である『金の魔女』カーディア女伯爵の大軍を打ち破り、俺は大貴族たちと肩を並べる存在となったのだ。
だが……俺の名声が上がるに連れて、悪名も上がった。俺が敵兵士をなぶり殺して、その血を飲むと本気で信じている人々もいるらしい。
鳩さんはお茶をもう1口飲んでから、話を再開する。
「しかもそういった噂は、ほとんどが根も葉もない嘘でした。それで私は、頭領様に関する正確な情報を広げる必要があると考えました」
「なるほど。だから『美声のルーク』に俺の情報を提供して、作品を作らせたんだな」
「その通りでございます」
鳩さんが笑顔を見せる。
「ルークさんはとても歌の上手い吟遊詩人ではありますが、彼の作った叙事詩や小説はあまりにも荒唐無稽な内容ばかりでした。私は彼になるべく詳細な情報を話して、彼の創作を手伝いました」
「なるほどね……」
俺は頷いた。
『夜の狩人』の工作組として、鳩さんは以前から俺に関する情報を把握していたのだ。そしてルークは鳩さんからその情報を聞いた。ルークが俺について詳細に知っているのは当然だったわけだ。
「ありがとう、鳩さん。俺のためにいろいろしてくれて」
「大したことではありません」
鳩さんは微かな笑顔でそう言った。
「頭領様に関する情報を集める度に……私は驚きました。1人の人間に、ここまでの戦いが出来るなんて……と」
「別に1人でやったわけではないけどな」
俺は笑った。
「ところで……鳩お姉さん」
白猫が口を挟む。
「どうして数ヶ月も連絡がなかったの? 何かあった?」
「うん……大変なことがあったわ」
鳩さんは白猫に向かって頷いてから、また話を始める。
「頭領様ももうご存知だと思いますが、この王都では私以外にも多数の情報屋と諜報員が活動しています」
「そうだろうな。王都の情勢は、王国全体に大きく影響を与えているから」
ある程度の力を持っている領主なら、王都の情勢を探るために諜報員を派遣するのが基本だ。そういった諜報戦を疎かにすると、他の領主に遅れを取ることになる。
「ですが今年の春から……王都地域の情報屋と諜報員が殺害される事件が多発しています。私の知り合いだった情報屋を含めて、3ヶ月の間に9人が殺害されました」
鳩さんの顔が少し強ばる。
「もちろん諜報は危険な仕事ですから、いつ命を落としてもおかしくないのですが……この数値は普通ではありません。誰かが王都地域の情報屋と諜報員を狙っているに違いない……そう判断した私は、しばらく諜報活動を停止することにしました」
「なるほど、いい判断だった」
俺は腕を組んだ。
「で、その殺害事件の犯人について心当たりは?
「申し訳ございませんが……ありません。殺害現場の状況から見て、凄腕の暗殺者ということしか……」
その言葉を聞いて、俺と白猫は互いを見つめた。
「レッド君、これは……」
「ああ、またやつらの仕業の可能性があるな」
俺は鳩さんに『4人組の暗殺者』について話した。
「4人組の……外国から来た暗殺者ですか?」
「そうだ。あいつらが王都地域の近くで俺を襲撃したのが、ちょうど今年の春だ。本格的に活動を始める前に、邪魔になり得る情報屋と諜報員を排除したのかもしれない」
「私もその可能性が高いと思うわ」
白猫が慎重な表情で言った。
「あの連中は今年からこの王国での活動を始めたはずよ。たぶん誰か有力者に雇われたんでしょうね。あれほどの暗殺者は決して多くないし、雇うために大金が要るからね」
「同意する。白猫を負傷させるくらいの腕を持っているから、大金を支払って連れて来たんだろう。たぶん……雇い主は公爵の中の誰かだ」
俺の言葉を聞いて、鳩さんが目を丸くする。
「白猫……貴方、負傷したの?」
「うん、まあね」
白猫は恥ずかしそうに笑う。
「1対1だったら勝てたはずだけど……4対1は流石にまずかった。私としたことがしくじってしまったわ」
「大事に至らなくて本当によかったね」
鳩さんが安堵のため息をつく。
「それにしても、白猫を負傷させるくらいだなんて……私は隠れていて正解でした」
「とんでもないほど危険なやつらだ。そしてやつらの雇い主は、やつらの力を十二分に活用している。謀略や暗殺に長けているんだろう」
しばらく間を置いてから、俺は鳩さんの方を見つめた。
「鳩さん」
「はい」
「俺が直接王都に来たのは、暴動の前兆があるからだ」
「はい」
鳩さんは頷いた。どうやら俺が直接動いた理由について、大体予想していたようだ。
「頭領様の仰った通り、最近王都では不穏な動きがあります。特に『灰色の区画』と『緑色の区画』、そしてここ『銅色の区画』で」
「ここ『銅色の区画』で?」
俺は目を見開いた。
「『灰色の区画』の貧民たちと、『緑色の区画』の農民たちに不穏な動きがあるのは分かっている。しかしまさか『銅色の区画』の商人たちも……?」
「いいえ、商人たちが直接関わっているわけではありません。不穏な動きがあるのは……『銅色の区画』の裏にある犯罪組織の方です」
「……やっぱりか」
裏社会ってのは、こういう不穏な動きに敏感だ。『南の都市』の総会会長として、俺はその事実をよく知っている。
「私は現在、諜報活動を停止しているから詳細までは知りませんが……」
鳩さんも慎重な表情になる。
「どうやら『銅色の区画』の犯罪組織が、『灰色の区画』の貧民たちを支援しているみたいです」
「貧民たちを支援?」
「貧民たちが秘密集会を開いていることはご存知ですか? その秘密集会の場所を提供しているのが、犯罪組織という噂があります」
「なるほど……」
俺は大きく頷いた。
「犯罪組織が支援しているからこそ、貧民たちの秘密集会が逮捕されずに続いているんだな」
「はい」
「しかし……どうして犯罪組織が貧民たちを支援しているんだ? 暴動が起きたら、犯罪組織としてもいいことなんてないはずなのに」
「それは私にも分かりかねます」
鳩さんは申し訳無さそうに視線を落とす。諜報活動を停止している彼女としては、仕方のないことだろう。
俺は少し考えてから、鳩さんを見つめた。
「ありがとう、鳩さん。本当に助かったよ」
「少しでも頭領様の役に立ったのなら光栄です」
「最後にもう1つ、教えてくれないか」
「何でしょうか?」
「この『銅色の区画』の裏にある犯罪組織……そいつらの本拠地の位置を教えてくれ」
鳩さんが目を丸くする。
「まさか……ご自分で犯罪組織を抑えるつもりですか?」
「ああ、俺が直接叩いた方が速い。上手く行けば暴動を事前に防げる」
「でも……」
鳩さんは心配げな顔をする。俺の身を案じているんだろう。
「レッド君なら心配しないで、お姉さん」
白猫が明るい声で言った。
「いつもこんな調子だし、とんでもないほど強いから。それより……」
白猫は鳩さんの肩に手を乗せる。
「鳩お姉さんも私たちと一緒に行動した方がいいと思うわ。私たちと接触したことによって、暗殺者に狙われるかもしれないし」
「……そうかもね」
鳩さんはゆっくりと頷いた。
「このまま小屋に隠れているのも、もう限界かもしれません。頭領様、ご同行させて頂いてよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。一緒に行こう」
「ありがとうございます」
鳩さんが魅力的な笑顔を浮かべる。
俺たち3人はお茶を飲み干して、一緒に鳩さんの小屋を出た。目的地は……犯罪組織の本拠地だ。




