第323話.こいつは一体……
しかしいくら俺が目立たないように行動しても、こんな昼中には限界がある。顔は覆面とフードで隠しているが、2メートルを超える体格は隠すことができないからだ。
時々通行人たちが俺の方に警戒の眼差しを送ってくる。『顔を隠している巨漢』……誰が見ても『警戒の対象』なのだ。
「今更仕方ないけど……やっぱり目立つわね、私たち」
白猫がニヤリとしながら言った。
「やっぱり私が美人すぎるのが駄目なのかな?」
「自分で美人とか言うな」
俺は素っ気なく言ったが……白猫の言葉もあながち間違いではない。
一応、白猫は自分の白い眉毛を化粧で隠している。しかしそれとは別に……白猫の美貌と妖艶な仕草は、自然と人々の視線を集める。俺とは別の意味で目立ってしまうわけだ。
「私、『工作組』ではないのよね。メイドさんに扮するのは得意だけど」
「警備隊に捕まることだけ回避すればいい」
「そうよね」
白猫が軽く頷いた。
王都に長居するつもりはない。情勢を探って、暴動の対策を立てることさえできればいい。
俺と白猫は『銅色の区画』に戻り、適当な酒場を探した。まだ午前だし、ほとんどの酒場は閉店中だけど……しばらく歩いていたら、レストラン兼酒場を見つけた。
「ここで食事すれば良かったけど……あ、レッド君には無理か」
「まあな」
顔を完全に隠している俺には、レストランで食事をするのは無理だ。ま、パンを食べたばかりだから別にいいけど。
大きな扉を開けて酒場に入ると、広くて清潔な空間が見えた。木造の円形テーブルが多数あって、壁に掛けられたランタンの光が内部を照らしている。落ち着いた雰囲気のレストランだ。
まだ午前なのに、数人の客がテーブルに座って簡単な食べ物と蜂蜜酒などを楽しんでいる。服装からして、客のほとんどは商人か学者だ。貴族ではないけど、それなりに裕福な人々だ。
俺と白猫は隅のテーブルに座った。するとここの店主に見える中年男性が近づいてくる。
「いらっしゃいませ、お客様」
店主は頭を下げてから、俺の方を凝視する。
「大変申し訳ございませんが、通行証を確認させて頂いてよろしいでしょうか?」
店主がそう言うと、白猫が彼に通行証を渡す。
「すみません。私の彼氏、顔に大きな傷がありまして」
「そうですか。失礼致しました」
店主はまた頭を下げたが、俺への警戒は怠らない。
「オリビアさんとコルさんですね。ご注文はいかがなさいますか?」
『オリビア』と『コル』は、偽造通行証に記載されている名前だ。警備隊が確認を取れば、偽造なのがバレるだろうけど……しばらくは問題ないはずだ。
「ジュースと蜂蜜酒、そしてソーセージをお願いします」
「かしこまりました」
店主はカウンターに戻って、店員に指示を出す。すると店員が素早く動いて、俺たちのテーブルにコップと瓶、そしてソーセージを乗せた皿を運んで来る。
俺は少しだけ覆面をずらして、ジュースを飲んだ。白猫は蜂蜜酒を1口飲み、ソーセージを食べる。そんな俺たちの行動を……店主が密かに注視している。
「……完全に警戒されているわね、私たち」
「逆に都合がいいさ」
俺はニヤリとした。
「俺たちが怪しい人物だということが分かれば、この酒場の裏にある犯罪組織が動くはずだ。喧嘩を売ってくれれば尚更いい。叩き潰して情報を吐き出させる」
「あーあ、犯罪組織の人々が可哀想になったわ」
白猫が明るい笑顔で言った。
その時だった。酒場の扉が開かれて、3人の男が入ってきた。
「レッド君」
「分かっている」
今入ってきた男たちは、犯罪組織には見えないが……他の客たちとは明らかに違う。
まず服装がどこかみすぼらしい。どう見ても商人や学者ではない。それに肌が焼けている。日頃から室外で働いているに違いない。
市場の労働者? いや、違う。あの男たちはたぶん……。
「……農民たちだな」
「そうみたいわね」
『緑色の区画』の農民たちが酒を飲みに来たんだろう。
3人の農民は、俺たちの反対側のテーブルに座って酒を注文し、早速飲み始める。凄い勢いで。
「午前からやけ酒か」
「これは……何か起きるかも」
