第322話.平和と緊張
30体以上の遺体が塔にぶら下がっている光景……しかも遺体たちは腐敗が進んでいる。数々の戦場を経験した俺でさえ、つい目を背けたくなる。中央広場に集まっている人たちも、敢えて塔の方は見ないようにしている。
「……まだあのままなんだ」
隣から白猫が呟いた。
「あれは1週間前に処刑された人たちよ」
「何の罪状で処刑されたんだ?」
「『王都行政部の決定に不服し、反逆を企んだ罪』だって」
白猫が無表情で説明を続ける。
「1周間前、一部の貧民たちが集まって官吏たちに抗議したらしいわ。『税率が高すぎて生計を維持するのが困難です。どうか下げてください』と」
「それで公開処刑されたというのか……?」
俺は眉をひそめた。
「あり得ないな。その程度の不服なら最大でも懲役刑だ。いや、普通なら警告だけで済むはずだ」
「そうよね」
白猫が頷く。
「でも実際、数十人が処刑された。官吏たちの発表によると……あの人たちは不穏分子で、普段から反逆を企んでいたんだって」
「見え透いたことを……」
俺は歯を食いしばった。
「たぶん拷問でもして、偽の証言を自白させたはずだ。『俺たちは反逆を企んでいました』という証言をな」
「そんなところだろうね」
「まさか王都の官吏たちがここまでやるとは……」
俺は少し考えてから、白猫の方を見つめた。
「白猫……あんたの言った『武力衝突の恐れ』とは、あれのことだな?」
「うん、そうよ」
白猫が暗い顔で答えた。
「あの公開処刑以来、貧民たちは警備隊の目を盗んで秘密集会を開いているみたい。警備隊もその事実に薄々気付いて、『灰色の区画』に対する検問や見回りを強化したわ」
「なるほど……だから見回りが厳重だったのか」
『灰色の区画』に配置されている警備兵の数は、異常に多かった。警備隊は貧民たちの秘密集会の現場を抑えようとしているのだ。
「しかもね、『緑色の区画』の農民たちも不満が溜まっているみたい」
「農民たちも?」
「うん」
俺たちは人気のない場所に移動しながら、話を続けた。
「今年の夏って、かなり暑かったし雨も少なかったわよね? おかげで農作物の収穫量が減少したの」
「そうだな。俺の領地も昨年に比べて収穫量が減ってしまった」
「でも王都の税率は予定通り上昇して、大半の農民たちの生活が困窮に陥ったらしいわ。それで農民の代表が王都財務官に抗議したけど……」
「まさかその人も処刑されたのか?」
「ううん、処刑されてはいないけど……『貴族に対する暴言』という罪状で牢屋に閉じ込められたそうよ」
「とんでもないな」
俺は腕を組んだ。
「どうやら予想よりも事態は深刻のようだ」
俺と白猫は建物の影に隠れて、しばらく『中央広場』の風景を眺めた。『銅色の区画』もそうだけど、ここにもまだ活気が残っている。多くの人が忙しく動いている。
でもそれは表面的なことに過ぎなかったのだ。王都行政部に不満を持っている貧民や農民たちは……『銅色の区画』にも『中央広場』にも顔を出していない。あの人たちは……自分たちの区画に閉じこもって、不満と怒りを燃やしているのだ。
「王都の官吏たちも、不満が広がっていることに気付いて……暴動を恐れている。だからこそ過激な処刑を行って、不満を持っている人々を恐怖で黙らせようとしている」
「……愚かだね」
白猫がため息をついた。
「人々の不満が怖いんなら、少し優しくすればいいものを」
「それが出来ないのさ」
俺は首を横に振った。
「官吏たちにとって、方針を変えることは自らの過ちを認めることと同じだ。それだけは絶対嫌なんだろう。市民たちが死ぬよりも」
「本当に愚かだね」
白猫も首を横に振った。
「レッド君の言った通り、暴動が起きても自業自得だわ」
「まあな。でも官吏たちのせいだけではない。前国王が国政を放置したからだ」
俺は地面を見つめながら話を続けた。
「10年も放置されたら、どんな人間の集団も腐敗する。逆に王都の官吏たちが腐敗していなかったら、それこそ驚くべきことだ」
「じゃ、結局前国王が悪いってことね?」
「さあな」
俺は肩をすくめた。
「もちろん国政を放置したのは、前国王の過失だ。でも……国王がそこまで愚かな行動をしているのに、誰も止めることができなかった。それこそがこの王国の根本的な問題かもしれない」
「でもそれは仕方のないことでしょう?」
白猫が首を傾げる。
「だって、それが王という存在だからね。王国の頂点に立ち、誰からの指示も受けない存在」
「そうだな」
俺は少し考えてから、白猫を見つめた。
