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第320話.潜入

 その日の夕方、俺はハリス男爵を呼び出した。


「レッドさん、お呼びですか」


 ハリス男爵は執務室に入ってきて、人の良さそうな笑顔を見せる。その姿はどう見ても『領主』というより『パン屋の店主』だ。威厳より親しみを感じる。


 だがこの太った男爵は……実力はもちろん、人格も優れている名領主だ。もしハリス男爵が王都の主だったら、たとえ暴動が起きてもすぐ収拾できるだろう。


「ハリス男爵」


「はい」


「実は……あんたと『森林偵察隊』に任務を任せたい」


 俺の言葉に、ハリス男爵が力強く頷く。


「何なりとお任せください! レッドさんのお力になることは、私にとって光栄の限りです!」


「光栄の限りって……」


 くすぐったくなった俺が笑うと、ハリス男爵は笑顔で話を続ける。


「先日の作戦会議で、私は確信致しました! レッドさんはただ戦争に勝つためではなく、王国の人々の安寧を守るために戦っていらっしゃる。まさに古代英雄の再臨です!」


 俺は内心苦笑した。信頼できる人なのは確かだけど……俺のことを買いかぶり過ぎだ。


「とにかく、任務を任せたいところだけど……いいのか? 領地に帰還しなくても」


「そのことですが、来年の3月までなら問題無いと思います」


 ハリス男爵は自分の顎に手を当てる。


「領地のことはニーナ、つまりアップトン女伯爵様に頼んでおきました。もちろんそれでも私が直接指示するべきことがたくさんですが……」


 ハリス男爵領の主として、ハリス男爵にも自分の領地を統治する義務と権利がある。長期間領地を空けるのはよくない。


「王都で大変なことが起きたら、王国全体に深刻な悪影響を及ぼすでしょう。レッドさんに加勢することは、ハリス男爵領を守ることにもなるわけです!」


「……ありがとう」


 俺はハリス男爵に心から感謝した。いろんなことがあったけど……この男爵はいつも俺のことを信じてくれている。


「で、任務のことだが……俺を援護して欲しい」


「援護、でしょうか?」


「ああ」


 俺は頷いて説明を始めた。


「明日の朝……俺は軽騎兵隊を連れて、王都近くの道路を見回るつもりだ。だがそれはあくまでも偽装……本当の目的は、王都に潜入することだ」


「レッドさんが……王都に潜入?」


 ハリス男爵が目を丸くする。


「まさかご自分で王都の情勢を探るつもりですか?」


「そうだ」


 俺は腕を組んだ。


「白猫の情報によると、王都の情勢は予想よりも深刻だそうだ。近いうちに武力衝突が起こるかもしれないらしい。これを放っておけば、暴動に繋がる可能性が高い。俺が直接行って……対策を立てるべきだ」


「それはごもっともですが……」


 ハリス男爵が冷や汗をかく。


「王都の警備隊は、まだ3000以上の兵力を有しているとお聞きしました。しかも彼らは独自の判断で動いています。レッドさんの身に何かあったら……」


「心配してくれてありがとう。でも俺がやるしかない」


 俺は拳を握りしめた。


「俺が王都に潜入している間に、あんたは森林偵察隊を率いて……王都の北門の近くで潜伏していてくれ。万が一、非常事態になったら……俺が北門を開ける」


「かしこまりました」


 ハリス男爵が理解した顔で頷く。


「北門が開かれたら、迅速に動いてレッドさんを援護します」


「ああ、頼む」


 ハリス男爵の率いる森林偵察隊は、最精鋭の特殊部隊だ。少数だがどんな状況にも対応できる。万が一の事態になった時は、彼らの力を借りて武力介入する。


---


 翌日の朝……俺はトムと白猫、そして30人の軽騎兵隊を連れて、軍事要塞カルテアから出発した。『治安維持活動を視察するため』だ。


 もちろん『視察』は俺の本当の目的を隠すための偽装だ。俺はこれから白猫と2人で王都に潜入する。このことに関しては、トムと白猫とハリス男爵しか知らない。


 南への道路を数時間進むと、前方の遠くから巨大な防壁が見え始める。王都を囲んだ『守護の壁』だ。


「本当に巨大だな」


 今更感心した。一般的な城壁とは比べにならない。まるで山脈のような巨大さだ。この王国の初代王が建設を開始し、彼の孫の代で完成した防壁……今まで1度も陥落されたことのない、まさに『王都の守護神』だ。