俺たちは会話を楽しむフリをしながら……農民たちの方に神経を集中させた。結構距離が離れているけど……俺と白猫には、彼らの話し声がはっきりと聞こえる。
「……どうも納得できないんです」
若い農民がそう言った。
「偉い連中は、俺たちのことを一体何だと思っているんでしょうか?」
「家畜だろう」
中年の農民が乾いた声で答えた。
「ずっとこんな調子さ。やつらは税金さえ取り上げれば、俺たちが死のうが生きようがどうでもいいと思っている」
「くっそ……」
若い農民が拳を握りしめる。
「ジョナスさんを投獄するなんて、許せません……! もう数十年も俺たちのために頑張ってくれた人を……!」
若い農民が拳でテーブルを叩く。酒を飲んでいるうちに、怒りが爆発したようだ。
周りの客たちは驚いて、息を殺す。酒場の空気が一瞬で険悪になる。
「ジョナスってのは、先日閉じ込められた農民の代表よ」
白猫が小声で言った。なるほど、と俺は頷いた。
若い農民は真っ赤になった顔で震えながら、酒をもう1口飲む。
「あんな立派な人を……どうして……」
「彼は人質だ」
白髪の農民が、若い農民の肩に手を乗せて言った。
「私たちが下手に動くと、ジョナスさんが処刑される。だから……自重しろ」
「くっ……!」
若い農民がギュッと目をつぶる。必死に怒りを堪えている様子だ。
もう酒場の客たちはもちろん、店主と店員まで農民たちを注視している。暴力沙汰になるかもしれないと恐れているのだ。
暴力沙汰になったら、この酒場の裏にある犯罪組織が現れるだろう。それは俺にとって都合のいいことだ。でも市民たちが被害を受けることを放置するわけにはいかない。
俺は白猫に目配せした。すると白猫は軽く頷いた。何かあったら、迅速に動いて農民たちを制圧する。大きな事件になる前に。
しかし……その時もう1度酒場の扉が開かれて、1人の男が入ってきた。
「大変お待たせしました!」
いきなり現れた男が、大声でそう言った。そして胸に手を添えて深々とお辞儀する。その仕草に……酒場の全員が気を取られてしまう。
「何を隠そう、王都一の吟遊詩人……『美声のルーク』とは私のことです! 天才吟遊詩人、今日も参上致しました! 」
男はまるで演劇でもしているような仕草で自己紹介をした。どうやら……こいつは『ルーク』という名の吟遊詩人のようだ。
ルークは長身で茶髪の男だ。まるで道化師みたいにまだらな服を着て、リュートを背負っている。それに彼の顔は……完全に自己愛に満ちている。
しかし……『美声のルーク』という名前は、どこかで聞いたような気がするけど……。
みんなが注目している中、ルークは酒場の真ん中に立って周りを見渡す。
「おやおや……今日のお客様たちは、悩みを抱えていらっしゃるようですね!」
さっきまで怒っていた農民たちも、『こいつは一体何なんだよ』と言わんばかりの顔でルークを見つめる。
「ではでは、この美声のルークの素晴らしい歌声で、皆様の心に安らぎを与えて差し上げましょう!」
背負っていたリュートを手にして、ルークは勝手に歌い始める。
「たとえ運命が貴方を騙そうとしても……青い空の向こうには……」
ルークの歌声が響き渡った瞬間、俺は驚いてしまった。物凄い声量だ。歌上手の人なら何人も知っているけど……ここまでの実力の持ち主は始めてみた。
驚いたのは俺だけではない。酒場の全員が、ルークの歌声に心を掴まれた。『王都一の吟遊詩人』というのは、嘘ではないかもしれない。
「1人に見えても……貴方の側にはいつも明るい太陽が……」
3曲を連続で歌ってから、ルークは頭を下げる。
「いかがでしたか? 皆様の心に安らぎが訪れたでしょうか?」
酒場の全員が拍手喝采を送った。ルークは満足げな顔でもう1度頭を下げる。
「皆様の悩みに関しては、この私も同感しております! 戦乱が長引いて、王都の市民たちの顔から笑みが失われつつあるのです!」
ルークは自信満々な態度で話を続ける。
「でもご心配は要りません! もうすぐ戦乱は終わり、王都はもう1度明るく眩しく輝くはずです! 何故なら……『赤い肌の救世主』が目の前まで来ていらっしゃるからです!」
……は?