「白猫、先日あんたが言ったよな? 『誰かが暴動を起こそうとしているみたい』だと」
「うん、言ったわね」
白猫は顎に手を当てて話を始める。
「貧民たちが秘密集会を開いていることは、どうやら事実みたいだけど……それだとおかしい点があるわ」
「おかしい点?」
「警備隊が検問や見回りを強化したのに、まだ貧民たちの秘密集会を捕捉できていないところがおかしいの。つまり……誰か有力者が貧民たちに協力している可能性があると思う」
「なるほど、そういうことか」
俺は大きく頷いた。
「確かに貧民たちだけで秘密集会を開いたりすることは、限界がある。本来ならすぐ逮捕されて終わるだろう。それなのに1週間経った今もまだ逮捕されていない。これは……臭うな」
「でしょう? まだ確証はないけどね」
白猫がニヤリと笑う。
「じゃ、その『暴動を起こそうとしている人物』を探してみる?」
「もうちょっと情報が欲しい。貧民たちの動向に関する情報が」
「なら『灰色の区画』に戻るしかないけど……その前に何か食べましょう。私たち、王都に来てからちゃんとした食事を取っていないし」
「ああ、そうしよう」
確かにお腹が空いた。何か食べた方が良さそうだ。
「私が何か買ってくるから、レッド君はここで待っていてね」
「分かった」
白猫は建物の影から出て、『銅色の区画』に向かう。
1人になった俺は、壁に寄りかかって通行人たちを見つめた。買い物して帰る老婦人、急ぎ足の男、ヒソヒソと話している若者たち……一見平和に見えるが、どこか緊張感が漂っている。
市民たちも薄々気付いているに違いない。何か大変なことが起きていることに。でもどうにか明るく生きようとしている。敢えて絞首刑された遺体の方を無視している。
でも現実は、もう火種が出来てしまったのだ。その火種が暴動という形で爆発したら……この上辺だけの平和も失われてしまう。
「レッド君」
白猫が戻ってきた。彼女は手にかごを持っていた。
「パンとジュースを買ってきたわ。レッド君の好きなクリームパンもある」
「ありがとう」
俺と白猫は建物の影に隠れたまま、パンを食べた。クリームパンとガーリックパンが特に美味しい。白猫もベーグルパンを食べる。
そうやって簡単に食事を済ませていると、いきなり若い男の声が聞こえてきた。
「なあ、あの噂聞いた?」
「どういう噂?」
俺と白猫は息を殺した。どうやら若い男たちが建物の近くで会話をしているようだ。
「『赤い化け物』の軍隊がさ、『外側の村』を占拠したみたいだぜ」
「へえ、そうなんだ」
白猫が意味有りげな眼差しで俺を見つめる。若い男たちは、俺について話しているのだ。
「あいつ、何考えているのかな……」
「あんなやつの考えることなんて、理解できるはずがないよ」
「でもさ、あいつはこないだの戦闘で公爵2人に勝ったんだろう? もしかすると、王都もいずれあいつのものになるかもしれないぜ」
「それは嫌だな……相当残酷なやつだと聞いたのに」
俺は内心笑いながらも、話し声に集中した。何か手がかりが得られるかもしれない。
「化け物とか悪魔とか呼ばれているやつだからな。でも自分の領民には寛大だという話もあるみたいだ」
「そりゃあの吟遊詩人の作り話だろう? 信じるなよ」
吟遊詩人……?
「吟遊詩人という連中はさ、でたらめな話で人々を騙して、それで儲かっているんだよ」
「それはそうだけどな」
「そんなことより、今夜は……」
若い男たちの声が遠ざかっていく。
「面白い話を聞いてしまったわね、レッド君」
「まあな」
俺と白猫は一緒に笑った。
「でも……吟遊詩人が俺の噂を流しているのか」
「吟遊詩人たちは都市の酒場で歌ったり、面白い話を聞かせたりするからね。どうやらレッド君を素材にしている吟遊詩人がいるみたいね」
「そんなやつは1人で十分だけどな」
俺はまるで道化師みたいなタリアの姿を思い浮かべた。タリアは俺を素材にした叙事詩と小説を書いている、吟遊詩人見習いの少女だ。
「その吟遊詩人を探してみるのはどう? 何か手がかりが得られるかもしれないでしょう?」
「吟遊詩人が役に立つかな……」
俺は少し考えてみた。吟遊詩人は役に立ちそうではないけど、酒場に行ってみるのは悪くなさそうだ。
「酒場に行ってみよう。吟遊詩人じゃなくて、犯罪組織を探しに」
「犯罪組織?」
「ああ、この王都の裏にもあるはずだ。裏社会を牛耳っているやつらがな。ひょっとしたら、警備隊よりも王都の事情に詳しいかもしれない」
「なるほど、悪くない考えだわ」
俺と白猫は建物の影から出て、なるべく目立たないように移動し始めた。