 しかし……いくら巨大な防壁でも、内部からの崩壊は防げない。市民たちの怒りは防げない。民心を得ることは、外敵を排除すること以上に大事なのだ。


「トム」


 俺が呼ぶと、白馬に乗っているトムが速度を上げて俺に近寄る。


「お呼びですか、総大将」


「今日の作戦……分かっているな?」


「はっ」


 トムは声を小さくして答える。


「総大将と白猫さんが離脱したら、自分が騎兵隊を率いて視察を続けます」


「それでいい。ケールは任せるぞ」


「はっ」


 2日くらい時間を稼げばいい。俺はそう考えた。


 前進と休憩を繰り返すうちに、いつの間にか夜になってしまった。道路の周りはすっかり暗くなり、村の光も見えない。


 ランタンを手にして少し進んでから……俺は右手を上げて合図を送り、部隊を止めた。


「白猫」


「うん」


 白猫と俺は軍馬から降りた。そして素早く動いて、隊列から離れた。するとトムがケールを連れて、何もなかったように進軍を再開する。


 俺はフードを被って顔を隠し、白猫と2人で暗闇の中を走った。ランタンも無く移動するのは危険だが……俺と白猫にはあまり問題にならない。


 微かな月明かりに頼って、巨大な『守護の壁』に向かう。俺も白猫も、周りを警戒しながら走り続ける。


 俺はこういう隠密行動は得意じゃない。そもそも俺の巨体は隠密行動に向いてない。でもなるべく音を出さずに走ることはできるし、元暗殺者の白猫がいるから心配することはない。


「ここよ、レッド君」


 数時間後、白猫が何かの前で足を止めた。それは……地面に埋もれかけている井戸だった。


「この井戸は王都の地下水路に繋がっているわ」


「そうか」


 巨大な『守護の壁』は、もう目の前だ。でも俺と白猫はその壁を飛び越える代わりに、地下水路を突破することにしたのだ。


 俺は井戸の石蓋を両手で掴んで退かした。すると地下への暗い通路が見える。


「この重い蓋を簡単に開けるなんて。流石レッド君だね」


 白猫が片目をパチッと瞑る。


「では、入りましょうか。まず私から」


 白猫が暗い井戸の中に飛び込み、俺もその後を追った。


 両手と両足を井戸の壁面に密着させて、自分の体重を支える。そのまま少しずつ動いて下に降りる。結構危険な道だが……俺と白猫には容易いことだ。


 やがて俺たちは井戸の底に辿り着いた。井戸の底には水がほとんど無く、横に繋がる狭い通路があるだけだ。


「レッド君には狭すぎるかな」


「問題ない」


 俺が答えると、白猫は笑顔を見せてから狭い通路に入る。俺も姿勢を低くして、暗闇の中に入った。


 さっきまでは微かな月明かりが照らしてくれていたけど、もう本当に真っ暗だ。目の前に何があるのかすら見えない。


 俺と白猫は全身の感覚を極限まで高めて、まるで野生動物みたいに暗い通路を進み続けた。10分、15分、20分……俺は頭の中で時間を数えた。


 そして30分後……通路がいきなり広くなり、風が感じられる。


「水路に着いたわ」


 白猫が自分の懐からランタンを取り出して、火をつける。それで少し明るくなり、周りの風景が目に入ってくる。


「立派な水路だな」


 俺はそう呟いた。


 王都の水路は、思っていたよりも立派だった。天井高は3メートルくらい、道の幅は1メートルくらいだ。道の両側は崖になっていて、崖の下に大量の水が流れている。


 数百年前にこんな水路を建設したなんて……大したものだ。


「気をつけてね。ここから落ちたら、いくらレッド君でも助からないわよ」


「分かった」


 俺は白猫の後ろを歩いて、水路の中を進んだ。2人の足音と水の流れる音が暗い通路の中に鳴り響く。


「ねぇ、知ってる?」


 ふと白猫が口を開いた。


「青鼠はね、こういう地下水路を使って暗殺するのが特技だわ。だから鼠って名付けられたわけ。もちろん顔も鼠っぽいけどね」


「そうだったのか」


 ということは、俺の師匠である鼠の爺も……?


 それから10分くらい歩いた時、白猫が足を止める。


「ここは道が途切れているわ。飛び渡るしかない」


「分かった」


 白猫の言った通り、水路の道は途中で途切れて崖になっている。飛び渡るしかない。


「はっ!」


 白猫が暗闇の中で跳躍して、崖の向こう側に着地する。その身体能力は超人の域だ。


「はあっ!」


 俺も暗闇に身を投げて、向こう側に着地した。これでまた進める。


「もうすぐよ」


 白猫が笑顔で言った。


「もうすぐ『灰色の区画』の真下に辿り着く。そこから地上に出られるわよ」


「『灰色の区画』は……貧民街のことだろう?」


「うん、王都の貧民街の通称よ」


 本で読んだことがある。王都はいくつかの区画に分けられているらしい。


 更に15分くらい進むと……前方から何かが現れた。あれは……階段だ。地上への階段だ。


「私が先に行って様子を伺うから、待っていてね」


「ああ」


 白猫は忍び足で階段を登り、地上への扉をそっと開く。そして外の様子を確認してから、俺に手招きする。


 俺はなるべく音を立てずに移動し、白猫と一緒に扉を潜り抜けた。すると地上の冷たい空気を感じると共に、夜空と人の住む街が視野に入ってきた。

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