「そうそう、『赤い肌の救世主』とは『レッド・ロウェイン伯爵様』のことです! あのお方がもうすぐ王都を戦乱から解放してくださるはずです!」
俺の噂を流している吟遊詩人ってのは……こいつだったのか!
「そんなことをどうしてあんたが知っているんだよ?」
若い農民が不満げな声で言った。だがルークは慌てずに話を再開する。
「私には分かります! 何故なら、この『美声のルーク』は……『レッド・ロウェイン伯爵様』と旧友の仲だからです!」
な、何だと……!?
ルークの発言に、酒場の客たちがざわめいた。そして俺は……拳を握りしめた。白猫はそんな俺を見つめながら、必死に笑いを堪えている。
こいつ、勝手なこと言いやがって……! と俺はルークを睨みつけたが、もちろん俺は顔を隠しているから無意味だ。
「皆様にロウェイン伯爵様の勇気と知恵について話しましょう! 他では聞けない話ですので、どうか耳を傾けてお聞きくださいませ!」
俺は歯を食いしばりながらも、ルークの声に集中した。この吟遊詩人がどれだけ俺の話を捏造しているのか、聞いておく必要がある。
「皆様もご存知通り、ロウェイン伯爵様は南の都市で挙兵なさいました。あの時のきっかけとなった事件が、いわゆる『天使の涙』事件であります!」
その言葉を聞いて、俺はもう1度驚いてしまった。こいつが……どうやってそれを知っているんだ?
ルークは俺に関する逸話を、結構詳細なところまで話した。まるで直接目撃したかのように。
「……というわけで、ロウェイン伯爵様は『天使の涙』の魔の手から市民たちをお守り下さったのです! その勇気と知恵はまさに未曾有、前代未聞! 救世主としか言いようがありません!」
やがてルークが話し終えると、人々が頷く。農民たちすら少し納得したような顔になっている。
「レッド君」
白猫が小声で俺を呼んだ。
「これはどういうことなの? 本当に知り合いなわけ?」
「そんなことがあるか。でも……」
怪しすぎる。俺に関する噂は、王国の隅々まで広がっているらしいけど……ここまで詳細に知っている人間は、俺の側近たち以外はいないはずだ。
「もうすぐロウェイン伯爵様が現れて、戦乱を終わらせてくださるはずです! いや、きっと今の私の声もあのお方に届いているに違いありません! あのお方こそが、女神様から命を受けた救世主でいらっしゃいますから!」
ルークがあまりにも自信満々に言って、酒場の客たちは戸惑いながらも拍手する。
「来年、私は執筆中の本を出版する所存であります! そのタイトルは『赤い肌の救世主』! どうかご期待ください!」
ルークは深々と頭を下げた後、酒場の階段を登って2階に上がる。客たちはやっと吟遊詩人から解放されて、酒飲みを再開する。
「白猫」
「うん」
「作戦変更だ」
俺は真剣な声で言った。
「あのルークというやつの身柄を確保する」
「分かったわ」
白猫は笑顔で答えた。




